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JOINT42号 WEB特別版「On Site 京都:理想を現実的に捉え確かな人と人の繋がりを醸成していく」

JOINT42号 WEB特別版「On Site 京都:理想を現実的に捉え確かな人と人の繋がりを醸成していく」

※本ページの内容は広報誌『JOINT』に載せきれなかった情報を追加した拡大版です。

On Site 京都

理想を現実的に捉え確かな人と人の繋がりを醸成していく

安里和晃(あさと・わこう)
◉安里和晃(あさと・わこう)
京都大学大学院文学研究科准教授。フィリピン政府在外フィリピン人委員会、フィリピンのNGO、京都市内の小中学校などと連携したフィリピン系移民に対する支援を実施する。2014年、フィリピン大統領賞受賞。主な著書に『親密圏の労働と国際移動』(京都大学学術出版会)がある。2013年度・2014年度国際助成プログラム助成対象者。

これまでの活動状況

安里 京都大学の安里です。コロナ禍の前までは、日本のことを直接やるというよりは海外から日本を眺めるようなスタイルで移住労働者の研究をしていました。移住労働者との初めての出会いは1999年の香港で、その節は針間さんにお世話になりました。フィリピンの人たちが搾取されたり虐待に遭ったりするのを目の当たりにして衝撃を受け、帰りの飛行機の中では涙を流しながらノートを取った記憶があります。

家事労働者のいる国と福祉政策は密接に関係しています。香港、台湾、シンガポールは家族プラスアルファで家族のケアをしてくださいという政策をとっています。日本ではありえないと言われていましたが、ケアや高齢化の問題は日本の方が先鋭化しているので、ケアに従事する外国人労働者の導入は時間の問題だろうなと思っていたところ、2003年くらいに交渉が始まってフィリピンと日本の自由貿易協定の中に介護福祉士や看護師の候補者が入ってきました。このような国際動向の中、日本の福祉と移住労働者のことも研究の視野に入ってきました。

大きく変化したのは2020年の3月です。コロナによる混乱の中、在京都のフィリピンの方から連絡があり、ホテルが休業状態に置かれてしまって仕事を辞めた、もしくは辞めさせられたりして困っている人が多いと言われました。そこで、実状を調べる予備調査を行いました。困っている方から無償で情報を提供してもらうのには倫理的な限界を感じていたので、多めの謝金を用意して予備的調査を行いました。調査結果をもとに簡単なウェブでの調査も行いました。学生の提案もあり、経済的な影響を強く受けている世帯には、フードバンクと協力して食糧を提供してもらい、食糧を配布しました。ただ配るのではなく、できるだけ話しかけて孤立を防止したり、住宅確保給付金などの行政サービスにも繋げたりしました。食料配布の活動は現在も続けています。

針間礼子(はりま・れいこ)
◉針間礼子(はりま・れいこ)
メコン・マイグレーション・ネットワーク(MMN)リージョナル・コーディネーター、アジア移住労働者センター事務局長。2013年度・2015年度・2019年度国際助成プログラム助成対象者。

針間 メコン・マイグレーション・ネットワーク(以下MMN)のリージョナル・コーディネーターをしております針間礼子です。MMNは、移住労働者支援NGO、移住労働者の草の根グループ、研究機関で構成される地域ネットワークです。活動の主な目的は、メコン地域における移民の福祉、福利、尊厳、人権を促進し、移住労働者や移住労働者の権利擁護者たちの間で、相互支援と連帯を構築することです。

元々私は香港ベースで、香港のアジアン・マイグレーション・センター(以下、AMC)というリージョナルNGOで移住労働者の研究や彼女たちの権利保護、エンパワーメントに関する活動をしていました。AMCは香港にありますので、当時はアジア全体の研究もしながら、家事労働者として香港に来ているタイ、フィリピン、インドネシアの人たちの組合結成を手伝ったり、かなり草の根の活動をしていました。99年に安里さんが香港に研究にいらして、AMCが支援していたインドネシアやフィリピンの家事労働者組織のインタビュー等を手伝わせていただきました。その時、安里さんがインドネシアの方に「あなたはインドネシア語がとても上手だけど純粋の日本人なんですか?」と聞かれたのに対して、「僕は沖縄出身なので、純粋の日本人ってどういう意味か考えさせられます」と答えられた。この会話があとでディスカッションになっていたのがとても印象的です。帰りの飛行機で涙されたというのは初耳でした。

MMNの紹介に戻ると、AMCがイニシアティブをとって2001年から2003年にかけてメコン諸国(タイ、ミャンマー、カンボジア、ベトナム、ラオス、中国の雲南省)のNGOの人たちと一緒に、メコンの移民の状況がどのようになっているかCSO(Civil Society Organization)の観点から調べようと合同調査をしました。合同調査をする過程の中で明確になったことの一つが、メコン諸国の中でも移民への理解が各国によってかなりずれているということでした。これではアドボカシー(政策提言)をしようと思っても認識がずれすぎていてできないので、CSOがもっと協力して情報交換と意見交換をしないといけないということになりました。そこで、ネットワークとして組織的に協働していくという目的で立ち上げられたのがMMNです。以来香港のAMCがMMNの事務局の役割を果たしていましたが、2008年にはタイのチェンマイにもオフィスを作りました。事務局も増え、ネットワークも当時より増えて現在は約40団体が参加しています。

MMNとしての活動は、アドボカシー、合同調査、キャパシティービルディング、そしてネットワーキングの4つの分野になります。草の根レベルでの移住労働者への直接支援に関しては、MMNのメンバー組織がそれぞれの場所で各々の活動をしています。コロナ禍のときもタイに推計で約400万人いると言われている移住労働者たちは、コロナ感染への不安以上に経済的な心配が大きかったのですが、その状況に対してメンバーのNGOの人たちが動きました。MMNが始まったときの目的と似たものがありますが、それぞれの場所でそれぞれの活動をしても、政策としてなにが問題であると提起する部分では声を一緒にして伝えないとなかなかインパクトがないので、そこを合同調査してアドボカシーを行ってきたというのがここ3年です。

パンデミック下で顕在化する信頼関係の重要さ

利根 針間さんが最後の方におっしゃった草の根のこととアドボカシーということ、それから安里さんが海外の移住労働者の状況を研究して、日本にもいずれケアワーカーが来ると予想されたその通りのことが現在起きていて、その先が今日の話に関わってくるのかなと思います。

針間さんにお聞きします。香港の外国人ケアワーカーは増えていますか? 日本では足りないのでもっと受け入れたいという話になっています。もっと受け入れたい人たちと、送り出したい人たちの行き先の選択肢の広がり、両者のギャップなどはどのような状況でしょうか。香港としてはもっと受け入れたいのか、働きに出る側はもっと香港に行きたいという感じなのか、あるいは別の国が選択肢に入ってきてそちらに流れているのかなど、ご存知の範囲で教えてください。

針間 香港社会は変わらず外国人ケアワーカーを必要としています。なぜかと言うと、香港は高齢者介護も子育ても公的な受け入れ、支援体制がとても限られています。代わりにそれぞれの家庭が個々でフィリピンやインドネシア等の主に東南アジア出身の家事労働者を雇い、彼女たちにケアワークも家事一般も任せることで社会が成り立っている状況なので、彼女たちがいなくなってしまうと社会が立ち行かなくなります。日本では、保育園や幼稚園には延長保育があり、小学校には学童など何かしらの延長があって、大人は働こうと思えば働けますよね。でも香港の場合は家事労働者の方がいないと子どもの両親が働くことは不可能で、高齢者介護が必要な家庭の場合も同じです。社会全体が完全にこの仕組みに頼っているので、需要が減らない限りは受け入れ数も減らないと思います。ただ、香港が働き手にとって魅力的な場所かというのは別の話です。フィリピンの方から見たら考えるところがあると思いますが、それでも香港は地理的に近く、フィリピンコミュニティも大きくて安心感はあると思うので、一定数は香港に行きたいと思うのではないでしょうか。

安里 香港、シンガポール、台湾、タイ、マレーシアは、女性の就労促進を一つの柱として、基本的に家族で福祉を生産するという方針なので、家族プラスアルファの女性で賄っています。プラスアルファの女性というのはインドネシア、フィリピン、ミャンマーなどから来るわけです。現在の送り出し国も比較的人口大国のところはまだ余剰人口があると思われているので、フィリピン、インドネシアなどは将来的に送り出し国となることが予想されます。送り出し国の人口構成が変わって出生率も下がってきているので、おそらく人材の奪い合いはもう起きていますし、今後もサステナブルなのかは疑問です。

香港、シンガポール、台湾、タイ、マレーシアなど受け入れ国は多くあり、就労の選択は本人の判断だと思われていますが、そこには巧みなブローカーシステムなども絡んでいるのでさまざまな要因が重なっています。受け入れ国はさまざまです。香港は比較的NGOも多かったですし、リベラルなイメージは最近までありましたが、今後どうなるかはわかりません。シンガポールは家事労働者の妊娠が強制出国の対象となり、人権侵害がいろいろ指摘されてきました。台湾もいろんな人権問題が1990年代は指摘されましたが、その後は労働者の権利も拡大してきました。

利根 安里さんがおっしゃった、東アジアの家族観に関係してきそうですが、今までは東南アジアの方々は香港などに来ていたけれども、たとえば最近はタイが受け入れ側になってきているのではないか、という変化もありそうです。そういうところも少しずつ変わってくるし、いまは送り出す側と言われている国々に隣国から人が入ってくるかもしれません。そんな中この数年間パンデミックがあり、各国の対応はかなりバラバラでしたが、日本では移住してきた方々、いわゆる当事者たちの自助的な取り組みが散発的に起きていたという話をいろいろなところで聞きます。お二人が見た範囲、聞いた範囲ではどのようなことがありましたか。

安里 パンデミックの初期は教会も子ども食堂もクローズしていたので、そのようなコミュニティ活動は一時期かなり停滞したと思います。外国人関係について言えば、よくコミュニティ活動が盛んになったという話も聞きます。ですが、これは京都という場所柄もあるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。たとえばアフガニスタンから来た人は京都在住は少なくなかなか見えない存在です。支援のない退避生活はかなり大変です。結婚移民も宗教活動はオンラインで活発に実施されていたようですが、生活の困窮は大変なものでした。

今やっている食料配布は、それだけだとコミュニティの形成に役立つとは思いません。信頼関係を醸成し、交流していく中で点が線となり面として広がっていくのだと思います。また、食糧配布だけでは行政の支援にもつながりません。たとえば10万円の特別定額給付金がよく知られていましたが、より重要な住居の確保という意味での、住宅確保給付金や、緊急小口資金や生活福祉資金もありました。普遍的給付はよく知られていますが、困っている人に対する給付はよく知られていなかったと思います。パンデミック以前からコミュニティを築いておくというのは、予防対策でもあるのです。

利根 フードバンクの方に聞いたら外国人にも配布していいと言ってもらえたとのことでしたが、安里さんがアプローチする前に自分たちでそれをしたかったという雰囲気はありましたか。

安里 フードバンクに関心のある外国人住民はいるようです。私たちは車を使ってやや大胆に広範囲に動いてきましたが、すでにかかわってきた方々は身近な範囲で、たとえば困っている留学生がいるとか、というように動かれていたようです。なので、フードバンクとの連携は、私たちが初めてということではありません。ただ、私たちは主にフィリピン系の住民とのネットワークにアプローチがしやすく、しかし、ベトナムやネパール系とのネットワークは希薄、という特徴を持っています。その意味ではおのずと限界があります。

利根 資源としては元々あったけれども、どこかにバリアのようなものがある。でもそこさえ繋げれば本当はもっとスムーズにできるかもしれませんよね。今回は、たまたまフードバンクと関係のある学生がいて繋がったと聞きましたが、そういう繋げる役割の人がいるところといないところという偶然に左右されてしまいそうです。あるいは、フードバンク的な活動をしている方の横の連携がもう少しあるといいのかなとも思いました。横の連携ということはよく言われる話かもしれませんが、福祉に関わる人たちと外国人、そして国際交流に関わる組織や学校なども繋がっていなかった。そこがもともと繋がっていたら、もう少し違ったかもしれません。

安里 外国人コミュニティといっても、出身地、言語、在留資格によって生活のあり方がさまざまです。また、「コミュニティ」も目的がそれぞれありますから、いろんな意味においてコミュニティは常に「」付の、いわゆるコミュニティとされるものです。それぞれが1つの方向でつながっていくということは想定しにくいです。これは行政も同じで、行政サービスを提供すると言っても、行政も縦割りなので国際交流と福祉の間には大きな壁があります。教育と福祉に関する行政機関も外国人に対するアプローチは大きく異なっています。たとえば児童相談所をはじめとして、福祉系では外国に繋がる子に関する統計はまだまだ未整備です。そのため現状把握も遅れています。福祉=国民という考え方の名残があるように見えます。

利根 食料配布に限らず医療的なサービスや教育の提供など、地域内あるいは自助努力的にこのようなことを始めた、という海外での事例はありましたか。

針間 利根さんのご質問に対しての答えと、安里さんの話を伺ってタイと違うなと思ったところの両方をお話しします。まず、安里さんのお話で、日本の場合は国際交流という観点と福祉の観点がバラバラで、そこでなかなか外国人の方がまとまったサポートを受けられないというようなことでしたが、タイでは移民、移住労働者に対する行政の対応は主に、労働者の管理また労働権保護、 パブリックヘルス(公衆衛生)、また子どもたちに関しては教育を受ける権利の保護といった主に三つの観点が軸になり、国際交流という観点はほぼ聞かないので、そこは日本とは違うかと思いました。

草の根のサポートということでは、タイの場合も、NGOがそれぞれ活動している地域で移民の人への食糧配布やその他の支援を行っていました。移民同士のコミュニティも草の根レベルでお互いをサポートするシステムがあった場所もあります。

移住労働者の人たちが働いている場所に、食べ物や生活必需品を売りに来るフードベンダーの方たちがいるのですが、今はお金がなくても来月払ってくれればいいとか、お金ができたときでいいという感じで、本来はビジネスなのですが、困っている人たちにはそのとき現金がなくても食べ物を渡していたという話も聞いて、それはすごいなと思いました。売り手側も決してお金持ちのビジネスマンではなく、タイの豊かではない人や、ミャンマー出身の人たちが、お互いの大変さをわかっているから支えられる部分で支えていたというのがあったと思います。

一方、タイに約400万人いると言われている移住労働者の半分くらいは、いわゆる正規登録、残りの半分の人たちが非正規という扱いです。ワクチン接種が始まったときは正規じゃないと打てないとか健康保険に登録していないと打てないといったように政策がその都度変わっていたのですが、2021年の後半、滞在資格が非正規でもワクチンが無料で受けられ、またワクチンを打ちに来ても逮捕はしない方針を発表してワクチン接種を進めようとしました。実際のワクチン接種運営は赤十字が協力し、また移民の出身国の大使館も各々ワクチン接種の呼びかけをしていました。

その頃MMNが各国政府や、NGO、移住労働者の草の根の団体、国連等の代表を招待してオンラインにてマルティステークホルダーワークショップを行ったのですが、議論の中で、無料でワクチンを打てると言っているのにどうして移民の人たちはそのサービスを受けに来ないのか、と関係者の人々が口々に言っていました。私たちから見れば、20年間以上、移民、特に非正規滞在と言われる人たちは社会から疎外され、権利を侵害されてきました。コロナ禍になっても、ワクチンを非正規移民は打てない、保険に入っていないと打てない等、政策がコロコロ変わる中、ここにきて、非正規滞在の方も皆ワクチンを受けられます、信用してください、逮捕しません、ワクチンを受けに来てくださいと言っても信頼は一晩ではできません。やはり移住労働者の人たちと行政の間にお互いの信頼関係を普段から築いていないと、行政がいざ何かしようと思っても皆出てこない。それは一つコロナ禍の間にはっきりした教訓だなと思います。

安里 やはり行政が提供する福祉は基本的に国民のためにあるというのが原則なので、そうすると外国人に対してどこまで福祉を認めるかというのは、裁量的なところもあり、グレーなわけですよね。コロナ禍の行政サービスについては、緊急小口資金の場合には各区役所でも対応が異なっていました。

外国人を取り巻く国・組織・個人の関係性

利根 トヨタ財団で現在行っている「特定課題:外国人材の受け入れと日本社会」という助成プログラムを始める前にもどのような言葉を使うか議論しましたし、国際助成でアジア全体での人の移動のようなことを重点的にカバーしていた時も感じていたのですが、日本では「多文化共生」という言い方をしてきましたよね。外国人が地域にいるからその人たちと一緒に料理教室をしたりしてみんな仲良く暮らしましょう、みたいなことになりがちです。入り口としてはいいんですが、それが福祉との繋がりになったり、地域の小学校の先生と一緒にやるというところにはなっていません。国際交流は、中学生や高校生が他の国の文化をよく知りましょう、といった文脈があって、自治体の姉妹都市や学校の姉妹校の提携などでお互いをよく知りましょうということはしていても、それは労働や経済、福祉とは全く切り離されています。

地域にいる外国人に関心のある人たちが、お互いの料理を紹介するとかお祭りをやるみたいなベースがあるからほかの取り組みを受け入れやすくなったりする一方、外国人の高度人材や外国人労働者という話のところに国際交流の担当者はいないんですよね。福祉の人たちはそういう教育やトレーニングを受けていないまま外国人の担当をしているので、よくわからない、というのは仕方がないかもしれません。あとは医療もそうかもしれません。日本人相手の福祉の提供を前提としてきましたが、変わってきている現実に追い付いていない部分があると思います。

話がずれてしまいましたが、針間さんのお話や信頼関係とレジリエンス、ゆるさや柔軟性ですね。現場で対応する売り手の人たちがつけ払いにしてくれるようなことは日本のスーパーではできないでしょう。個人商店ならできるかもしれませんが、もうそれも難しくなっていそうです。いいか悪いかではなく、そういう特徴があって、これまでの関係性の中でやれることをやってきたのだろうと思います。

ここからは少し俯瞰のレベルを上げていきたいのですが、フードバンクのようなNGOと行政との繋がりは、日本だとあまりない組み合わせですよね。

針間 日本では、我々NGOがお声がけをしても政府の方はなかなか会議にいらっしゃらないイメージがあります。

安里 本来は教育、福祉、労働などの分野で地域と行政の繋がりはあっても不思議ではありませんが、少なくとも京都市ではその機会は少ないと思います。委任事務で忙しいのだと思います。

利根 先ほどのフードバンクや児童相談所の話で、データが揃っていなかったり共有されていなかったりというようなお話がありました。詳細なデータは個人情報もあって難しいかもしれませんが、自治体がNGOに状況を聞きに行ったり、できる範囲で情報を共有したりはできないのでしょうか。行政側がそのような情報をうまく活用しようと思っていなかったり利用できていないのであれば、どういうところがネックになっているのでしょうか。たとえば安里さんみたいな大学の人たちが間に入って、場を作るようなことは出てきているとは思いますが。

安里 そのためには行政側の一定の決断が必要でしょう。在留資格のいかんにかかわらずつながりを持つには災害対応や福祉が実施しやすいかもしれません。たとえば、1歳半、3歳児検診は悉皆調査を実施していますので、関係者は声掛けがしやすいかもしれません。国際交流センターも本来はそういう位置づけにあるのだと思いますが、指定管理になっていると行政とのつながりという点でも課題があるように思います。

2000年代以降、行政機関は取り締まりの強化を受け、外国人住民を合法/非合法で見る傾向があり、こうしたことが外国人住民を委縮させているところもあるかもしれません。在留資格や期間がいつまでかの前に、お隣の〇〇さんっていうとらえ方をする。そこから挨拶を交わしたり、おすそ分けをしたりするような、お付き合いが始まるわけです。どこかで人間的な付き合いがないと、特定の人を排除してしまうということになるでしょう。在留期間を超えて滞在すると「不法」労働者という表現をしますが、他国でも過料(反則金)で済まされる程度の行政罰で刑事罰ではありません。それでも行政用語は「容疑者」という言葉を使います。結局、こうした言葉遣いは外国人住民に対して「不安」を植え付けることになり、つながりにくいムードを生み出します。

ムードで言えば、新型コロナ感染症は移動が困難な状況が作り出され、人々の関心を内向化させる結果となりました。東アジアの地政学的な「リスク」を考えたときに、関心がそがれ、民間交流や民間外交が消えかかっており、軍事による抑止が相対的に強くなっています。平和構築の手段はいくらでもあるのに、発想がいきなり軍事に傾いていて、アメリカとソ連の冷戦下においてもあり得なかった動きが、近年活発化しています。人口減少社会で外国人人口が増大しているにもかかわらず、相互理解は進まずナショナリズムが強化されているのは皮肉でしかありません。これは日本だけの動きでなく、グローバルな現象と言っていいでしょう。

利根 阪神・淡路大震災のときは外国人の課題が可視化されてNPO的なものが盛り上がり、神戸を発祥とする外国人支援団体がいくつもできました。震災は避難場所があったり、集まらざるを得ないこともあり、みんなで団結しやすいです。対してパンデミックは徐々に大変になっていき、集まれなかったので体制が作りづらく、急に起こるというより徐々に締め付けられていくような感じで対応も難しかった。それが災害対応と一番違うところだと思います。

話を言い換えると、学びを生かせていない、振り返りがされていないといったようなこととつながるかもしれませんが、新たにでき始めている人間関係、特に民間におけるきっかけみたいなものは、次のパンデミックや、地震などの他の災害、あるいは経済的なショックなど多くの人がかなりの影響を受けるネガティブなことに対応するために活かしていけるのではないかと思います。それから、これは京都に限らず他の地域にしても、自分の国や縁がある地域に戻りたいという個人レベルの感覚の変化があるかもしれません。そういった考え方や意識の変化などが見えてきていることはありますか。

安里 京都での私の経験では、外国人のコミュニティは、必ずしもパンデミック対応としては有効に機能しなかったという気がしています。それぞれのコミュニティは宗教、親睦、スポーツなどさまざまな活動を実施してきたと思いますが、パンデミックや災害対応のための組織ではないわけです。異なる機能を発揮させるには、追加的な情報や資源の獲得、あるいはメンバーの同意などさまざまな調整が必要でしょう。私が知る限り、宗教的な自助組織はオンライン化し、逆に活動は活発化したかもしれませんが、それがたとえば、休業給付金などの行政サービスの情報共有につながるかといえば、それは別のことなのです。

留学生を多く抱える大学は、いろんなポテンシャルがあります。ただ、個々人の生活を超えたところでの活動をするには、大きな調整力が必要となるでしょう。


利根 大学は知恵もスキルも集まるところで、留学生もいます。京都には大学も高校もたくさんありますから、地域に還元して学生も教育的な効果を得ることを目的とするわけではなくても、そのポテンシャルは大きいと思います。

針間 NGOも学生の方が移住労働者の現実を理解するための現場にもなりえますが、難しい点もあります。チェンマイのMMNの事務局にも、学生さんからボランティアやインターンシップに関しての問い合わせがよく来るのですが、移住労働者の人たちと直接関われる活動がしたいと学生さんが希望しても、現実には移住労働者の言語が話せないと彼らが自分たちだけで移住労働者の方々と直接活動をすることは不可能です。この場合、レポートやニュースレターの編集等をしてもらうことになりますが、これでは彼らが本来関心を持っていることと、実際に経験できることにギャップが生まれてしまいます。それはMMNだけではなくてメンバーの組織も同じだと思います。

政治背景を超えた開かれたコミュニティ

利根 あえてちょっと乱暴な言い方をしますが、たとえば日本にいる人がアフガニスタンから来た人をサポートするよりも、タイの人がタイに多く来ているラオス、ミャンマー、カンボジアの移民移住者に対してサポートをするときの方が、地理的、文化的な近さでいうとギャップが小さいのではないかという気がするのですが、いかがでしょうか。

針間 ギャップが小さいというのはプラス面かもしれませんが、それは日本が韓国や中国と抱えているセンシティブな関係と一緒で、30~40年遡ってみたら国境で戦った経験がある隣国同士です。たとえばアユタヤに行ったらブッダの頭が破壊されていますよね。これはビルマ軍が壊したというのはみんな覚えているわけです。

利根 その政治的な関係は今も響いていますか? まだ根強いでしょうか。

針間 複雑に絡んでいると思います。言語や文化がすごく近くて仲間意識がある方たちも多い中、祖父母世代、もしくは両親の世代まであった敵国イメージというのはすごく絡み合って今でも存在していると思います。また、タイの経済発展とミャンマー、カンボジア、ラオスといった隣国間の経済発展には大きな格差があり、それがお互いへの感情をより複雑にしている一面もあります。

安里 タイでは、隣国を見下すような言説が存在したことがあったと思いますが、この20年くらいでかなり変わったような気がしています。あそこに行くと運がよくなるらしいなんて言いながら、ミャンマーに観光に行く人が表層的には増えている感じがします。

針間 クーデターの前までですが、ミャンマーの人と結婚していると聞くと、はっきり言うわけではありませんがへぇそうなんだという感じでなんとなく見下していたような態度をとっていた人が、2011年以降、ミャンマーで民主化と経済改革が進められ、これからの投資先として各国から注目をされ始めたごろから、ご主人はミャンマーのどこ出身なの? という感じで積極的にコンタクトを取ってくる人が増えたというのはよく聞きました。ミャンマーで起業したり、ビジネスのチャンスがあるという見方をし始めていました。もちろんクーデターが起こってからそれをタイの人がどう見るかというのはまたすごく複雑なものがあると思いますが。

利根 日本人と韓国人、もしくは日本人と中国人が留学先で一緒になるとすごく仲良くなることってよくありますよね。東アジアグループみたいな感覚なのかわかりませんが、あれがとても不思議です。僕が見た感じだとカンボジア人とミャンマー人が海外で出会った場合にも同じようなことが起きていて、これってとても重要なことなのではと思っています。どうしても自国コミュニティで閉じてしまいがちですが、そこで何かブレイクスルーが起こせるといいのかなという気がしていて、日本にいるカンボジア人とミャンマー人とタイ人同士、センシティブな関係だけど、今一緒に日本にいる人たちっていろいろ大変だよね、みたいなのはあると思うんですよね。

安里 日本にはASEANスポーツ大会のようなものはないんですか?

針間 ずっとやりたいと思っているんです!サッカーチームはバラバラにあるんですよ、Vietnamese Football Associationとかありますし。ASEANが無理だったらメコンでもいいからサッカートーナメントとしてできるといいと思います。メコンカップとか。

利根 開催場所を第三国にするというのがポイントですね。京大に留学生のチームはないですか?

安里 京大にあるかはわかりませんが、フィリピン系住民はよくチームを作ってバスケットボール大会をしています。カタールやアラブ首長国連邦ではASEANレベルでの競技会があるとよく聞きました。日本でもこうした交流に成長していく可能性は十分あるでしょう。日常生活を豊かにしていくことが、あるいみコミュニティを形成していくことにもつながるでしょう。

利根 目線をずらすというわけではありませんが、そういう場を作っておくのはすごく重要だと思います。外の国、日本にいるのは大変だけど一旦それは置いておいて、一緒にサッカーをしようというのは抵抗感を持ちにくいと思うんですよね。行政も企業もスポーツ大会はやりやすいですし、それができればほかのことが乗せられますよね。たとえばどういう人がいるのかというデータが取りやすいし、何かを配布するようなこともできる。

針間 ただ全国となると移動費がかかるので、予算が必要になるというようなところもあるので、まずは関西でやりましょうか。

利根 行政の人を排除するわけではないのですが、こういうことは基本的には民間イニシアティブでやるほうがいいですよね。持続性の問題やお金の問題はありますが、民間の中でも教育機関がやりやすいと思います。行政が入ってくる場合の関係の作り方などは大変かもしれませんが、やれる範囲でボランティアベースでやっていくことはできると思います。第2、第3の目的を入れずに純粋にやって、トラブルもあるでしょうけどそれも解決していきましょうみたいな感じで。

針間 イベントを機会に移住労働者が組織化できることもあるかもしれないと思います。先ほど香港の家事労働者の話をしましたが、香港には家事労働者労働組合がいくつかあります。AMCがサポートして90年代半ばに家事労働者の労働組合として最初に組織化されたのが、Asian Domestic Workers Union(ADWU)でした。ADWUは、出身国に関わらず家事労働者として働く人たちが皆一緒に自分たちの労働権に対して取り組んでいきましょうというスーパーユニオンでした。

当初は組合数も多くて活動も活発だったのですが、時間が経つと難しい問題が出てきました。それはADWUの組合員の関心ごとが多様すぎたことでした。たとえばフィリピンで移住労働政策が変わり、ADWUとして意見書を書くなり、キャンペーンをしたいとフィリピン出身の組合員が言っても、それはタイ出身の組合員にとっては直接関心のあることではない。限られた時間の中で優先したいと思うことのずれが重なっていって、結局ADWUはだんだん弱くなってしまいました。ADWUの経験をもとにその後の香港の家事労働者の組織化は、個々の目的に沿った組織が普段は別々に活動し、必要な時だけ協働する方向に変わりました。

労働権向上への取り組みを最優先する労働組合という形態に抵抗感がある人たちもいて、かわりに毎週一緒にビクトリアパークで音楽をしようという目的で登録したグループや、毎週一緒にお祈りをするという目的で登録したグループもいました。それぞれ違う目的でグループ登録して日々の活動はばらばらだけど、香港で働いている家事労働者全体に対して影響がある問題、たとえば香港政府による外国人家事労働者への政策変更のときなどは一緒に活動するようになりました。それがとても良かったので、ちょっと話が飛びますが、最初はサッカーで集まればいいと思うのですが、その中から子どもの教育について考えるグループが出てもいいし、女性の権利に関して一緒に考えようとか、もしくは料理を教えあうとか、いろいろなグループができていながらもそれが緩く繋がれるような形態ができたら理想的だなと思います。

安里 香港では職工会(CTU)という家事労働者の労働組合が組織化されましたが、あれにはびっくりしました。外国人が中心となった労働組合がローカルな労働組合を組織化し、それが外国人の労働組合を支援するという流れに感心したことがあります。

利根 そもそもAMCはどこが中心になって始めたのですか 。

針間 Christian Conference in Asia(CCA)というカソリックの団体があるのですが、AMCは最初はCCAのプロジェクトとして始まりました。CCAはそれぞれの国にメンバーの教会組織があるアジア全体のネットワークで、CCAの事務局にありました。香港には昔リージョナルNGOが数多くあり、さまざまな国の方が活動していて、CCAもAMCも香港人がリードしたという感じではないと思います。CCAのスタッフはフィリピンの方も多かったです。

利根 そういう発想を持ち始めたところが面白いなと思います。声を届けられない人たちの声を集約しようと誰が言い始めたのかなという点です。日本なら日本人が中心になってやっていくのか、いわゆる当事者と呼ばれる人たちがやり始めるのか。でも当事者中心だと今のお話しのようにタイ人が始めるとタイのことが中心になってしまう。

針間 CCAが活動を始めたときは、香港で搾取されているかわいそうな外国人家事労働者の人たちに対して何かしてあげなければいけないという施し的な感覚だったと思うのですが、一旦AMCが始まったら、もっと根本的な状況の改善に取り組むようになりました。最初のエクゼクティブ・ダイレクターはフィリピン出身の方だったのですが、電話のホットラインやシェルターの提供といった困った状況にある外国人家事労働者の人達を助けるの活動を5年間ほど続けた後、このような活動だけをいつまで続けても家事労働者の根本的な脆弱性は変わらないため、政策そのものを改善していくためのアドボカシーに活動の中心を移していきました。それが90年代。同時に、外国人家事労働者の人たちを組織化して、彼女たちの声を可視化していくための取り組みにもかなり力を入れるようになりました。

子どもや家族を軸にした関係づくり

利根 サッカー大会の話もそうですが、共通項づくりというのはとても大事だなと思っています。今の個人的な関心ごとでもあるのですが、子どもを軸にしていくとその家族がどこの国の人かは置いておくことになります。自分の子どもの同級生とその家族なわけですから、その親とどうやって関係性をもっていくか。そこを基盤にしていくと、いろいろとやりやすいかなと感じます。

安里 このあとに行くコミュニティカフェ「ほっこり」では子どもクラブというのをやっています。京都だと放課後に主に活用される児童館に月に1万円くらいかかるらしく、利用を断念する家庭が結構あります。その中には移民も多いわけです。なので、ほっこりカフェで児童館を利用できない子どもたちを対象に、その受け皿を作れないかということで、月曜日から金曜日に実施しています。フィリピン系、中国系を含むいろんな子どもたちが参加しています。この取り組みは行政によるのではなく、インフォーマルなものですからフレキシブルでいろんなことができます。

利根 それは完全にオーナーの自主的な取り組みなんですか。

安里 そうです。カフェ自体が、コミュニティのセーフティネットの構築を目的としています。子どもたちをめぐる問題がいろいろあることについて認識が及んだことで、放課後の受け皿と居場所が必要だということになったのです。子どもクラブの運営には3つのコミュニティ組織がかかわっており、それぞれ役割が違います。「ほっこり」自体は地域の在日コリアンを主体とした組織ですが、こどもクラブにはフィリピン系の自助組織もかかわっています。「ほっこり」にはフィリピン系の食品も置いており、収益の一部は子どもクラブなどコミュニティ活動に割り当てられます。私はフードバンクとも提携しながら必要な食材を確保したり、学生の支援者を募ったりしています。

針間 私の実家の山口県宇部市にもそういうところがありました。外国人の子どもたちということではなくて、経済的に余裕のない家庭の子どもたち全般を対象にしています。地元で小児科医院を開業されている方が子どもたちの現状を見て、貧困家庭に生まれた子は教育やさまざまな経験をする機会が限られ、このままでは子どもたちの将来の可能性にあまりにも格差が生じていくと危惧され、日本財団からの助成金も受け、放課後に立ち寄って地元の大学生のボランティアの方に宿題を見てもらったり、一緒に遊んだりできる場所を設けられたそうです。山口大学の医学部が宇部市にあるので、そこにも医学部の学生さんたちが来て宿題を見たりしていたので、似ているなと思いました。

安里 どこもローカルなイニシアティブに頼っているところがあるから、なかなかそういうところで得た経験をより大きなレベルで生かしたりすることは容易ではありませんね。ローカルリーダーも生活に余裕がなかったりすることも多く、生活基盤の確保すら難しいことがよくあります。そのため、ローカルなリーダーは孤立していることも多々あり、自助組織どうしの交流で学び合いのようなのがあってもいいでしょうね。

針間 モデル化だとトップダウンになってしまうと思うので、対話や共有が必要かなと思いますが、思いっきりトップダウンでシェアできるものもあると思います。たとえば外国人労働者として日本で働いているときに妊娠出産の権利はどんなものがあるかということを多言語で出版したら、それはどこの都道府県でも使えるはずです。

あとは制度があっても必要な人材とどのように繋げていくかということも課題かもしれません。自分の話になりますが、日本に引っ越してきて日本語がまだ弱い息子が小学校に行き始めたときにサポート体制について確認したら、宇治市では20時間までアシスタントティーチャーについてもらえる制度があると言われました。ただ、実際にはそれをできる人がなかなか見つからないと。

安里 要件はどうなっているんですか? 学生でも可能?

針間 たぶんできると思います。ボランティアではなくて市が予算をつけている事業です。やりたいという人はいると思うのですが、それが繋がっていないんですよね。

安里 大学は学生が多いので、そういう意味ではいいと思います。でもコミュニティ活動は大学ではそれほど重要視されていません。教育学部の学生でも地域の小中学校の学習支援のことを知らなかったりするわけですから、文学部ではもっと知らないでしょう。こうした経験は社会を見る目を変えていきますから貴重なものです。就職した生徒から、日本語教師の資格を取りましたという連絡がありました。それは学習支援がきっかけで何かしたいという気持ちがずっとあったからだそうです。人それぞれの状況がありますから、みんなが行動できるわけではないと思います。しかし、こうした経験は多様な社会の一端を見ることのできる貴重な機会でしょう。

利根 作業的に大変というのはもちろんあると思いますが、充実感とか楽しいとか、源泉はそこにあるのかなと思います。そういったものから作られた関係が、学習支援で勉強だけ教えるのではなくて、何かの拍子に今ちょっと大変なんだと聞いたりすると、そのことを解決できそうなサポートに繋げることができますね。

外国人というカテゴライズから共に生きる仲間へ

針間 日本語が母国語ではない人たちは全員「外国人」というカテゴリーで一つにまとめられてしまうと思うのですが、それってすごく問題かなと感じています。さきほど安里さんが隣人である利根さんは利根さんとして見るとおっしゃっていたように、利根さん、安里さんという個人の集合体、もしくはそもそも集合していないかもしれないというところの認識をもう少し深めていった方がいいんだろうなと思います。

また、日本で生きていくために日本語が必要な人たちというカテゴリーにするとしても、ここは日本で日本語を喋る社会であなたたちが大変な思いをしているから日本語を教えてあげるというような感覚がどうしても社会全体にある気がしています。

タイでは、2005年にEducation for All(万人のための教育)という政策が採択され、非正規滞在や無国籍の子どもたちであってもタイの学校に通え、また10年単位で滞在許可を与えられ強制送還されないことになりました。この政策ができて数年後にMMN主催の移住労働政策に関わっているメコン地域各国省庁の方を対象にしたトレーニングプログラムに講師の一人としてタイ文部省のアドバイザーの方に来ていただいたのですが、このとき、これはタイにとって非常に大事なポリシーである、と強調されていました。どうしてかというと、当時推定で学校教育が必要な子どもは約40万人いると言われたのですが、この子どもたちが教育を受けないままだったら将来タイの社会にとって脅威になる。だけど、この子たちに教育を与えることができたらみんなバイリンガルになって、タイにとってアセット(財産)になるということをおっしゃっていて、そのアセットという言葉が今でもずっと心に残っています。

日本語以外の言葉を母国語にする人たちが日本で暮らして日本語を学ぶことが、日本の将来にとって大きな財産になるかもしれないという考え方、感覚をもっと推奨していくといいのかもしれないなと思います。

利根 パブリックに対する感覚が違うかなと思いますね。国があってそれに個人がぶら下がっているという感覚の人たちと、個人がハッピーになることで、地域全体、国全体もハッピーになるという、その発想の出発点が違う人たちが世の中に集っている。僕はどちらかというと個人としての権利を良くすると社会的にもいいという考えです。

ワクチン接種でも書類がないとダメ、といったことが初期にはあったかもしれませんが、そうじゃなくてそこをきっちりケアすることで全体的にも良くなるよ、というのは公衆衛生の考え方かもしれませんが、他のことでもそうあるべきだと思います。その方がメリットとして大きいというのが自明であっても、たぶん一部の人には抵抗感はある場合でも、だからやらなくていいという話ではなくて、Education for Allの考え方でサポートをしたほうが、サポートを受ける人はもちろん、周囲の環境全体にも良い影響があるというのは、もう少し日本でもやった方がいいと思います。

教育もワクチンもそうですが、個人と全体の関係性は、全体のために我慢しようという雰囲気ではなくて、個人を解放してあげた方がみんなハッピーになるんじゃないかという。

安里 韓国や台湾もそれなりに子どもたちに対するバイリンガルな教育とか盛り上げようという動きはあります。バイリンガルのほうが儲かるからというような功利的な考え方もあるけれど、そういうポジティブな流れはあります。韓国や台湾では多文化に関する法律が成立したのに、日本は今のところ総合的な対応策でしかなく、閣議決定を繰り返しているだけです。移民国家ではないという一言の重みで立法化できず、いつでも切り捨てることが可能なのです。

利根 今日はありがとうございました。分野を問わず、助成をしていると、長い目で俯瞰的に政策や制度を専門に見ている方々と、目の前の困った人を助ける活動をしている人たちの双方に出会います。安里さんのように両方される方は多くありません。そうした方々同士、さらに企業や自治体とがようやく交わり始めた気はしますが、まだまだ不足しているのだと思います。ここをどう繋げていくか、トヨタ財団としても考えていきたいです。

最後に、お二人からも一言ずつお願いします。

針間 タイでは移民の子どもに対する教育政策をはじめ、さまざまな分野で外国人の社会包括に関して一定の成果を上げてきましたが、コロナ禍において、まだまだ移民や移住労働者は社会から疎外され、コミュニティの平等な一員と見られていないということも表面化しました。同時に、もっと社会が移民や移住労働者を「外国人労働者」ではなく「隣人」として受け入れ、また国が透明性のある移住労働政策で迎え入れ、彼らとの相互信頼関係を築いていかないと、コロナのような社会全体を揺るがす危機に再び陥ったときに対処していけないということが明確になったように思います。日本のお話でもあったように、草の根の取り組みや声を繋げて、大きな枠組み、政策の変化にも貢献できるか、私たちMMNとしても挑戦し続けたいと思います。

安里 コミュニティに関わることの意義は多くあります。特に助け合いのような福祉が、政府、市場、家族、コミュニティなどから調達することができると想定されると、外国人の場合にはそもそも権利が制限されていることから、コミュニティに期待される役割が相対的に大きくなるでしょう。しかし、コミュニティのあり方は地域の文脈によって多様であり、それが地域性に合わせたサービスの提供にもつながりますし、場合によっては地域格差も生まれるでしょう。また、無償性やジェンダーの問題もあります。コミュニティを通じた福祉活動は、政府や市場なども含めて、それぞれの一長一短を見極めながら、活動をはぐくむ必要があるでしょう。


コミュニティカフェ「ほっこり」を訪ねて
➊➋コミュニティカフェ「ほっこり」。おいしい昼食をいただきました。バナナを使ったフィリピンのデザートも。当日も子どもたちが何人か来て、ダーツなどで遊んでいました。➌➍フードバンク京都のスタッフの方々。いただける食糧品を確認し、安里さんも協力して車に積み込んでいきます。➎安里さんたちは訪問先の子どもともすっかり仲良しに。いい遊び相手のようです(というか遊ばれているだけ?)。

COLUMN
京都市南区東九条南岩本町
コミュニティカフェ「ほっこり」を訪ねて

ダンボール山積みの研究室での議論を終えたあと、生活必需品の配布に行く安里さんたちに同行しました。

車でフードバンクなどに行き、配布できるものをいただく。「この玄米は精米しないと」「油はいいね」など、相手の事情を考えながら、渡すものを選んで小分けし、家を訪ねる。部屋にあがってお茶を飲み、「最近どう?」「お母さん元気?」と小一時間ほど雑談する。配達としては、とても非効率的です。友人・隣人として、困りごとに耳を傾け、「また来ますね」と別れます。

配達で訪れた方々が置かれた状況は個々に異なり、どれもが非常に複雑でした(だからこそ困っているわけですが)。状況の改善には専門的ケアが必要ですが、そこに繋げるには、信頼関係が不可欠です。この非効率に見える取り組みは、「気にかけていますよ」というメッセージを渡し続けているとも言えます。

配達前に東九条のコミュニティカフェ「ほっこり」に立ち寄って、昼食をいただきました。そこは子どもも、大人も、誰もが来られる場所。国籍や在留資格は脇に置いて、○○さん、としてお付き合いする。まずはここから始めましょう。(利根)

公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.42掲載(加筆web版)
発行日:2023年4月17日

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