情報掲載日:2024年9月26日
トヨタ財団50周年記念事業スペシャルトーク
トヨタ財団のこれまでの50年、そしてこれからの50年
公益財団法人トヨタ財団は2024年に50周年を迎えた。
これまでの50年の歩みを振り返るとともに、次の50年に向けてどのように進んでいくべきか。
これからの時代を担う若者であり
以前トヨタ財団の助成を受けたことのある米良はるか氏をファシリテーターにお招きし
当財団の会長である小平信因と同理事長である羽田正によるスペシャルトークをここに収録。
ファシリテーター:米良はるか(READYFOR株式会社 代表取締役 CEO)
1987年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、スタンフォード大学へ留学。帰国後、2011年に日本初・国内最大のクラウドファンディングサービス「READYFOR」の立ち上げを行い、2014年より株式会社化、代表取締役に就任。 World Economic Forumグローバルシェイパーズ2011に選出され、日本人史上最年少でスイスで行われたダボス会議に参加。2016年にはテレビ東京カンブリア宮殿に女性最年少経営者として出演。 Forbes 30 Under 30、日本ベンチャー大賞 経済産業大臣賞、ウーマン・オブ・ザ・イヤー2021 など国内外の数々の受賞経歴を持ち、現在は内閣官房「新しい資本主義実現会議」の最年少有識者を務める。
トヨタ財団のこれまで、そしていま
米良 ────────
トヨタ財団、日本が誇る最も大きな会社であるトヨタ自動車の基金から運営されている財団の、これまでの50年間の歩みをまとめていただいた資料を拝見したのですが、一企業の範囲を超えて、国や社会、世界のためにということを理念に掲げられて活動されてきたということにあらためて感銘を受けました。
トヨタ財団設立50周年にあたり、本日はぜひ会長と理事長のお二人から、とくにこの50年間のなかでのトヨタ財団が果たしてきた役割、あるいは、その役割を果たすなかで何をいちばん重要視されてきたのか、その辺りのお話をおうかがいできればと考えております。まずは会長からお話をお聞かせ願えますか。
小平 ────────
私はかつて経産省に勤めておりまして、トヨタ自動車で働き始めたのは2008年でした。トヨタ自動車でさまざまな仕事に携わりましたが、副社長の時には社会貢献事業も担当しておりました。50周年といっても私自身がトヨタ財団とずっと関わってきたわけではなく、副社長のときからトヨタ財団との関係が始まりました。 経産省におりました1980年~81年(当時は通産省)に日米自動車摩擦が激化し自動車産業の担当者として対応しましたが、当時のトヨタ自動車工業の社長がトヨタ財団を創設された豊田英二さんでした。
豊田英二さんは、戦後のトヨタの発展に大変貢献されましたが、自動車事業を通じて社会に貢献をすることを基本としつつ、広い視野に立っていろいろなイニシアチブを通して社会に幅広く貢献するという志を持っておられました。
その一環としてトヨタ財団を50年前に設立されました。トヨタ自動車のビジネスと離れた観点から社会全体に貢献をするというコンセプトで、民間のさまざまな活動を支援する助成プログラムを運営するという構想の下にトヨタ財団を創設しました。
50年前の日本ですから、経済もまだ成長を続けていた頃です。国際化の進展の中、東南アジアを中心に日本企業が海外への進出を本格化し始めた頃で、東南アジアを総理が訪問すると反日運動が起きるというようなこともありました。そうした時代背景のなかで、アジアを始めとする国際的な面も視野に入れて「人間の幸せ」という幅広い視点に立って研究事業や社会に貢献する活動を幅広く助成すること基本理念として発足し、以来トヨタ財団はそうした基本的な方針の下に活動を続けてきました。
資料で助成対象の内容もご覧いただいたと思いますけれども、助成の考え方や対象はだんだんと変わってきています。かつて政府の科研費はいわゆる人文系を対象としていない時期があり、そうした時期にはトヨタ財団は大学等で行われている人文系の分野での多様な研究に助成していました。私も、いくつかの大学で、「昔トヨタ財団の助成を受けたことがあります」と話される先生にお目にかかることがあります。その後人文系も科研費の対象になりましたので、その頃の状況とは違いますが、現在も大学等における研究に助成をしています。
もうひとつの重要な分野としてNPO等が主として国内で行うさまざまな事業に対する助成があります。後年NPO法が制定されましたが、設立以降のトヨタ財団による助成は結果としてそうしたNPO法の制定にもつながるような、日本のNPOの発展をサポートしたという面があったと思います。
この50年の間に国内の社会情勢は大きく変わり、日本の国際的なポジションも変わってきました。東南アジア諸国は急速に経済発展し、トヨタ自動車は多くの国や地域で事業活動を拡大してきました。アメリカ、ヨーロッパ、東南アジア等のトヨタ自動車の各事業体はそれぞれの国で社会貢献活動に取り組んでいます。そうした状況の変化を踏まえてトヨタ財団は10年ほど前から少し国内回帰というか、国内に重点を置いたかたちでの助成に転換を図っています。そのように、助成の対象や分野を情勢やニーズの変化に対応して変更しながら今日に至っています。
米良 ────────
時代の変遷やその背景に応じて、助成方針やテーマをいろいろに変えて来られたと。それは、日本の世界的な位置付けであったり、日本を代表する企業トヨタの事業の状況であったりとか、それらを鑑みて、さまざまなテーマをつくられてきたのかなと思います。では、テーマの決め方みたいなものは、どのようなかたちで定まっていったのでしょうか。まさに、手広くいろいろやられていらっしゃるということもいまお話にあがりましたが、その時々でトヨタ財団が何をなすべきかは、どういう考え方の下で決められてきたのでしょうか。
小平 ────────
日本はこれまで世界に先駆けていろいろな取り組みを行ってきましたが、日本の直面する課題が大きく変わってきている一方で、グローバル全体を見ると、残念ながら日本が劣後している分野が多くなったと思います。トヨタ財団は、その時々の時点で「先取り」をするということを財団活動の大きな特徴の一つとしてやってきましたが、とくにこの10年、20年の活動を振り返ると、先取りができていたのかという点を始めとして見直しが必要になっているのではないか。
国内助成プログラムをとると、分野を決めないでの公募に対して応募された案件の中から選考委員会がいわば「受け身」で助成対象案件を選定することで、かなり千差万別な案件が採択されている面がある。日本経済全体が停滞するなかで、助成の「実」をあげるという観点から、かつての助成がどのような成果につながったのか、そうした点についての評価が、かなり手薄だった。そこを改めて見直すとともに、いまとこれからの時代の課題は何だろうかについて議論した上で、ここ数年、研究、国際、国内それぞれの一般助成プログラムの焦点を少し絞りこんできています。
たとえば国内助成プログラムに関しては、日本の社会・地域社会の現状をみると、財政的にもマンパワー的にも政府も自治体も既に限界に来ている面がありますので、今後更に進む少子高齢化のなかで、日本における新しい自治のあり方はどういうものだろうかということを2022年度から公募のテーマとし、それ対応して応募された案件に助成を行っています。
研究助成プログラムに関しては、東日本大震災やCOVID-19をきっかけとして、それでもまだかなり一般的なテーマではありますが、2021年度から「つながりがデザインする未来の社会システム」をテーマとして助成を行っています。
少子高齢化が急速に進む中で日本は今後ますます「少数精鋭」の人材でやっていかざるを得ませんが、トヨタ財団として人材育成にどのような貢献ができるか。財団発足の経緯からいっても、奨学金支給プログラムを設けるのは難しいのではないかということで、議論した結果、研究助成プログラムに東京大学未来ビジョン研究センター(IFI)と人材育成をめざす協働事業プログラムを設けることにしました。IFIで研究するポストドクターの研究者を5年間助成する事業を2021年度から運営しています。
国内、研究、国際の一般助成プログラムに加え、より焦点を絞った助成を行うことをねらいとする特定課題助成プログラムがあります。
まず2018年度にデジタル、AI等の先端技術によって人間社会はどう変わっていくのか、変わっていかざるを得ないのかという問題意識の下に「先端技術と共創する新たな人間社会」という特定課題を設けました。当時は、欧米に比べると日本ではそういうことに関する研究が少ないのではないかという危機意識がありました。
もう一つの特定課題は、「外国人材の受け入れと日本社会」で、2019年度に始めました。少子化、高齢化が進む日本社会のなかで、外国人材が能力を最大限に発揮できる環境づくり、を始めとする5つの分野での研究や事業に助成を行っています。
米良 ────────
ありがとうございます。とてもよく理解できました。
いまおっしゃっていただいた「先取り」というキーワードは、すごく重要なのかなと思って聞いていました。また、たとえば科研費は人文系にはあまりなかったとか、NPOがまだないときに、NPOのような社会活動に対して積極的に助成していったとか──。それが後に、社会のいろんな方向性につながっていったというお話もあり、トヨタ財団のなかでは、いまはまだ議論が活発化されていないんだけれども、そこをテーマとして決められることによって社会を動かしていく、そういうことをすごく重要視されていらっしゃるんだろうなと感じました。羽田理事長にも、お話いただければと思います。
羽田 ────────
私は小平会長と違って、それほど長くトヨタ自動車およびトヨタ財団と関わりがあったわけではありません。トヨタ財団という名前は大分前から知っていましたが、各種助成に応募したことはなく、財団の具体的な活動についてもよく知りませんでした。ですから、5年前に突然理事長への就任の打診を受けた時は驚きました。
トヨタ財団の歴史については、理事長になって初めて学んだので、いま会長がお話になったことに特に付け加えることはありません。財団に来て私がいちばん驚いたというか、勉強になるなと思ったのは、人や社会と財団との密接な関わりです。大学で研究していた頃の私は、そこまで真剣に社会貢献や人間のより一層の幸せと自分の研究を結びつけてはいませんでした。多分、専門が歴史だからということもあったのでしょう。
ところが、トヨタ財団に来てみると、プログラムオフィサーをはじめとする職員と助成を申請される応募者の皆さんがともに、いかに社会と関わっていくか、いかに社会をいい方向に向けていくかということについて、具体的かつ非常に熱心に考えていらっしゃることにすぐに気づきました。やや外部者的な発言になりますが、この姿勢が素晴らしいと思います。もう遅すぎますが、私も見習わねばなりません。
先ほどおっしゃった「先取り」ですが、一人の研究者が現実の日本や世界を見て、何が問題で、それにはどう対処するか、それを解決するためにどうするか、その先にどういう未来があって、そのために自分たちは何を準備するのかということを考えるのは難題です。この種の質問に答えるには、ものごとを総合的にとらえねばなりませんが、研究者の多くはある特定の分野の専門家です。全体を俯瞰的に見ることは得意ではないし慣れてもいません。正直に申し上げると、私自身財団と関わったこの5年間でずいぶんと自分の視野が広がり、ものの考え方も変わったと思います。人や社会とトヨタ財団との緊密な関係はこれからもぜひ大事にしたい点です。
国家の役割と民間の役割、その棲み分け
米良 ────────
トヨタ財団の上位概念というか、確かに人間の幸せや社会の在り方とかの全体を俯瞰した考え方は大変素晴らしいと感じるお話でしたが、歴史的に見たときに、財団の位置付けとかこういう役割を果たしているんだなということを、少し引いた視点から見るとどうでしょうか。政府ではなく、民間のこういった公益セクターが果たす社会づくりの在り方というか必要性というか、理事長はその点をどのように見ていらっしゃいますか。
羽田 ────────
歴史的に見ると、いわゆる国民国家ができるより前の時代の政府は、たいしたことはやっていません。たとえば、200年前の将軍を頂点とする政府は、いまの日本国政府と比べると社会全体に及ぼす影響は限られたものでした。普通に生きている人たちは、そこまで政府を意識しなかったし、まして自分たちのために政府が何かをやってくれるとは考えなかったはずです。明治になって国民国家が立ち上がる過程で、国と政府が公共のすべてを管理する仕組みができ、ものごとがうまくまわるように、行政面ではさまざまな省庁が作られ、公共のうちでそれぞれが担当する領域が決まっていったのです。
しかし、人と社会に関わるすべての問題を国や政府が扱えると考えるのは、ある意味で幻想でしかありません。ですから、国ができないこと、国からなかなか目が届きにくいところについて、民間や民間の財団が、代わりに自分たちが何とか面倒を見ようと考えるのは当然だし、健全ではないかと思います。
米良 ────────
そのあたり、会長はどう考えられますか。
小平 ────────
私は、勝海舟が好きな人物の一人で、先日勝海舟の談話をまとめた 『氷川清話』を読み直しました。3回目ですが、しばらく間を置いて読んで、勝海舟のすごさを改めて感じました。そのなかに、「(明治政府の言っている)地方自治など珍しい名目のようだが、徳川の地方自治は、実に自治の実を挙げたものだ、名主といい、5人組といい、自身番といい、火の番といい、みんな自治制度ではないか」というくだりがありました。いまの社会の論調を見ていると、とくに私のような年配者の中には、何事につけ政府が対応すべきだ、自治体の役割だといった思いが強いのではないかと感じます。そこで、公助に加えて、自助、共助……。
羽田 ────────
互助。
小平 ────────
そう、互助ですね。そうしたことが重要と言うと、(政府や自治体が)責任を放棄しているという批判が出る。しかし、米良さんもそうだと思うのですが、そうした点についての認識は若い方々の間では随分と変わってきているのではないか。本来、自分たちがこういうことをやると。そういう意味では、トヨタ財団はもともと公的なところができない分野での事業を、とくに国内助成プログラムは助成してきていて、いまの時代を先取りしていたといえると思います。
米良 ────────
おっしゃるとおりですね。政府と民間の役割分担が重要であり、民間でもより公的な役割を広げていくべきであると思っていたので、お二人の考え方に共感します。そういう観点において、トヨタ財団が助成されてきたさまざまな取り組みが、その後、政府のフォローアップによって社会に実装されていくという橋渡し的な役割は、本当に素晴らしいなと思って聞いていました。
うまくいった部分、そうでもない部分
米良 ────────
次の質問ですが、この10年のプログラムを振り返って、すごくうまくいったなという部分と、もっとトヨタ財団らしくここまでやれればよかったなと思われる部分があれば、ぜひうかがいたいのですが。
小平 ────────
先ほど羽田理事長からプログラムオフィサーのお話がありましたが、トヨタ財団は発足のときから、それぞれの助成分野ごとに担当のプログラムオフィサーを置いています。トヨタ財団が他の団体と違うのは、プログラムオフィサーが、とくに助成対象になった案件についてはきちんとフォローするという点です。したがって、選考のときも、プロジェクトの中身をしっかりと見たうえで採択するということで、他の財団にはない仕組みでずっとやってきた。それは大きな強みだと思います。
一つの問題は、日本のNPOには基盤が弱いところが多い、これは日本で寄附文化が成熟していないとか、そうした理由もあると思いますが、リソースが足りない。リソースというのは、お金もそうですが、人材も同様で、そこが不足している。したがって、マネジメントもわりあい弱いところがあるというのが、残念ながら実態だったと思います。
トヨタ財団は、「トヨタNPOカレッジ カイケツ」というコースを毎年開催しNPOの方々から応募いただいて、仕事のマネジメントの仕方についてのトヨタ流の考え方をお伝えするということを実施してきています。トヨタ財団がどこまでできるかは別として、NPOのマネジメント力を強化していくことは重要な課題です。
NPOですから、当然、利益を上げることが目的ではありませんが、民間のビジネスのマネジメント手法を取り入れて実践していくことは考えていいのではないか。アメリカのNGOなどには、企業並みのマネジメント力を持っているところもある。日本を見渡すと、そういう組織はまだ余り多くないのではないか。 トヨタ財団は、そうした思いもあって、プロジェクトの助成申請においては助成を受けた後どう事業を持続していくのかの計画を提示していただきたい、その点も選考で審査しますということでここ数年取り組んできています。 また、近年の新しい活動、いわゆるソーシャルベンチャーといわれる事業、とくに若い方々が大変熱心に始めておられますが、財団の助成対象においてもそうした活動に対する助成にも力を入れていく必要があるのではないかと個人的には考えています。
米良 ────────
ありがとうございます。他にございますか。
小平 ────────
いまのお話の関係でもう一つ、この数年かなり力を入れてやっていることがあります。分野にもよりますが、NPOには、NPOどうしが連携して取り組む機会が多くないのではないか。活動の地域性が強いということもあると思いますが、狭い範囲で活動しているところが多く、経験とか知見とか、リソースをNPOの間で共有する取り組みや仕組みがもっとあってもいいのではないか。NPOの間での連携が進めば、リソースも効率的・効果的に使えるようになることも期待できます。
そうした思いもあり、最近、トヨタ財団がNPOのハブ機能のような役割を果たせないかという試みをしています。財団自体のリソースに限りがありますので、インターネットの活用を主体にNPOの関係者の方々がお互いに知見や経験を共有する場を設けたり、助成対象者の皆さんとの「合宿」を設定するなどの活動をここ数年進めています。
米良 ────────
まさに、継続的な資金と継続的に事業を描く力。先ほど「カイケツ」というプログラムのなかで、トヨタのいわゆるビジネス的な手法をNPOに伝えるというお話があったのが、すごく素晴らしいなと思いました。そういう意味でいうと、ビジネス人材がもう少しソーシャルセクターに本気で関わっていくというか、ボランタリー的に関わるというよりは、基盤強化や事業作りを一緒に担える人材の移動も必要であると思いました。
小平 ────────
同感です。ビジネス的な発想をすることに対してはネガティブな反応があります。自分たちはビジネスでやっているわけではない、社会のためにボランティアとしてやっている、それに対応する助成をうけたい、という申請も少なくありません。それはそれでいいとは思いますが、10年間の事業計画を立てて持続的にやっていく、そのプロセスの一環として財団から助成を受けて、それを基にして次につなげるという考え方に基づく申請はまだ少ない印象です。
しかし、若い方々を始めとして、10年等の長期を考えて進めたいという人は相対的に増えている気がします。そういう意味では、NPOや、社会的な事業に対する取り組み方も少しずつ変わってきているので、トヨタ財団のとくに国内助成プログラムはそうした状況の変化に対応して、助成の在り方を不断に見直していく必要があると考えています。
50年後の「人間社会」は?
米良 ────────
すごく重要なご指摘だと思います。ありがとうございます。
さて次のテーマで、これからの50年ということですが、先ほどからお聞きしていることと重複するかもしれませんが、これまでは日本の位置付けや社会情勢を踏まえて、トヨタ財団さんの助成プログラムが果たす役割をずっと考えられてきて実践されてきたと思われるわけですが、これからの50年の展望といったときにいかがでしょうか。
羽田 ────────
私は50年前にはもう生きていましたから、その時代といまを比べてみると、いろいろな点がものすごく変わっていることが実感としてわかります。いちばんの大きな変化は、情報社会におけるインターネットやソーシャルネットワークの登場だと思います。
その一方で、変わっていないものも結構ある。自動車はもちろん50年前にもありましたし、飛行機、電車、社会的インフラはあまり変わっていない。国もあったし、政府もあり、それほど変わっていないところもあるなと思います。そして何よりもそこには常に人間がいました。 ところが、これから50年経ったとき、人間は果たして存在しているのだろうかと私はやや懐疑的になっています。ここでいう人間とは、「ホモサピエンス」と私たちが定義している、現在私たちが人間だと思っている存在です。
三つくらい「人間がいなくなる」シナリオがあると思います。一つは、いわゆる核戦争です。起こったら、人間全員がいなくなるかどうか分からないにせよ、相当ひどいことになるのは確かでしょう。二つめは地球温暖化。これも人間が全部滅びるかは分かりませんが、場合によっては、滅亡という可能性もあると思います。三つめがいわゆるAIやロボットの進化、さらに遺伝子工学などの科学技術の急速な進歩です。50年たったときに、いま私たちが人間と考えているものと、たとえばAIが進化したものとの区別がつかなくなって、いま私たちが「人間社会」といっているものが存在するかどうか分からなくなっていることもあり得るのではないかと思うのです。
このような意味で、いままで何百年、何千年と私たち人間が培ってきた価値、常識、あるいはつくってきた制度や仕組みが、ここから50年の間に大きく変わりうるのではないかという問題意識を持っています。その際、何がいちばんのキーポイントかというと、それは科学技術です。科学技術の急速な進歩が、過去200年間の世界における経済的な発展や人口増加をもたらしました。この200年の人口の増え方と経済発展は驚異的です。これは科学技術の発展なしにはありえなかったことでしょう。
その一方で、これから科学技術だけがさらに先行してしまったとき、「人間社会」はいったいどうなるのかと思うのです。科学技術が一気に発展する前は、一言でいうと、「言葉の時代」でした。たとえばギリシアの民主主義という制度は言葉によって作られました。宗教は言葉を用いて世界の成り立ちや人々の倫理を教えていました。ほとんどすべての学問分野でも言葉を用いて議論が行われていました。その時代の科学技術は社会的にはほとんど意味を持ちませんでした。ところが、17~18世紀のガリレオ・ガリレイやアイザック・ニュートンの時代から、科学技術が急速に進歩し、世界の成り立ちや人間の行動のかなりの部分が科学、つまり数字と図表ですね、によって説明されるようになりました。いま、宗教が世界の成り立ちを説明していると考える人々は少数派です。その一方で、この間に言葉を用いる政治学、社会学、人類学、歴史学、倫理学などいわゆる文系の学問も発展し、現在私たちが生きている世界では、科学技術と言葉が両立し比較的うまく協働しています。退潮傾向にあるとはいえ、言葉もまだ、それなりに力を持っているのです。
しかし、ChatGPTが代表例ですが、いまや科学技術が言葉の領域を飲み込んでしまう「科学技術だけの時代」が間近に迫っているようにも見えます。そのときには、言葉の曖昧さ、微妙さと多義性やそれがベースになってできていた文化の価値や多様性が失われていくのかもしれません。0か1のデジタルな科学技術だけが絶対の「科学技術だけの時代」になったときに、いったい人間はどうなるのだろうか。だから、50年後には、いままでの数千年とはまったく違った未来が訪れているのかもしれないという気がしているのです。
米良 ────────
すごい。とても面白いです。
羽田 ────────
そういう世界の情勢のなかで、トヨタ財団はどうするのかという話ですよね。
米良 ────────
そうですね。まさに、AIの分野だともっとも心配されているのがその悪用です。
私がもともと起業するいちばんのきっかけになったのが、東京大学でAIの研究をしている松尾豊先生のところに通っているときに、テクノロジーで何かをしていくってすごく面白いなと感じたことなのです。ちょうどSNSとかが私の学生時代にできたぐらいだったので、そういった新しいテクノロジーを使って、人々の利便性を上げていくことをやりたいなと思ったというのが、そもそものきっかけでした。
AIが日本の産業変革を実現する上で大きな役割を果たすと思います。一方で、人の倫理的な面が置き去りになる懸念もあると考えています。
社会のあり方、人間とは何か、人間がAIとの共存の中でどうなっていくのか、いくべきか、多くの人たちと問題意識を持ち、検討していく必要があると思います。技術の進歩がすさまじいなかで、ビジネスセクターとのつながりが強いが故に、社会のあるべき姿を無視して、進化が進んでしまう恐怖も覚えます。そうした時に、トヨタ自動車が出捐企業である公益セクターのリーダー的存在のトヨタ財団さんの価値がますます重要になるのではないかと個人的には思っています。
羽田 ────────
トヨタ財団の設立趣意書を見ると、「人間のより一層の幸せのために」この財団を設立しましたと書いてあります。この部分は未来になってもずっと変わらないでしょう。とすると、たとえば50年たってAIと人間が一体化したようなものができていて、それが新たな人間でありその「人たち」が幸せを希求していたら、私たちはそれを支援しなければならない。だからこそ、人間とは何なのかということをまず考えなくてはいけないし、いまお話にあったような危険性や危惧があるなかで、50年たったときに私たちはどういう社会を実現していたいのかということをみんなで考えてほしいのです。
目の前のことだけに注目していても、いま何をなすべきかはよく分からないことが多いです。遠くを見て初めて気付くこともある。50周年という節目は、50年後の遠い未来を見て、いま、私たちは何をなすべきかということをもう一度考えてみる、ちょうどいい機会なのではないかと考えています。
小平 ────────
ある種、超長期のバックキャストということになるんでしょうね。 50年後の未来は、ものすごく不確実で幅があるので。今後の50年を考えるにあたって、良いケースから最悪のケースまで、いろいろ多様なシナリオを想定したうえで何をやるべきかを検討する必要がある。 そういう意味では人口問題一つとっても、種の保存本能がだんだん薄れていって人間が減り、AIが社会を動かすような存在になると人間はどうなるのか。人間が人間であるためにはどうしたらよいのか。はたして人間が人間などどうなってもいいと考えることができるだろうか。これから50年後の幸福な未来を実現するためにはどんな選択肢がありうるのか。日本ではそういう大きな展望のなかでものを考えるきっかけが少ないので、まさに先取りという意味でも、50年後の人間の幸福を考えることの意義があるのではないでしょうか。
米良 ────────
そうですね。長期的に考えて、幅広くいろいろなファクターがあるなかで、50年後が本当にどうあるべきなのかは、多様な人たちがしっかり話をしておくのは大事なことですよね。そうじゃないと、人間がいろんなテクノロジーやエンターテインメントにどんどん取り込まれていって、一人ひとりは多分幸せだけど、社会として、これがいい社会なのかしらというところで疑問が生じてくる。お二人のお話を聞いてそれでいいのだろうかという気持ちになります。
小平 ────────
それはものすごく重要なポイントで、また人口問題に戻ってしまいますけれど、人口問題を考えると、それぞれの人にとっては、子どもがいないほうが生活は楽かもしれない。しかし、みんなが子どもを産まなくなったら社会は成り立たなくなる。誰かに依存して社会はまわっていますから。そういう意味では、いままさにおっしゃった、それぞれのバーチャルな世界に閉じこもって、その人にとっては幸せということで本当に社会が成り立つのか。
羽田 ────────
いま、私たちは「社会」という言葉を使って話していますが、この言葉は明治になってからできたもので、それより前の日本語には存在しません。”society”という英語にしてもそんなに起源の古い言葉ではなく、歴史を振り返ると、そう遠くない過去のある時期に社会と呼ばれるものを人々が意識するようになり、重要だと思うようになったのです。社会よりは規模が小さい「コミュニティー」と呼ばれる多様な集団がありますが、従来は、さまざまな性格を持つこの集団が集まって社会という枠組みを構成しその枠の中で重要な役割を果たしてきました。
そう考えると、最近社会のさまざまな場面で目につく個々別々のバラバラな活動には、共通した問題点がありそうです。プライヴァシーの過度な重視やソーシャルネットワークサービスの隆盛などによって、個や個人の重視が当たり前になり、かつてのコミュニティーが壊れていっています。消防団とか自治会とか、PTA、労働組合、さらには企業もそうですが、こういった今までの社会を構成していたコミュニティーとその結びつきが失われ、バラバラで砂粒のような個だけの世界になっていく──。
したがって、将来の「社会」を考えるにあたっては、個が集まればそれだけで社会なのか、それとも、また新しく別のコミュニティー的なものをつくって社会を再構築するのか、あるいは、そもそも社会は必要なものなのか、そういう根源的な問題から考えねばならないのかなという気もしています。
米良 ────────
私は、日本においては、トヨタ自動車はもちろん企業のはたした役割もすごく大きかっただろうなと思っています。つまり、これまでは企業という基盤のうえにコミュニティーができていた。
でも現在の私たちは逆のスタートアップ側にいて、人材の流動性が非常に重要。人口減少もありますし、イノベーションを起こしていくためには必要という部分も大いに賛同しているものの、一方で、当たり前に日々つながっていたものが、常にすごく動き続けているんです。いま、自分で会社経営していても、長く働いてくれる方も当然いますけれども、最長で10年という感じ。ほとんどのメンバーは、2、3年で変わりますし、これから50年一緒にやりましょうっていうことにはなかなかならないなかで、自分が安心できる場所だったものがすごく変動している。だからまさに、新しい社会の再構築みたいなところで企業が果たす役割は結構大きいのではないかなということを思って聞いていました。
小平 ────────
確かに、心理的な安定性とか将来の見通しとかいった要素は大変に大きい。
個で、自分の力で生きていくとなったときの心理的な不安はとても大きいので、そういう意味では、日本はいい社会だったといわれることも多い。そのときの一つの基盤が企業でした。戦前は、いわゆる「集落」などのコミュニティーの力が強かった。しかし、戦後は、とくに大都市ではコミュニティーの役割を会社が果たしたという面が確かにあります。
そしていま、人材が流動化していくなかで、やっぱり人間は何かにつながらないとなかなか力を発揮できないところがありますから、これからコミュニティーをどういうところに求めていくか、これからの日本にとっての大きな課題だと思います。
50周年記念助成プログラムについて
米良 ────────
最後になりますが、50周年にあたっての記念助成プログラム「50年後の人間社会を展望する」というテーマについては、いまお話しいただいていたことなども、まさにこの助成につながる要素の一つかなと思います。お二人としては、このプログラムにおいて、どんな提案を期待されているのかうかがってもよろしいでしょうか。
羽田 ────────
50年後の未来構想なら何でもよいというわけではありません。トヨタ財団が助成するのですから、「人間のより一層の幸せ」という考え方は、当然ベースにあるべきでしょう。
その場合、先ほどの議論のように、50年後にAIと混ざったかっこ付きの「人間」が幸せだと思っていることを取り上げるのか、これまで私たちが時代ごとに幸せだと感じてきた現実的な価値観を重視するのかによって、採択される案件は全然違ってくるでしょうね。そのことも頭のどこかに置きながら、こういう50年後の未来が理想だと思う、そのためにいまこんな取り組みを進めたいといった内容を、率直に提案してくださるのがいちばんよいのではないでしょうか。
50年後の幸せがどんなものなのか、私たちが事前に「答え」を想定することはできません。私も審査に関わることになっていますが、こういう未来、こういう姿が私たちの目標だから、それに合うような提案を採択しようとは、まったく考えていません。さまざまな未来がありうるはずです。
先ほどの、人間と一体化したAIの話は、ある意味で非常に過激な未来像で、あくまでもたとえ話です。皆さんが個々に未来についてのお考えをお持ちでしょう。そのお考えを出発点に、人間の幸せとは何かに留意しながら、魅力的な提案をしていただくとよいのではないかと、私個人は思っています。
小平 ────────
私は、当たり前ですが、50年後には生きていませんが、現在20代、30代の人、あるいは自分の孫とかは、基本的には50年後もほぼ確実に生きています。そうしたこともあると思いますが、今の世間の議論をいくつか見ていると、若い人の中に「過去のよかった時代」にとらわれずに現実感覚を持って日本の将来を考えている方々が少なからずいると感じる時があります。
しっかりと現実感覚を持って50年後を、しかも、これまでの価値観にとらわれずに考えることのできる若い人が応募者のなかに入ってくると、とてもよいのではないか考えています。
この50周年記念助成に関しては、テーマがまさに50年後の人間の幸せということですので、財団が通常行っている他のプログラムとは質がかなり違います。このプログラムをきっかけに、そしてベースにして、さらに発展的な研究や議論が行われることを始めとして幅があり持続性のある活動に進化していくことを期待しています。