研究助成
look
私のまなざし
著者◉ 渡辺登喜子(大阪大学微生物病研究所・分子ウイルス分野・教授)
- [助成プログラム]
- 2017年度 研究助成プログラム[(A)共同研究助成]
- [助成題目]
- エボラ感染者が社会的弱者にならない社会システムの構築
- [代表者]
- 渡辺登喜子(大阪大学微生物病研究所・分子ウイルス分野・教授)
西アフリカ・シエラレオネで感じたこと
〜エボラ出血熱の流行時とその後〜
私は現在、大阪大学微生物病研究所というところで、ウイルスの研究をしています。もともと臨床獣医師になりたくて、北海道大学獣医学部に進学しましたが、感染症学の講義や実習を通じてウイルス学に興味を持ち、そのままウイルス研究の道に進みました。東京大学医科学研究所の河岡義裕先生の研究室にお世話になっていた時期(2010〜2020年)に、エボラ出血熱の研究を始めることになりました。
エボラ出血熱は、エボラウイルスによって引き起こされ、90%程度の致死率を示すこともある、非常に危険な感染症です。2014〜2016年、西アフリカのギニア、リベリア、シエラレオネの3か国を中心に、エボラ出血熱の大規模な流行が起こりました。河岡研究室では、流行中から現在に至るまで、シエラレオネの大学や医療機関等と連携して、エボラ出血熱の研究を行っており、私も研究に参画する機会を得ることができました。
私がシエラレオネに初めて渡航したのは、2015年2月半ばの、エボラ出血熱の流行の真っ只中のことでした。現地に到着したのが夜だったということもあり、初日は何となく不安でビクビクしていましたが、翌朝、首都である海辺の街フリータウンの晴れ渡る青い空と広がる海を目にして、少し気持ちが落ち着きました。車で市内の様子を見て回った時に、エボラ出血熱の感染対策として、市内各所に簡易検査所や消毒薬の入ったタンクが設けられていることに気づきました。係員が、通行人や通過する車を全て止めて、体温チェックや消毒薬による手指の消毒を促す様子には、やはり物々しさを感じました。
私たちが滞在していたホテルのすぐ近くの集落でエボラ患者が発生したため、その集落一帯が赤いネットのようなものでぐるりと囲まれ、人の出入りができないような状態になっていました。集落に住む人々のために、食料や水の配給がなされていましたが、その配給がしばらく滞ることもあったようで、時々ストライキのようなものも起きていました。そんな中、私たちは毎日その集落の横を通り過ぎ、ホテルから実験室のある病院へと通っていました。
病院スタッフが、エボラ隔離病棟に入院する患者から血液を採取し、実験室まで届けてくれました。患者のID番号がついた血液試料が、3日後、6日後と運ばれてきます。ところが試料が届かなくなるIDもあり、その患者さんが死亡したことが分かります。それまでにも、米国や日本の特別な病原体封じ込め施設の中で、危険なウイルスを取り扱ってきた経験はありましたが、死が隣り合わせという感覚は初めてでした。この時は感染症を心の底から怖いと感じました。
エボラ患者から採取した血液サンプルを取り扱う作業というのは、かなりの緊張感を伴うものでした。血液中には大量の感染性エボラウイルスが含まれているため、安全を期して、私たちは防護服を着用して、グローブアイソレータと呼ばれるテントのような装置の中でサンプル処理を行う必要がありました。テント内の作業スペースはとても狭く、またグローブをはめた大きな手で細かい作業を行うのは非常に骨が折れることでした。細心の注意を払って、エボラ患者の血液サンプルの処理を進め、血清や白血球の分離作業などを行いました。そのため、肉体的というより精神的な疲労がひどく、1日の仕事が終わってホテルに戻る頃にはぐったりしていることが多かったです。
エボラ出血熱の流行当時、シエラレオネでは地域住民に対する情報や感染予防の知識などの伝達体制が十分に整っておらず、人々は誤った情報や知識により混乱していました。一般家庭におけるエボラ感染者の不適切な看護方法や、葬儀の際に参列者たちがご遺体を素手で触るといった習慣が、エボラウイルスの感染拡大を助長しました。また感染者に対する差別・迫害が原因で、感染したことを本人やその家族が隠すといった現象が起こり、それも流行拡大の一因となりました。さらに感染から回復した生存者が、元の地域コミュニティに受け入れてもらえないといった差別も横行しました。
シエラレオネでは流行が終わった後も、エボラ生存者に対する差別が引き続き起こっていました。そこで私たちは、現地のNPO団体と連携して、地域住民への感染症や公衆衛生に関する啓蒙活動を始めました。現地でヘルスフェアを開催し、参加者の血圧・身長・体重・体温を測定して、健康に関するアドバイスを行いました。また日本から持ち込んだ巨大スクリーンやプロジェクターを街の広場に設置して、パブリックビューイングという企画を実施しました。エボラ・コレラ・マラリア等の感染症や健康問題に関する啓蒙ビデオに加えて、日本の高校生の和太鼓の演奏ビデオや映画の上映も行いました。パブリックビューイングは大盛況で(累計約700〜1000人近くの地域住民が参加)、地域住民の健康や感染症に対する意識を向上させるだけでなく、日本とシエラレオネとの文化交流にも貢献することができたと思います。
感染症に対する対応策として、診断・治療・予防法の確立が有効です。私はシエラレオネでの経験を通じて、地域住民の感染症に対する理解を深めることの重要性を実感しました。流行後の現地での活動ではトヨタ財団からのご支援を受けました。感染症に対してレジリエントな社会の構築を目指して、治療薬やワクチンの開発研究といった科学面からのアプローチに加えて、地域社会における啓蒙活動といった社会的な取り組みも続けていきたいと考えています。
公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.42掲載
発行日:2023年4月17日