公益財団法人トヨタ財団

活動地へおじゃまします!

08 「よき隣人」となるための方法を探して

ミャンマー、ナンパン村インレー湖上の住居

取材・執筆:青尾 謙(トヨタ財団プログラムオフィサー)

活動地へおじゃまします!

 トヨタ財団の助成活動は、研究と実践、国内と国外にまたがり、規模の大小やテーマも千差万別ですが、それだけに助成対象先の方々から、多くを学ぶ機会をいただいているともいえます。今回は、アジア隣人プログラムの助成対象プロジェクトを通じて、各地での課題について理解を深めていく様子を、タイ北部とミャンマーを訪れた青尾がレポートします。

[訪問先]
タイ王国 チェンマイ市
【1】[助成題目]
パワーキッド─縫製・手工芸技術を用いたタイ在住ビルマ人移住者の若者たちへの企業家精神教育プロジェクト
【2】[助成題目]
労働移民に関するメコン流域の語彙─メコン流域での安全な移住に向けた地域ネットワーク構築と相互理解の促進

「流れる」東南アジア、「揺らぐ」タイ

チェンマイ
チェンマイ

今、東南アジアでは急激な経済成長にともなって、人の行き来が激しさを増し、多くの人が自国を離れ、他国に動いています。なかでもタイは地域内の経済成長の中心として、多くの人たちの受け入れ先となっています。
トヨタ財団では、2011年よりタイのNGO、「スタジオ・チャン」(Studio Xang)による、タイ国内にいるミャンマー移民の子どもたちへの職業訓練プロジェクトを助成しており、プロジェクトでは、北部タイに多く来ているチャン族(ミャンマーではシャンと発音)の子どもたちに、2年間かけて裁縫、アクセサリー作りなどの訓練を行います。

タイ北部の中心であるチェンマイ市は、活気がある中にも古い城壁や仏塔、水をたたえたお堀が残り、バンコクとは違った落ちつきを感じる街です。市内にあるスタジオ・チャンの事務所を訪れると、木々に囲まれた一軒家に、トレーニング用のミシンや材料が所せましと置かれています。自らもミャンマーからの移民である、プロジェクト責任者のフウェイさんに、まずタイにおける移民の状況を聞くと、フウェイさんは静かに話しはじめました。

左がフウェイさん
左がフウェイさん

「今、60万人ほどのミャンマーからの移民がタイ北部に暮らしています。多くの人は、建設工事での労働者や家事労働など、単純労働に従事しています」「もともとチャン族はタイ人と言語も文化も似ているので、溶け込むのにそんなに大変なことはありません。タイの人たちも、温かく受け入れてくれています」
なぜ人々が危険を冒して国境を越えるのかを聞くと、「理由は二つあります。一つは職を求めてです。ミャンマー国内で少数民族がちゃんとした仕事につくことは、たとえよい教育を受けていても、とても難しいのです。もう一つは不安です。少数民族は、迫害へのおびえを感じながら暮らしています。タイに来て、不安から自由になれました。もちろん、心の奥底では祖国に帰りたい気持ちはありますが」との答え。

タイの政府は、ミャンマー側で正規の出国手続きを経ないで移民となった人たちに対しても、柔軟な対処をしています。「私自身も10年以上前、まだ10代だったころ、歩いて国境を越えました。そこにあった難民キャンプで登録を受け、移民用のIDカードをもらうことができました。移民の子どもは、“書類を持たない移民”(いわゆる「不法移民」のこと)であっても、タイの学校で無料の義務教育を受けることができます。それでも、義務教育の後で上級の学校に子どもをやれる親は少なく、多くは12や13歳で働き先を探すことになります」

事務所内に並ぶミシン
事務所内に並ぶミシン

そのため、このプロジェクトは子どもたちの手に職をつけるものとして、親からも好評だといいます。「チェンマイには有名なナイトバザール(夜市)など、 観光客相手の手工芸品への大きな需要があります。私たちのアート教室で資質とやる気を確認した子たちを選びますが、子どもたちはみな真剣に取り組んでいます」
今後の課題は、訓練を受けた子どもたちが終了後、どのように仕事につき、あるいは自分たちでビジネスを営んでいくことができるかです。「子どもたちは商品の値段を決めるのに、原材料の価格だけでつけようとしたりするので、それに自分の労賃を加えるなど、ビジネスの基本から教えないといけません。今、地域の大学などとも協働して、ビジネス研修なども企画しているところです」

それでも、フウェイさんは周囲の支援と、やりがいについて明るく話してくれました。「大変なこともありますが、多くのタイ人や、外国人もボランティアとして参加してくれます。チャン族の一人として、若い人たちの手助けができてうれしいです」

移民を社会の活力として

MMN事務局の針間さん(右)と同スタッフのお二人
MMN事務局の針間さん(右)と同スタッフのお二人

チェンマイにはもう一つ、同じ問題を違う視点から見ているプロジェクトがあります。メコン・マイグレーション・ネットワーク(メコン移民ネットワーク、以下MMN)による「メコン地域移民関連語彙集・法令集」を作成するプロジェクトで、2009年から2011年までトヨタ財団の助成を受けました。このプロジェクトはメコン河流域各国の、移民に関する言葉や法律を比較し、政府の担当者やNGOが議論できる共通の土台を用意するものです。プロジェクトを進めてきた、MMN事務局の針間さんにお話をうかがいました。
「タイでは高齢化が急速に進み、移民なしでは経済が動かなくなっていることをうけ、実質的な受け入れ政策をとっています。タイの教育省も、移民の子どもに教育を与えることによって、『将来のタイにとって負担でなく、財産とする』という明確な意思を持っています」

移民は送り出し国、受け入れ国双方のメンツも絡み、なかなか表立っては語られにくい面がありますが、事態は徐々に変わっているようです。「少なくとも300万人はいると言われるこの地域の移民に関して、以前は消極的だった各国政府の対話も、ここ10年の間に少しずつ進み、送り出し国側でも、他国にいる自国民労働者を保護する担当官を大使館に置くなどの動きが出てきました」
「今回のプロジェクトは、今後有効に使えるツールの開発ができただけではなく、私たち自身にとっても、お互いの基本的な理解の違いを知る、貴重な機会となりました」プロジェクトの成果である語彙集や法令集の発表会見では、カンボジアの国務大臣から、その画期的な意義を賞賛するスピーチがあり、感動したそうです。

MMNは今後各国政府に対して働きかけていくだけでなく、メコン地域やASEANといった地域的な枠組みを利用して、政府間の対話を促進し移民の保護を進めていく予定です。「国同士では隣国間の国境紛争など、さまざまな問題があります。でも一般社会のレベルでは、移民排斥のような動きは出てきていません。メコン領域は文化的にも近しい部分も多く、移民による実質的な統合が進むことで、互いの理解が進む面もあります」

2つのプロジェクトから話を聞けたことで、全く異なる視点から、タイを中心とする東南アジアの移民の実情に少し触れることができました。タイが移民受け入れ大国となっていることは驚きでしたが、同時に、経済的な理由だけでなく、東南アジアの人たちの柔軟さや優しさのようなものが、移民を社会の一員として認め、社会の活力としていく、ゆるやかな流れにつながっていることがうかがえ、何か明るさのようなものが感じられました。

[訪問先]
ミャンマー連邦共和国ナンパン村
[助成題目]
ミャンマーインレー湖水産資源開発─魚養殖の導入と専業漁師の生活安定化促進

変わりゆくミャンマーの「現場」で

ヤンゴン
ヤンゴン

タイから、ミャンマーのヤンゴンに飛びました。この大都市では、イギリス統治時代の建物や黄金色の寺院、クラシックカーのような車が、真新しいビルや車に混じっています。道ばたでは、アウン・サン将軍やアウン・サン・スーチーさんのグッズ(カレンダーやキーホルダーなど)が売られているのが目につきます。人々の話を聞いていても、政治・経済や報道、研究、NGO活動などについて開放政策が進むという見込みで、これまで半ば鎖国体制にあったミャンマーが変わる予感が、町中に満ちているのが感じられました。
ヤンゴンの北、ミャンマー東部シャン州にあるインレー湖は山に囲まれており、空気もヤンゴンとは違い、ひんやりしています。このまわりには多くの少数民族が住んでいて、舟に乗って湖を進むと、足を使うこの地方独特のこぎ方で舟を進める漁師さんが見えます。

ナンパン村の人たちと。左手前がドー・ウィン・チーさん(後列左が筆者)
ナンパン村の人たちと。左手前がドー・ウィン・チーさん(後列左が筆者)

インレー湖上の漁村では、2010年よりトヨタ財団の助成を受けて、漁村での養魚プロジェクトを実施しています。対象村の一つナンパン村で、プロジェクトに参加している村人にお話をうかがいました。
元気なおばさん、ドー・ウィン・チーさんは外国人にひるむ様子もなく、「この家には、兄の家族など8人が住んでいます。最近は魚がとれなくなっているので、養魚プロジェクトに参加できて嬉しいです」と話してくれました。「私の小さいころ、漁師だった父親が一晩で何籠も魚をとったことがありましたが、そんな話は夢物語になってしまいました」「魚を出荷できるまで1年以上かかるので、餌になる草を集めるのが大変ですが、大きく育ててから売るつもりです」

インレー湖の水は、数年前までは飲むことができたといいます。しかし村人の生活排水や、湖の上の浮島で作物を育てるのに使う化学肥料によって、汚染はひどくなる一方です。
魚がとれなくなってきているので、漁師たちにとって養魚プロジェクトは大きな希望ですが、乾期には湖の一部が干上がってしまうこともあるので、環境の悪化が進めば、それすらできなくなってしまうかもしれません。それがついにはコミュニティ自体の崩壊につながってしまう可能性すらあります。今では、漁師たちの間でも、犯罪などが増えてきているといいます。このプロジェクトでも、養魚事業そのものの成功とともに、将来の村や地域を担っていくリーダーを育て、助け合いの精神を守り強めていくことが、大きな課題となるのかもしれません。

浮島の畑の間を独特の足を使った漕ぎかたで進む漁師
浮島の畑の間を独特の足を使った漕ぎかたで進む漁師

ミャンマーで農業や人材育成に取り組む日本人や、ミャンマー人の研究者の方々と話をするなかで、いくつか心配なことも聞きました。
その一つが、現(2012年2月)時点で、下水道処理施設や環境関連の規制がなく、その分野の研究者やNGO団体も少ないということです。そのような状態で開放が進み、外国の企業や工場が進出してくれば、急激な経済成長によるひずみや、環境の悪化は避けられません。それは日本を含めたアジアの各国が数十年かけてたどった道ですが、ここではほんの数年で起こってしまうかもしれません。
そんな将来への不安を感じながらも、同時にミャンマーで強く印象に残ったのが、人々の親切さと温和さでした。それは多くの人が仏教徒であり、日常的に仏に祈り、善行を積むことを心がけているためかもしれません。あるいは、これまで国外との接触が限られていたことも、関係があるのかもしれません。いずれにせよ、ヤンゴンの通りの角ごとに、小鳥に与える餌が売られている光景にはとても心温まるものがありました。

そんなミャンマーの人たちの心がすさんでしまうことなく、調和のとれた発展をとげていくために、国外からの支援、特にトヨタ財団は何ができるのか。出会った方々に、何が有用かを聞いていくと、色々な意見が出てきます。「日本の研究者と共同研究をしたい」、「タイなどの近隣諸国から経験を伝えることが有効では」、「若いミャンマー人が外国で学べる機会を作るのがよい」などなど。
やり方は無数にあり、そのどれがトヨタ財団のとるべき道なのか。今はできなくとも、将来やるべきことは何か。やってはならないことは何か。答えはすぐには出ませんが、考え続けることが、私たちトヨタ財団のプログラムオフィサーの大事な仕事なのだと思います。

日本とアジアの関係も大きく変わってきており、今では日本がアジアの途上国を支援する、というだけの関係ではありません。両者が同じ悩みをかかえることもあれば、むしろ日本に対してアジアが助けや答えを与えてくれる状況もあるのかもしれません。それでも、日本がアジアから離れて生きるすべはなく、ほんとうの意味で「よき隣人」となるための方法を、これからも探していく必要があるのだと思います。プロジェクトの現場を訪れることは、そこで出会った方々を通じて、そのための大切なカギを、数多くいただいているようなものなのかもしれません。

旅のアルバム

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コボレバナシ

湖上の歓待

心づくしの料理

ミャンマー、インレー湖の漁村では、湖の上に家屋が並び、村人は舟を自転車がわりにつかって家々の間を行き来します。僕もその家のひとつに招かれて、心づくしの料理をいただきました。ライスペーパーを焼いたもの、生地をこねて、金型をつかって半月形にした揚げギョーザのようなもの、などなど……。飲料水は素焼きのカメに入っていますが、これは中の水を冷やす効果もあるそうです。

おいしい食事のあとは、太鼓や銅鑼をつかった演奏がはじまり、僕もリクエストにお応えして一緒に踊りました。あまりのヘタさ(?)に村人も大喜びで、楽しい交歓の場となりました。遠来の人を迎える村人たちのあたたかい「作法」に、アジアならではの良き心遣いを感じ、いささか複雑な心境のままにアジア、そして日本の未来へと遠く思いを馳せるひとときとなりました。

公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.9掲載
発行日:2012年4月25日

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