公益財団法人トヨタ財団

助成対象者からの寄稿

「彼ら」を知るために「私たち」を理解する~アイデンティティーと「他者」とのつながりを問い直す枠組み

ウィメン・ピース・メイカーズ
ベトナムのフーコックでFLD方法研修を受けるタイのチーム。

著者◉ ハイマ・レイモンド、スーヒン・クリー(ウィメン・ピース・メイカーズ(カンボジア))

[助成プログラム]
2018年度 国際助成プログラム
[助成題目]
「彼ら」を知るために「私たち」を理解する―ファシリテイティブ・リスニング・デザインを用いた地域レベルでの共感の醸成 このリンクは別ウィンドウで開きます
[代表者]
スーヒン・クリー(ウィメン・ピースメイカーズ )

この原稿は英語原文を日本語訳したものです。原文はこちらからご覧ください。
Original English article is available here

「彼ら」を知るために「私たち」を理解する
アイデンティティーと「他者」とのつながりを問い直す枠組み

徹底的な傾聴による対話

5年前、私たちはカンボジアに住む「エスニックグループ(民族集団)」への理解促進を促す2つのプロジェクトを終えた。私たちがこの活動を始めた主なきっかけは、カンボジア社会の中に見られる根強い反ベトナム感情だった。この感情の背景が、政治的にも国民にとっても非常にセンシティブなものであったため、ベトナム系少数派グループを含むさまざまな少数民族を繋げるなど、より多民族的な枠組みを通して検討を始めた。より範囲を広げてベトナム系少数者を含めたことで、1つの民族グループに焦点を絞るのではなく、ある特定のグループだけに注目していると思われることを避けることができた。カンボジアの都市やベトナムとの国境沿いに住む少数民族との取り組みを通じ、多くの反省点や将来についての考えが頭に浮かんでいた。研究対象である事象をさらに深く理解するために、カンボジアを越えてこの地域を横断的に捉えてみることはできないだろうか。そこで、この経験を活かし、隣のベトナムやタイまで私たちの活動を広げてはどうだろうかと考えた。

私たちの活動は、「ラディカル・リスニング(徹底的な傾聴)」を用いる。この聞き方の実践にはまず、自分が他者を評価するときに感じてしまう偏見を、全て取り外すことが求められる。話し手が心開いて自由に語る空間を醸成し、聞き手は自らの先入観に基づいて反応することを抑えて傾聴する。まず、相手に対し挑戦的な質問をすることは控えなければならない。「しかし」は禁句だ。また、相手の話しに耳を傾けるなかで自分自身の聴く姿勢が変わり始めるまでは、頭の中で判断を保留しなければならい。つまり、他者から聞いた話しについて考えたり、反対意見を抱く衝動を抑えなければならない。一般的に考えられるアクティブ・リスニング(傾聴)とは異なり、必ずしも常に黙っている必要はない。相手に質問しても構わないが、相手の話しを問い質すのではなく、どのような質問をすれば相手が自分の話しを聞いてもらえており、理解されていると感じるのかを考えなければならない。

コミュニティマップ
コミュニティマップ

このような聞き方は、聞き手にとっても楽なものではない。意見が異なる他者同士でこのラディカル・リスニングを実践することは特に難しい。しかし、自分にとって重要な問題を考える際に、どれだけ先入観をなくして中立でいられるだろうか?研究対象となりうる地域社会で、今までの人生経験の中で自分が深くかかわっているテーマをリサーチすることは本当に可能なのだろうか?あまり知らない事であろうと、見方によっては熟知していることであろうと、ラディカル・リスニングによって常に新たな情報を得ることができる。異なるグループの考え方について研究すると、傾聴を通じて深い理解と複雑な力学の全体像が得られる。

カンボジアで数年間をかけ、私たちは独自の参加実践型アプローチ「ファシリテイティブ・リスニング・デザイン(FLD)このリンクは別ウィンドウで開きます 」を開発した。FLDとは、ある地域社会の居住者自身が、自分たちに関連する研究テーマを企画し、データ収集や分析などの活動を主導する、その地域社会を中心に行う研究手法である。「聞き手(Listeners)」と呼ばれるその地域社会の研究者は、「話し手(Sharers)」と呼ばれる研究対象者に話しかける。これは「インサイダー」研究として知られている。通常、聞き手はFLDを行う地域社会と同じ言語を話し、自分自身をその地域社会の一員であると考えるか、自らを重ね合わせている。敏感な文脈において、インサイダー研究には多くの利点がある。信頼してくれる人々、気さくに話してくれる人々、アウトサイダー(部外者)にはあまり理解されない敏感な問題について、複雑な力学に基づく人間関係にうまく対処できるような人々から、インサイダーはより正確なデータを得ることができる。その一方で、インサイダー研究は、先入観を持ちやすく、アウトサイダー研究のような中立性に欠けるとみられることがある。

通常の本文

FLD Listeners

Facilitative Listening Design (FLD)について
FLDでは、聞き手は自分たちの地域社会に戻って、この方法を用いた会話を行う訓練を受ける。指導や訓練を受けるなかで、FLDの方法論について学ぶだけでなく、より共感的な傾聴方法についても学び、さまざまな活動を経験する。いくつかの演習を通じて、聞き手は自らの先入観に気付き、傾聴に集中すべき時に言葉を差し挟みがちであることを理解する。聞き手は、FLDのルールやFLDに基づいて理想的な傾聴を行う場を醸成するコツを学ぶ。

まず、地域社会内の人々に話しかけ、話し手になってくれそうか判断する。FLDに基づく会話を始めるにあたって、聞き手は口頭または書面で話し手から同意を得なければならない。普通の会話のようにありふれた事柄について話し始めるのがいいだろう。話し手の家族のことや、そこに居住している期間、仕事が終わった後の楽しみなどについてだ。自然な形でお互いを知ることで、FLDの主眼であるより深い問題へと入っていくことができる。聞き手は決してメモを取らず、携帯電話などの電子機器をテーブルに置かないようにと指示を受けている。自然な会話のような雰囲気を作るために、話し手をお茶に誘ってもいい。会話の流れや聞き手と話し手双方の希望によっては、会話は1時間弱と比較的短い時もあれば、数時間も続く場合もある。FLDでは、その地域社会特有の文化に会話の糸口を見出すようにする。座って行うのが最も適切な場合もあれば、立ったまま行う方が適切な場合もある。アイコンタクトが大切な時もあれば、失礼にあたるので避けた方がよい時もある。指導や訓練を受けるなかで、聞き手はコミュニケーションにおける自らの文化的規範を共有し、現地に向かう前に試験的に行う会話でそれらを実践することが求められる。

現地でFLDに基づく会話を行った後に、聞き手は1人になりカスタマイズされた雛形に聴いた内容を全て記入する。記録したデータは後日、研究者グループ全体に対して共有され、分析される。何度か会話を行った後(本プロジェクトでは4回終了後)、2人の聞き手が聞いた内容全てを分析し、会話に共通したテーマやある話し手が持ち出したユニークな事柄を深堀りする。最終的に聞き手はそのデータを持ち帰り、研究者グループ全体に発表を行い、さらなる分析を行う。そしていくつかのテーマを特定し、優先順位をつける。FLDでは、研究全体の過程を、聞き取りで明らかになったことと同じくらい重要だと捉える。リサーチ活動を通じて起こった聞き手の変化、つまり複数の視点に耳を傾けることによりしばしば生じる聞き手自身の認識の変容も重要だと考えているからだ。

FLDを用いた調査と分析

カンボジアのコンポンチュナン州で水上生活をするベトナム系家族を撮影するカンボジアのチーム。
上:カンボジアのコンポンチュナン州で水上生活をするベトナム系家族を撮影するカンボジアのチーム。
下:ベトナムのチャビン省でクメール系ダンサーを撮影するベトナムのチーム。

研究の対象とする少数派グループは意図をもって選定された。カンボジアにおける少数派のベトナム系の人々は、複雑な歴史的、政治的、社会的な要因により、国民の多数派であるクメール人から長い間疑念の目を向けられ、常によそ者として扱われてきた。市民権に対する国家主義的な見方や帰属意識に基づく複雑な法律もあり、ベトナム系の人々は社会から排斥され、法的な立場が不明確で無国籍状態になるリスクにさらされている。

私たちは、何世代にもわたって居住しながらカンボジアでもベトナムでも市民権を明確にできていない水上生活者のベトナム系住民から調査を開始した。彼らは孤立し周縁に追いやられた生活を送って来ただけでなく、多数派のクメール人から少なからず見下され、カンボジア国内では「他者」として差別を受けてきた。そこから始めて、地域のコミュニティを形成していった。何世紀にも渡りベトナムのメコンデルタに暮らす「南部」クメール人にも注目した。1949年、クメール王朝であった地域がベトナムに組み込まれ国境が変わったことから、多くのクメール人がある日突然少数派グループとなってしまった。

タイのスリン県には「北部」クメール系住民がいて、彼らが保持する伝統的な文化や言語は、ベトナムの「南部」クメール系の住民のそれと似ている。しかし、クメール王朝滅亡後の1893年にシャム王国(タイ)に吸収されてから数百年が経過し、現代のカンボジアに対する彼らの繋がりは希薄になっている。カンボジア国外にいるこれら2つの少数派グループは、カンボジアのクメール人からは肯定的に、更にこの地域でクメール人が結束して暮らしていた過去の王朝への郷愁の念をもって受け止められている。逆に、カンボジアに住むベトナム系は、何世代にもわたって生活しているにもかかわらず、よそ者の移民として見られ続けている。このことを踏まえ、私たちはタイで長きにわたり移民として暮らしているカンボジア人労働者についても調査することにした。カンボジア国外にいる3つのクメール系の少数派グループは、クメール人の主流派と深い繋がりを持つと考えられ、ある程度において「私たち」とみなされていた。

活動や公開イベントで知りたかったことは、人々が「他者」と考える人物に共感できるかどうか、異なる文脈の中で自分自身をどう見るかという点であった。主流派とは「異なる」または「外国人」とみられる人々が暮らす多くの国々と同じように、カンボジア国内に住むベトナム系の人々は主流派のクメール人からは否定的に見られてきた。カンボジア人の多くは、彼らがベトナム語で話すことを快く思っていない。カンボジアにいるベトナム人は、同国に侵入し、侵攻する大きな計画の一翼を担っていると考えられていた。では、ベトナムやタイに住むクメール人はどうであろうか?カンボジア人は、これらの国に住むクメール系の人々がクメールの伝統や文化を実践していることを見て誇りを感じるのだろうか? 公用語が異なる国に何世代にもわたって住み続けながらクメール語を話し続けることはどうだろうか? 外国に住むクメール人少数者に対して誇りを抱けるのであれば、カンボジア国内にいる少数派の人々が伝統や文化、言語を維持している点にも共感を抱けるようになるのではないだろうか、というのが私たちの仮説だった。もしカンボジアの主流派クメール人がベトナムやタイで少数派として暮らすクメール系住民に共感することができるなら、彼らはカンボジアで少数派として暮らすベトナム系住民に対しても何らかの繋がりを見出すことができるのであろうか?

FLDは国境を越えて少数派グループを結集させるための重要なツールとなった。各グループはベトナム滞在中に訓練された方法でFLDを行った。3か国で自分たちの少数派グループのメンバーと計120回ほど会話を行った。FLDに基づく会話を行っている際に、聞き手と話し手の醸成する空間はとても重要になる。多様な地域社会で暮らす普通の人々に自らの経験を語ってもらい、考えや認識を見つめ直すことができる。この場合、少数派グループの一員であることが会話において1つの軸を成していた。

このことにより、話し手自身が、自分にとって地域社会の持つ意味を概念化することができ、少数者としてどのように人生を生き、文化や言語、他の民族グループとの関係など重要な要素を検討することができた。聞き手と話し手の間にある、変化を引き起こす空間は、情報収集や人々に自己表現の手段を与えるという点で重要になる。タイの参加者の1人は、この空間があったおかげで「聞かれてこなかった人々の声を聴く」ことが可能になり、特にタイ社会の中で注目されなかった少数派グループの声を聴くことができた、と語った。全参加者によって知見を生み出すこのような空間は、これまでの研究でも認識されていなかったわけではない。先住民族を対象とした質的調査方法の多くでは、研究者の知識を活用しつつ、研究者と参加者が知識を共創する。FLDに基づく会話では、聞き手と話し手は地域社会を理解するための本能的な感覚を共有しているという認識に基づいて、聞き手は、話し手が自分の人生について概念化し、自分にとっての人生や真実について語る空間を提供した。

聞き手は、半年後に再び集まってデータを分析。そしてその結果を全研究者に対して発表した。この分析、活動を主導してきた各国の主流派メンバーだけでなく、他の少数派グループとも知見を共有することに重きを置き、自分の意見を述べるようなことは避けたため、自分たちが聞いた内容を詳細に発表することができた。このような学びの場から本当の変容と相互理解が始まる。各国の参加者は調査を通じて得られたそれぞれの学びを発表する機会が与えられたが、より重要なことは、他の参加者の発表を聴く機会が与えられたことである。それにより、自分と他の人の学びの共通点と相違点について認識することができた。

国境を越えて話し手を結びつけるものは何かとの問いに対し、聞き手は思考、言語、文化、伝統、歴史、民族グループ、地域社会など、さまざまな答えを上げた。「私たち」を結びつけるものは何かと問われたことで、聞き手一人ひとりが自分たちの地域社会と自分自身について見つめ直す機会となった。同じ目標、異なる民族だが同じ人間であること、人間関係、開放性、理解、人間性、受容、そして共通する価値観などが挙げられた。データ分析後にFLDのプロセスについて振り返っていた際に、聞き手も自分たちの地域社会で行った研究の経験について話し合った。多くの場合、FLDによって聞き手は自分たちの文化により深く繋がり、自分自身の内面をさらに深く見つめることができたと感じた。地域社会の人々の話しを聴くことで、自分自身と自分たちのルーツについて学ぶことができた、と感じた者もいた。FLDによる接触(介入)の大きな成果の一つは、自分たちの多面的なアイデンティティをありのまま表現し、お互いの中に類似点を見出すことができるグループを築くことだった。少数派である部分のアイデンティティは、お互いを深く結びつけ、国境は意味をもたなくなった。

少数派グループは国境を越えられる存在

ベトナム・チームがベトナムにおける少数派クメール人ダンサーを撮影した映画をタイのスリン県に居住するクメール系住民に対して上映した。聴衆の多くがクメール系少数派グループに関するFLD調査に「話し手」として参加した。
上:ベトナム・チームがベトナムにおける少数派クメール人ダンサーを撮影した映画をタイのスリン県に居住するクメール系住民に対して上映した。聴衆の多くがクメール系少数派グループに関するFLD調査に「話し手」として参加した。
下:タイ・ブリーラム県にて、当該地域内で行ったFLD調査のデータを処理し、分析をすすめた。

傾聴の第2段階として次は、カメラレンズを通じて物語を語らせる、ストーリーテリングという手法が取り入れられた。FLDに参加した聞き手は、まず、人のありのままの姿を収めるために必要な映像制作の訓練を受けた。3日間にわたって、プノンペンの街中で出会った人々のショートフィルムを制作し、非常に短い期間で一般の人々に公開した。リーダーシップと映像制作の技術を学び、その後それぞれの地域社会に戻り、以前FLDに参加した話し手をショートフィルムに収めた。これらの映像は、少数派である各地域社会のメンバーの人生を描き、FLDデータを大きなスクリーンで上映するものである。このようなさまざまな形式を通じて、少数派の多様な側面を人々に経験してもらうことで、自らの人生と比較してもらうことが可能となった。(「パラレルライフ このリンクは別ウィンドウで開きます」を参照)

各地域社会から得られた調査結果を通じて、私たちは莫大な新たな知見を得ることができた。文化や伝統を実践することに対する誇り、国境を越えて他者と巡り合うことに対する強い思い、少数派として暮らすことの難しさなどについて学ぶことができた。プロジェクト全体としても多くの学びがあった。少数派グループは国境を越えられる存在だということがわかり、彼らが、文化や言語を通じて人々をつなぐ橋渡し役であり、類似する経験を持つこともわかった。各国の少数派グループを結集させた際に、国境による隔たりをほとんど感じさせない新たな空間が現れた。そこでは、国籍はほとんど意味をもたない。聞き手の間では多くの言語が話され、1つの会話の中で同時にクメール語、ベトナム語、タイ語、英語が話されていた。異なるグループ間でさまざまな共通点が見つかり、多くの驚きがあった。例えば、タイ北部のクメール系の人々の伝統的な儀式は、2つの国境線によって隔てられ800キロも離れたところにいるベトナム南部のクメール系住民がよく似た儀式を行っていた。彼らは自分たちの言語を比較し、共通する言葉や概念があることが分かった。また、カンボジアに住むベトナム系の人々は、主流派であるクメール文化に触れ知ってはいるものの、カンボジアでは頻繁によそ者であると感じ、自国にいながら少数者であるという感覚も共有することができた。

また、活動を支えてくれた主流派の参加者からも学びがあった。当初から計画されたわけではないものの、各国内での調整によって主流派グループから3人の参加者にも活動に加わってもらい、各国内で少数派グループの活動が順調に進むように取り計らった。少数派と主流派の両者が集まったことで、予期しなかった変化が生じた。ある振り返りのセッションで、少数派グループの一員ではないコーディネーターが「プロジェクトでは自分が少数派になったように感じた」と語ってくれた。彼女は、参加者の多くが会話に使用した言語を話せず、自国にある異文化に親近感を感じられず、他の参加者のように、自分が少数派であると思うことができなかった。彼女は、それまで考えもしなかったことを自国内の少数派グループから聞いた、と語った。この洞察は、少数派を国別ではなく国境を越えたグループとしてまとめることで、あらゆるアイデンティティの側面に意識が行き、国籍を超えた形で繋がることができるということを教えてくれた。また、「他者」に対するより深い共感を抱けるようになるために、自らを他者の「立場」に置くことで見方を変える試みが有効であることが証明された。

FLDのプロセスを通して起こる変化は、主流派のコーディネーターのみに生じたわけではなかった。自分たちの地域社会で活動するなかで、FLDと人を中心に据えたストーリーテリングの映像制作に影響を受けた、と聞き手自身も語った。異なる民族的背景を持つベトナムの聞き手は、自国内にいるクメール系少数派の地域社会に対してFLDを行った後に大きな変化を感じた。クメール語を流暢に話し、クメール文化や伝統に馴染みがあったものの、地域社会のメンバーに40回にわたり会話をする機会を得たことで、自分自身のアイデンティティを見つめ直すことに繋がった。「自分自身のクメール人としての文化的背景、アイデンティティをより理解することができ、他の人たちの話しに耳を傾けることで自分の中に何かが芽生えたような感じだ」と集計データを一緒に分析する時に語ってくれた。また、カンボジア出身の聞き手は、タイで長年にわたって移民労働者と活動を共にしてきたが、カンボジアとベトナムの参加者と共にタイ国内にいるカンボジアの移民労働者について研究をするなかで大きな変化を経験したことを話してくれた。研究から3年経ち、プノンペンで開かれた出版記念イベントで、彼は数年間で自分がどのように変化したのかを聴衆に向けて語った。

「以前は、ベトナム系の人々やカンボジアに住むタイ人は自分とは違うと考えていました。しかし、この活動を通じて、彼らと共生できることに気が付きました。私には、カンボジアのオッドーミアンチェイ州にいるベトナム人の友人がいますし、タイ人の友人もいます。一緒に楽しむことができるのです。私の住む地域社会にいるベトナム系の人々は友好的で、いつも食べ物や飲み物を分けてくれます。タイ国内の移民労働者は不当な扱いを受けていると感じていることを知っています。では、母国であるカンボジアで他のエスニックグループ(民族集団)の人々に対してそのようなことができるでしょうか?今では私たちはお互いに親しみを持って接しています。夜には一緒にお酒を飲んだり、サッカーをすることもあります」

彼の内省的洞察で分かったことは、他者の話に耳を傾け、自分たちの文脈を越えて考えることで(この場合は、国境を越えて少数派の人々が置かれている状況に自らを置いて考えること)、人生のある時点では共感を持てなかった「他者」に対する自らの考えを変えることが可能になるということだった。

アーティストとカンボジアに居住するベトナム系少数派グループが共同作業で写真に収めた水上生活者の村の光景「水上生活」の展示を見る客。
アーティストとカンボジアに居住するベトナム系少数派グループが共同作業で写真に収めた水上生活者の村の光景「水上生活」の展示を見る客。本展示会によって、人々が少数派グループや法的身分、強制移住など敏感な問題についてより間接的に話し合う空間が生まれ、より深い共感を醸成し、関連する地域社会の安全を確保することが可能となった。

「他者」へのより深い共感を醸成できるように

カンボジアのプノンペンで出版された「聞いているのは誰?+『彼ら』を知るために『私たち』を理解する」の単行本。
左:カンボジアのプノンペンで出版された「聞いているのは誰? 『彼ら』を知るために『私たち』を理解する」の単行本。
上:出版記念イベントで話すカンボジア、フィリピン、マレーシアの執筆者。
下:出版記念イベントで話すタイおよびカナダの執筆者。

最終段階では、プロジェクト対象の3か国に加え、マレーシア、フィリピン、アメリからの専門家や、またミャンマーで活動を行う人々とも繋がり、相乗効果を生み出すことができた。「彼ら」を知るために「私たち」を理解する、というコンセプトは、対象となった3か国に留まらない普遍性があることが分かった。誰もが、それぞれの文脈において「他者」を見つけることができる。民族や国籍、性自認、世代、宗教的信条やイデオロギーにかかわらず、いわゆる「他者」とされるグループの中に自分たちに何らかの関連がある要素や表象を見て取ることは可能だ。

このグループと私たちコア・グループの他のメンバーと共に、私たちは振り返るためのライティング・プロセスを開発した。私たちの研究をより広い文脈の中に位置づけるために、この地域で関連する問題やテーマに取り組む人々の力強い洞察を伴う形で、FLDを通じて得た知見を明らかにすることができた。その成果は、カンボジア、ベトナムやタイにいる少数民族の地域社会の中に深く根付いた活動によるものであると同時に、自らの文脈において「他者」の位置づけを模索している各地域また世界中の人々にも広く当てはまる視野を伴うものでもある。

この取り組みから得た経験と幅広い結果を通じて生み出されたツールは、本プロジェクトの期間中、広範囲にわたって情報発信することに寄与した。聞き手が制作した情感豊かな映画は、プノンペン(「上映会と対話 このリンクは別ウィンドウで開きます 」を参照)やベトナム、タイで当初から関わって来た地域社会の人々に向けて上映された。これらのイベントは、3か国の少数派の地域社会に関連する問題について、深い対話を行うために映画や視覚的なストーリーテリングを活用することができた。カンボジアの水上生活者の村落に住むベトナム系少数者の作るアート作品は、プノンペンで開催した素晴らしいアート展示会に出展された。それにより、それらの地域社会を特定することなく、敏感なテーマについて複数の議論を重ねることが可能となった。また、創造的な対話の空間を作り出したのみならず、強制移住や人々の間で否定的な感情が高まっていた大変難しい時期であったが、何らかの損害が起こりうる事態を避けることができた(「水上生活-ある地域社会とかつてあった家に関する生きた展示 このリンクは別ウィンドウで開きます 」を参照)。FLDで集めたデータを使用した同地域社会に関する報告書によって、ステークホルダーは変化する文脈やカンボジア内の少数派の地域社会が直面する状況をさらに理解することができた。(「岐路に立つ地域社会 このリンクは別ウィンドウで開きます 」を参照)

2022年の末には私たちの活動をまとめた書籍を出版した。この書籍では私たちのストーリーを伝えるだけでなく、読者自らが「他者」を認識する上で本に書かれている内容を当てはめることを促している(”Who’s Listening? Understanding ‘Us’ to know ‘Them’”(「聞いているのは誰?『彼ら』を知るために『私たち』を理解する」このリンクは別ウィンドウで開きます  )を参照)。また、国境を越えて居住する少数派グループの物語を再現し、登場人物やストーリーの個別性をぼかすことで各地域間に共通で見られる強い関連性や類似点を浮き彫りにした映画のラフカットを制作した。

エスノグラフィー的ドキュメンタリー「Where the Sun Sets(太陽の沈む場所)」は、素晴らしい映像や私たちの住む地域のさまざまな場所を描写し、少数派グループと彼らの「家」を一連のストーリーを通じて結びつける。それによって、「彼ら」を知るために「私たち」を理解するというコンセプトを観客に伝える作品となっている。プロジェクト自体の期限を越えて、この作品はディレクターズカット版も制作中であり、私たちのコンセプトと学びを多くの人々と共有すべく、世界中の観客に向けて上映されることになっている。これら全ての活動は新たな知見やコンテンツを生み出し、国連機関や主要な市民社会の担い手などを含む地位の高いステークホルダーに共有されている。彼らが受け取るのはデータや数字だけでなく、差別や排斥、法的身分、無国籍状態などの問題について、さらなる行動を求める非常に人間的なストーリーであり表現でもあるのだ。

少数派グループと密接に連携し、アイデンティティの境界を押し広げ、「私たち」とは誰か、「彼ら」とは誰かを問い直したことを通じて、この活動は主流派や多数派にも届ける必要があるものだということが分かった。アートやデータと組み合わせれば、ストーリー自体の持つ深さを通して人々を触発することができることが分かった。また、この活動は、多くのテーマや問題についてより広範囲な連携を通じて行動を起こせる大きな可能性を秘めている。私たちは今、このコンセプトを主流派の人々の間にも普及させることを目指している。少数派グループを集めるだけでなく、誰であろうと「他者」へのより深い共感を醸成できるようにしたいと考えている。アイデンティティの面白さは、それが単一の要素のみによって構成されているものではないという点だ。私たち一人ひとりが自分自身のアイデンティティをより深く分析し、「私たちの」グループの一員ではないと判断される人たちと繋がる「側面」を見つけることによって、「彼ら」を「私たち」にすることができるのである。

当該地域における民族的少数派の人々のアイデンティティと暮らしを描いた映画「太陽の沈む場所」のラフカットを上映
当該地域における民族的少数派の人々のアイデンティティと暮らしを描いた映画「太陽の沈む場所」のラフカットを上映、討論する映画監督と当プロジェクト代表者。同映画は、プロジェクトの成果および「彼ら」を知るために「私たち」を理解するという基本コンセプトを芸術的かつ人間味あふれる形で観客に伝える内容となっている。

公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.42掲載
発行日:2023年4月17日

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