公益財団法人トヨタ財団

情報掲載日:2025年3月28日

 


トヨタ財団50周年記念事業特別インタビュー

減少している自生のシュンラン。里山に残すことを目指す長野県伊那市でのとりくみ

シュンラン
シュンラン

取材 ◉ 寺崎陽子、加藤慶子(トヨタ財団プログラムオフィサー)
執筆 ◉ 武田信晃(フリーライター)
 


花や植物は都市開発、温暖化、土壌の劣化、外来種、過剰な接種などさまざまな要因で減少傾向を示している。事実、環境省第4次レッドリスト(第5回改訂版)によると維管束植物の31%が絶滅したとしている。日本各地の里山に見られるシュンランも、絶滅はしていないが、個体数は減少傾向にある。長野県伊那市上牧里山にもシュンランが自生しているが分布域は狭まっているのが現状だ。里山の管理はシュンランの維持にもつながるが、その里山の管理をするには科学的裏付けのある管理方法の追究と普及は欠かせない。トヨタ財団は2015年に「『シュンランの咲く里山』を実現する里山管理技術の開発―シュンラン繁殖生態の解明と高木樹種管理による林内環境改善手法の科学的検討―」というプロジェクトに助成した。このプロジェクトを主導した黒河内寛之氏(当時、東京大学大学院農学生命科学研究科森林科学専攻)に、なぜ里山を軸とする研究を行ったのか話を聞いた。

助成対象プロジェクト

黒河内寛之
黒河内寛之さん
プログラム
2015年度 研究助成プログラム
企画題目
「シュンランの咲く里山」を実現する里山管理技術の開発 ―シュンラン繁殖生態の解明と高木樹種管理による林内環境改善手法の科学的検討―
助成番号
D15-R-0091このリンクは別ウィンドウで開きます
助成期間
2016年5月~2018年4月
企画概要
市民団体等による里山管理においては、里山の多様な機能発揮のためにも、科学的裏付けのある管理方法の追究と普及は不可欠である。本研究では、長野県伊那市上牧里山において、地域に親しまれる里山環境創出のための、明るく伝統的な里山環境の代表的林床植物であり早春の着花が美しいシュンランの生育に適した森づくりの技術確立を目的とする。

放置された里山は逆に自然環境が悪化する

黒河内氏は自然豊かな長野県出身で、助成当時は森林の生態系の研究などをしていたが、基礎研究をしながら社会利用できるテーマは何があるのか探していた。「国土の7割は森林なので、それを無視することは日本人としてはあり得ないと思っていました。昨今の流れとして、森林は大事だと言われていますが、環境を世間に対してどんどん広くアピールしていくには、基礎研究をだけをやっていてもあまり広がらないとも感じていました。ですので、むしろ自分たちで価値を創り出しながらやっていきたいという思いもありました」と新しい価値を創出することで森林に関心を持ってもらおうという考えを持っていた。

研究対象は森林だけにはとどまらなかった。「助成を受けてこの研究をしていた時、フィリピンなどで海洋生態の研究もしていて、川上から川下、山から海まで一連の流れとしての生態系としていろいろと動いていました」。このほかにも中国やインドネシアでも調査をしていたそうだ。このように黒河内氏は、全体を俯瞰する重要性を認識していたという事だ。

研究テーマを模索していた黒河内氏だが、伊那市で研究をするきっかけは高校時代の恩師から「私の地域の里山で何かできないか?」という相談があったことだ。当時、人口減少などから放置された里山の存在が問題になっていた時期でもあった。また、なぜシュンランなのか? これには過去に研究してきた中の1つであるマツタケに関係がある。「森林管理をするというだけでは、人はなかなか動きませんが、マツタケというよく知られた食材であれば関心が生まれます。マツタケが取れるような管理された山は、適度に明るくて、適度に土の栄養がないような状況です。地域にもよりますが、マツタケが取れるような適度に管理された山とシュンランは相性が悪くありません」と語る。

黒河内氏によると、森林は適切に管理をしないと木がどんどん育ってしまい、低いところには光が入ってこなくなり、生息するべき動植物の生態に影響するという。しかし、里山で薪を作ったりしている人たちは、低木を切ることになり、その結果、下層の方にも光が入り、バランスの取れた自然環境になる。「伊那北小学校の周囲には里山があるのですが、シュンランの個体数が減っているという話がありました。そこで私は『里山の中にもう少し光が差し込むようにうまく管理して栄養過多になっている土壌状態を改善すると蘭が好む環境が整ってくるかもしれません』という話を関係者にしました」

そこで、黒河内氏は小学校と一緒に取り組む形で里山管理につながることをできないか?という思いに至る。「私は子どもたちと一緒にやりとりするのは素人ですが、それを含めて何か試金石になるような研究をしたいとも思っていました」。つまり、社会利用に近づける可能性がある研究への一歩にもつなげたい思いがあったのだ。

児童に、正しく森林を生かすには「木は切っても実は大丈夫」という概念を知ってもらうべく、計画的に6年の間(=在学中)に、1度は高さ20~30メートルある木を切るところを見てもらっている。自然環境の変化に伴って新しい生き物が生育できるようになったり、伐った木を使ってキノコを栽培したり、木を切ることで始まる新たな生態系の循環を体験してもらうという活動も、同市の人たちと協力し合いながら進めてきた。

小学生はもはや専門家

伊那市
木を切ることで始まる新たな生態系の循環の例。上から2012年5月、2021年8月、2022年4月の同地点。

この研究は小学校の協力があってこそ成り立つものだった。総合学習の時間を使って、1年目は5年生と6年生、思いのほか負担が大きかったことから2年目は6年生のひとクラスに研究に協力してもらい、いろいろなデータを集めてもらった。しかし、その後、校長先生が変わったことや先生の負担も大きいことから、この取り組みを授業のプログラムとするのは実現しなかったが、誰もが自然環境とうまく付き合わなければいけない現在、森林を題材にした研究の意義は大きかった。「このようなアプローチをしていくことで、いろんな課題について一般市民が自分事として考えることができる共有の場を作っていく可能性みたいものは感じました。伊那の小学校での取り組みを、もし続けていけば教育的なプログラムは作れるという手応えは得られたと感じています」

今回のプロジェクトで最大の障壁は立場の違いだったという。「伊那市の小学校の場合、個人研究だったので論文を書くには『このくらいデータを取らなきゃいけない』というすごいプレッシャーがありました。そのため、あまり子どもたちのことを見ていなかったところはあります」と正直に吐露する。一方、学校側の考えとしては「大学の研究者と一緒にやることができるという経験を積ませてあげたいというものです。わたしとは異なる温度感がありました。担任の先生たちのストレスも多分そこにあったと思います。その立場の違いを理解しないと、うまくいかないということは理解できました」と振り返る。

そして、こう総括する。「『こうしないとうまくいかないんです』というのを前面に出したのですが、そこを前面に出さない方が良かったと思っています。やはり最初の頃はすごくかっちり組もうとしていたんです。それは、僕としては嬉しいけれど、学校側はそれほどうれしくない。もし今だったら、もっとうまくやれますね」。当時は若かったこともあり仕方がなかった面もあるが、その経験は研究者として成長させた。

実は、次のような想いも抱えていた。「当時の時代背景には、研究の成果がでないとバッシングを受ける風潮がありました。しかし、研究成果がでなくても大丈夫だよということも児童に体験してほしいと思っていました。『結論が出なかったからといって、それは全然恥ずかしいことではない』のです。研究や調査が面白かったら、今後も続けてほしいという想いもありました」

実際、小学生たちはワイワイ、楽しみながら取り組んでいた。「成果発表があった時、校長先生からは、明るい雰囲気でやっていたことと森林内に光を差す明るさと言う意味で『両方にかかっているね』と言われました」と語る表情は柔らかだ。この成果発表を現地で聞いた財団の職員によると、小学生とは思えないような言葉をたくさん使うなど、本当の講演会みたいになっていて驚いたと話している。困難はあったにせよ、合同の取り組みは、小学生の成長を促した。もし将来、小学生の中から森林の研究者が出てきたとすれば、それは理想的であり、その可能性を作り出した。

アカデミアと民間

黒河内寛之さん

現在、黒河内氏は、アサヒグループホールディングス傘下にあり、2019年に設立された先端研究機能を集約した独立研究子会社である「アサヒクオリティーアンドイノベーションズ株式会社」(AQI)で研究を続けている。AQIは自社で管理する森林を有して数十年以上にわたって管理をしているということもあり、大学から民間に移っての研究という意味で、同グループのコンセプトは黒河内氏の研究にぴたりとマッチした。「短期もやりますが、中長期にウェイトを置くスタンスでやっています。30年ぐらい先の話もあります。アサヒビールなので大麦の話が出ます。大麦は作付面積が広いので、面で広げやすいと感じています」と民間主導であると面として広げやすいと実感している。

なぜアカデミアの世界から民間に進んだのか?「僕が東京大学に入ったのが2000年代頭で、生物多様性に関しては1992年に『生物多様性条約』が国連開発会議で採択されましたが、大学のようなアカデミアで発信すればスムーズにことが進むと思っていました。今でこそ、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)やTCFD(候関連財務情報開示タスクフォース)という取り組みが知られるようになりましたが、助成当時は、企業がこれほど持ち上げるとは思っていませんでした。こういう研究自体は大学でも可能ですが、時代が変化し、企業を巻き込んだ方が、広がりがあるなとも感じていました。また、アカデミアのみの人生もつまらないなと思っていたので、民間で研究する機会を得てよかったです」

また、民間のメリットについて次のようにも語る。「地球温暖化などの影響で、企業は利益のみを追求するのではなく、社会に貢献する重要性が強まってきました。TNFDなどが叫ばれていますが、大企業が動き始めると、今まで10年、20年変わらないと思っていたことが変わるかもしれないという希望感が出てきたのです。そのスピード感を見た時に、それぞれの企業が強みにしている部分から広がっていけばいいなという観点からです」

食料自足率を上げたい

今後の目標としては、日本の食料自給率を上げることをしたいという。「環境を考えた時に、自給率と切り離せないからです。実際の環境状態を良くすれば、地域の活性化にもつながります。土地は利用しないと人がいなくなってしまいます。何かをやっているっていう場所というのがあれば、人が出入りし続けると思います。その状況を作れるといいですよね」

森林は、地球温暖化を防止する、水を蓄え洪水を防止する、資源を生産する、動植物の生態系を守るなど、われわれの暮らしを支えている。土地開発による森林減少、放置による里山の荒廃は明らかに地球にとってマイナスだ。まして、都市部に住む住民はその重要性を実感できない。森林研究は、短期的ではなく長期的な視野に立って考えれば考えるほど意義がある研究だったと言えそうだ。

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