公益財団法人トヨタ財団

助成対象者からの寄稿

「ケア」は「ケア」を意識した瞬間から「ケア」でなくなる

傾聴移動喫茶「カフェデモンク」
カフェの片隅に置かれたメッセージボード(2011年10月)

著者◉ 金田諦應(宗教法人通大寺)

[助成プログラム]
2012年度 国内助成プログラム東日本大震災対応「特定課題」活動助成
[助成題目]
東日本大震災「心と命」のサポートプロジェクト
[代表者]
金田諦應(宗教法人通大寺)

「ケア」は「ケア」を意識した瞬間から「ケア」でなくなる

2011年3月11日2時46分、大地の底からの微振動はやがて大きなうねりとなって約三分間、地球を揺らし続けた。その後の大津波は東日本の沿岸を襲い、多くの人と財産を奪う。その日の夜、とんでもない光景を見た。大地が鎮まり、津波が去った後、被災地を包み込んだ満天の星空。そしてその下にはおびただしい数の遺体と人々の叫びがあった。

人々は想定外のでき事の前に喜怒哀楽の感情が凍り付き、未来への物語を紡げなくなった。瓦礫の中にホッとする空間・安心して泣ける場所を作る。そこは破壊され、凍り付いた時間と空間を再び繋ぎ合わせ、共に未来への物語を紡ぐ場所。色とりどりの「スイーツ」と入れたてのコーヒーにスペシャルドリンク。美しい花飾りには花言葉を添えた。瓦礫の中にお洒落なカフェ空間ができ上がる。傾聴移動喫茶カフェデモンクの活動がスタートする。そして尺取り虫が泥の中を這いずり回るように活動を始めた。さりげなくカフェの片隅にメッセージボードを置いた(上写真)。

再生した海(2012年3月。提供:NPO法人「東北ヘルプ」)
再生した海(2012年3月。提供:NPO法人「東北ヘルプ」)

最初は誰も来なかった。しかし、そこに「居る」事に意味があるのだと自分たちに言い聞かせ、じっと待ち続ける。次第に人が集まり始め、カフェは悲しみの物語で満たされていった。

「どうして俺が生き残った!」「助ける事ができなかった」「誰が生と死を決めているんだ」私たち宗教者に向けられた答えようのない問いは、あらゆる宗教言語を拒絶する凄みを感じた。その場に居続けられなくなり逃げ出してしまう自分。現場に引き寄せられたり、逃げ出したりを繰り返しながら活動が続いた。

ある日、僧侶・牧師の仲間と犠牲者追悼行脚を行う。海が近づくにつれ、風の中に微かに磯の香が漂ってきた。やがて海岸に着くと、沖では漁師が海藻を採っていた。

「再生している!海は再生している!」私たちは再生の風の中に神仏の姿を見た。一つ一つの小さな命を包み込む大きな命の存在を感じる。そして破壊された海が再び蘇る様に「人は必ず立ち上がる事ができる」そう確信した。

「生きている事には必ず意味がある。共に未来への物語を紡いで行こう」

カフェデモンクの活動に確固たる座標軸が生まれた。

それから10年。活動は瓦礫の中から避難所・仮設住宅集会所、そして復興住宅へと続いていった。

鎮魂の祈り
宗教者たちが集い鎮魂行脚を行った(2012年3月)

「場」を開く力

人は自らの苦悩を「物語る」事によって再び立ち上がる事ができる。「物語る」事は心の中に溜まった悲しみや苦悩を解放していくプロセスである。そのプロセスはしなやかに揺れ動きながら決して途切れることなく永遠に続いていく。私たちの役割は物語が立ち上がる「場」を作る事。安心して語り出す事ができる「場」は、切に他を想う心─慈悲・愛─によって開かれていく。

しかしその「場」は同時にどうにもならない現実が突きつけられる「悲しみの場」でもあるのだ。他を思えば思うほど、どうにもならない現実がそこにあった。やがて慈悲・愛は行き場を失い暴走する。そして私たちは「慈場」と「悲場」の間を彷徨い始める。その場に「居続ける」事、それは逃げ出したくなる自分との対話(戦い)であり、私たちにはそこに踏みとどまる「耐性」が求められたのだ。そこに「居る事・居続ける」には「慈場」と「悲場」そのすべてを引き受けなければならなかった。

震災の夜の無数の星々。冷たくもあり暖かくもあった輝きの下で、人間の存在を超えた宇宙の哲理を感じる自己と、星空の下に浮かぶ無数の死体と人々の慟哭に引き寄せられる自分があった。震災の夜に見た満天の星空は一瞬、私たちにこの世の真理を垣間見せた。そして、あの時、自分の中には宇宙の冷徹な哲理と慈悲が同時に存在していたのだ。

遥か宇宙の彼方からの視線。超出した死生観によってコントロールされた慈悲がケアの「場」を開き続け、そしてそこに「居る」力を与え続ける。

「場」をほぐす力

行き場を失った慈悲と愛はやがて共感疲労を起していく。だから厳しい場所にこそ「場」をほぐす力が必要なのだ。カフェデモンクには遊び心が散りばめられている。メッセージボードに散りばめられた「モンク」「文句」「悶苦」の掛詞。BGMはビーバップJAZZのセルニアス・モンク。モンクの音楽は神懸った不協和音とルーズなテンポで貫かれている。それは被災した人々の複雑な心と歩み方と絶妙にシンクロする。

スタッフ同士はニックネームで呼び合う。「YFO・吉田」「シルビア・西島」。私はその風貌と眼鏡の形から「ガンジー・金田」。スピーカーは「BOSE(ボーズ)」。遊び心と真面目な軽ろみは「場」をほぐし、自分をほぐす。そしてほぐし、ほぐされた「場」から新しい物語は紡がれていく。

ユーモアは人間だけに与えられた、神的と言ってもいいほどの崇高な能力である(V・フランクル)。少し高い所から、全体を見る視点と感性。そこからそれぞれが置かれている状況を笑いに変える。人はその笑いの中から生きる力を得ることができる。共に悲しみと喜びの境界線ギリギリまで降り、そこから表現される神の言葉。仏の言葉。ユーモアは切に他を想う心、愛の心で貫かれなければならない。一瞬にして開かれる未来への物語。

ユーモアは愛の即興アート。互いに響き合う「色即是空 空即是色」の世界が立ち上がる。そしてその前では「ケアする者」「ケアされる者」の区別は意味を失う。

傾聴移動喫茶「カフェデモンク」
[左上]傾聴移動喫茶「カフェデモンク」の様子(2011年5月)。[中央上]カフェにきたお客さんとの記念撮影。左が筆者(2011年6月)。[右上]カフェモン号(2011年6月)。[左下]寺院にて(2011年12月)。[中央下]みんなで記念撮影(2012年5月)。[右下]協働する宗教者たち(2012年11月)。

暇げに「居る」事

心に傷を抱えている人は「ケア」という下心に敏感になり、決して心を開かない。そこに居ることが特別ではなく、何か昔からずっとそこにいたような、まるで空気のような佇まい。人は暇げにそこに「居る」人に心を開いていく。思わず話してしまうような佇まい。自他の境界線が限りなく透明で、悲しみを引き寄せる力を持った人。人はそういう人に近づいていく。

「ケア」は「ケア」を意識した瞬間から「ケア」でなくなる。「ケア」は「ケア」された事も「ケア」した事も、「ケア」の内容も全て風の中に消えていく様な「ケア」。その人が去った後に漂う残り香の中にこそ「ケア」の本質があるのかも知れない。

ケアとはその人らしい物語が立ち上がるのを支えること。ケアとは結果ではなくプロセスである事。ケアはあらゆる人・物が動的に関わり合う事によって放たれる一瞬の輝き、そして呟き。ケアは人と人、モノと人とが織りなすケア・アート。そしてその全ては、時間・空間の固定化を排除する流動的な「場」と、あらゆる時間・空間を引き寄せる寛容な「場」で成立する。

ともに「居る」事

震災から5年が経った2016年。
震災から5年が経った2016年。

震災から5年が経過すると、傾聴移動喫茶「カフェデモンク」は仮設住宅の風景の一部になっていた。

被災された方々はそれぞれが複雑な状況を抱え始め、そう簡単に解決ができない。私たちには困った人々に分け与える財力も、医療的技術や福祉・法律の知識などもない。しかし、いつもあなたたちの事を気にかけているという姿勢を崩したくなかった。

なぜなら、私たちは長い間、苦にもされず、あてにもされず、邪魔にもされず、その側に「居る」事を許されたのだ。そして被災された方々が、その苦しみや悲しみから立ち上がる時に呟かれる珠玉の言葉、私たちはそれを「聴く」ことを許されたのだ。何もできないけど、いつも共にいる。「not doing but interbeing」それが私たちの役目であり、被災された方たちに対する敬意なのである。

人の生きる場所

震災から10年目の2020年。傾聴移動喫茶「カフェデモンク」の活動は続いている。
震災から10年目の2020年。傾聴移動喫茶「カフェデモンク」の活動は続いている。

6年が経過した頃からある人は住宅を自立で再建し、ある人は復興住宅へと移り住んでいった。ほとんどの人はそこが終の棲家になる。ある日、誰も居なくなった仮設住宅の前で老人がため息交じりに呟く。「仮設住宅では薄い壁から聞こえてくる声に悩まされ、時には苦情を言い合い、時には助け合いながら必死に生きてきた。復興住宅では扉を閉めたらなにも聞こえない、そして、人の気配すら感じない。今思うと、人の住む場所って本当は仮設住宅のような場所なんだろうね」と。鉄の扉に閉ざされ、静寂な老いと病、そして孤独の影が漂う復興住宅では、仮設住宅での日々を懐かしみ、人間の生きる「本当の場所と繋がり」を問いはじめている。

東日本大震災から10年を経て、今世界は感染症との戦いが続いている。「場」を共有することの制限。共に「居る」ことへのためらい、そして恐怖。人類は生を共有し、そして死を共有する事によって文明を築き、文化を興して来た。私たちはあの未曽有の災害から共に生きる事の意味を突きつられた。今こそ、そこから得られた知見をもう一度振り返る必要があるのではないだろうか。それが逝ってしまった二万人近い人々の死を共有し、私たちの未来への物語の中に織り込み続ける事になるのだと思う。

公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.38掲載
発行日:2022年1月20日

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