選考委員長 國吉 康夫
大学院情報理工学系研究科 教授
特定課題「先端技術と共創する新たな人間社会」の選考について
2018年に開始した特定課題「先端技術と共創する新たな人間社会」の公募は、今年で6年目を迎えます。その間にデジタル技術は、私たちの生活にますます浸透していきました。いうまでもなくコロナ禍を経て飛躍的に促進された状況にあり、先端技術と人間社会との在り方をめぐる課題意識は、もう一段異なる領域に進んだように感じます。
本プログラムでは、こうした著しい社会的変化を踏まえ、本年度から新たな試みとして個人研究の公募を始めました。これまでは若手研究者がリーダーシップを担う共同研究を助成対象としてきましたが、急速に多様化する先端技術の利用と、それに伴う新たな課題に向き合っていくためには、より自由な発想に基づいた萌芽的な研究を支援していくことも必要ではないかと考えたからです。初年度ということもあり、個人研究の応募総数は12件とあまり伸びませんでしたが、さまざまな分野から提案があり、なかには研究者自身の専門領域を超えて、先端技術の利活用にかかわる思想的問題に挑もうとする意欲的な提案もありました。
共同研究プロジェクトには19件の応募があり、5件が採択となりました。個人研究プロジェクトも12件中5件が採択となりました。例年に比べ、やや応募件数が少ない傾向にありましたが、いずれも現状から生まれる問題意識に基づいた研究プロジェクトが採択された点が特徴的だったと思います。
以下に、採択となったプロジェクトから、共同研究と個人研究をそれぞれ2件紹介します。
〈共同研究〉
D22-ST-0013 赤坂 文弥(国立研究開発法人産業技術総合研究所人間拡張研究センター 研究員)
「Infrastructuring Living Labs-リビングラボ実践を支えるインフラストラクチャ構築」
地域社会が抱える課題をさまざまなステークホルダーらが「共創」によって解決へと導こうとする「リビングラボ」の手法は、日本でも増えつつあります。とくにデジタル技術を用いた社会サービスの提供に際して、企業や技術目線ばかりに陥らない方法として有効だと期待されています。しかし、リビングラボの核となる少数による話し合いのプロセスは、日本社会に馴染みのある手法とはいえません。本研究プロジェクトはこの点に注目し、リビングラボ発祥の地とされる北欧の民主主義的プロセスを参照しながら、日本社会に適したリングラボの実践を明らかにし、デジタル技術の利活用に向けたリビングラボのインフラ構築を目指す先進的な試みです。
D22-ST-0019 中村 賢治(群馬大学・数理データ科学教育研究センター講師)
「相互扶助関係を構築するメタバース空間とNFCを活用した服薬支援システムの基礎研究」
先端技術を用いて、高齢者同士の相互扶助による服薬管理の仕組みづくりを目指すプロジェクトです。高齢者xメタバース・NFCというのは大変意外な組み合わせですが、すでに100人規模の実証実験が進められており、ユニークな実効性のある取り組みです。メタバース空間であれば素性を明らかにすることなく人との交流が可能になるという利点があります。将来的には、その利点をどのような分野に活かすことができるのか、といった重要な議論への貢献が期待できます。
〈個人研究〉
D22-ST-0006 楠瀬 慶太(高知工科大学地域連携機構客員研究員)
「デジタルプラットフォームによる地域の文化資源継承支援モデルの構築-市民参加型GISの実践活動を通して」
オープンソース化されたGISを用いて、地域における文化資源の継承に向けた支援モデルの構築を目指す意欲的なプロジェクトです。低予算で、誰もが容易にアクセスできるデータを活用することで、歴史学がこれまで抱えてきた文化資源継承の市民協働という重要な課題に取り組もうとする点に特色があります。
D22-ST-0007 小林 正法(山形大学人文社会科学部准教授)
「テクノロジーの利用が認知機能に与える利益・不利益の解明」
メモ代りの写真保存や自動運転など、いまやテクノロジーが人間の認知機能を代替することは珍しくありません。そこで本プロジェクトは、デジタル技術の利用が人間の認知機能に与える影響を、功罪の両面から捉えることに挑戦します。コンピューターなどの支援技術に寄せる信頼の多寡によって、認知機能がどう変容するのかを検証する点や、記憶、注意、思考といった、より総合的な認知機能を研究対象としている点に特色があります。ここで得た知見をもとに、創造的なテクノロジーの活用に向けて、より大きな研究プロジェクトへと発展するよう期待を寄せています。
例年と同様に、本年度も先端技術の具体的な利活用にかかわるプロジェクトが多い傾向にありました。一方で、先端技術と社会とのかかわりや、新しい変化を問う内容のプロジェクトもいくつか見られました。後者について欲をいえば、設定した課題に先端技術がかかわることの必然性を、より説得性を持って説明することができるとよかったのではないでしょうか。先端技術と人間とのかかわりが深化するなかで、既存の社会システムの枠組みそのものを揺さぶるような、意欲的なプロジェクトが今後ますます増えることを望みます。