公益財団法人トヨタ財団

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JOINT34号 WEB特別版「ポジティブに生きるために」

JOINT34号「ポジティブに生きるために」

※本ページの内容は広報誌『JOINT』に載せきれなかった情報を追加した拡大版です。

2020年7月28日に開催した本鼎談は、新型コロナウイルス感染症の第二波が懸念される状況だったこともあり、WEB会議システムを利用したオンライン上で行いました。文科省など公の場で活躍されていた稲垣氏、クラウドファンディングサービス「READYFOR」を立ち上げた米良氏、studio-Lの代表でコミュニティデザイナーの山崎氏のお三方に、Withコロナ時代の共助の形について語っていただきました。

Withコロナ時代の共助「ポジティブに生きるために」

稲垣 憲治(いながき・けんじ)
◉稲垣 憲治(いながき・けんじ)
文部科学省原子力計画課や東京都庁環境局職員などを経て、一般社団法人ローカルグッド創成支援機構に所属。これまで自治体の再エネ普及策の企画、新電力の設立・運営などに従事。2018年度 研究助成プログラム助成対象者

──最初に、トヨタ財団との関係を含めた自己紹介をお願いします。

稲垣 私は文科省、東京都の職員と、ずっと公務員でした。エネルギーで地域にお金を回すことに興味があり、地域経済循環、地域経済効果といったことを京都大学で研究していましたが、公務員だと科研費に応募できないので、自由に研究に使えるお金を出してもらえるところを探していて、トヨタ財団を見つけました。

助成を受けることができてヒアリングに行ったりしたことがきっかけになり、より地域エネルギーでまちづくりをするということに深く関わっていこうと決心して、この7月にローカルグッド創成支援機構という、まちづくりや地域エネルギーでまちを元気にしていく支援をする団体に転職しました。

米良 はるか(めら・はるか)
◉米良 はるか(めら・はるか)
2011年に日本初・国内最大のクラウドファンディングサービス「READYFOR」を立ち上げ、代表取締役 CEOに就任。首相官邸「人生100年時代構想会議」の議員や内閣官房「歴史的資源を活用した観光まちづくり推進室」専門家を務める。2020年度イニシアティブプログラム助成対象者

米良 READYFOR株式会社の米良です。私たちは、このコロナ禍に際して、医療従事者の皆さんやエッセンシャルワーカーの皆さんなどを支援するための基金を4月3日に立ち上げ、クラウドファンディングで集めたお金を、早期に現場に届けるという助成事業をはじめました。助成に似た仕組みは運営したことがあったのですが、完全な形での助成事業は今回の基金が初めてで、(公財)東京コミュニティー財団とクラスターの対策班の先生たちと一緒に行いました。

トヨタ財団さんから基金を立ち上げた翌日くらいにご連絡をいただきました。トヨタ財団としてもこういう取り組みをスピード感をもって、透明性の高いお金の流れを実現するというところに協力したいと言っていただき、私たちとしてもトヨタ財団の今までの助成の仕組みも勉強させていただきつつ、きちんとお金を届けるということをやりたいと思い助成の申請をして、イニシアティブプログラムで助成を受け背中を押し続けていただきました。

山崎 亮(やまざき・りょう)
◉山崎 亮(やまざき・りょう)
studio-L代表、慶應義塾大学特別招聘教授。主な著書に『コミュニティデザイン(学芸出版社)』、『コミュニティデザインの時代(中公新書)』、『まちの幸福論(NHK出版)』、『ケアするまちをデザインする(医学書院)』などがある。2010年度地域社会プログラム助成対象者

山崎 studio-Lの山崎です。自分の仕事をコミュニティデザインと呼んでいますが、われわれがコミュニティをデザインするわけではなく、コミュニティの方々と一緒に何かをデザインするという仕事だと思っています。地域の方々100人くらいに集まってもらい、ワークショップを開きます。何をやっているときが楽しいのか、自分たちはこれからどう生きていきたいのか。そのために地域はどうあればいいのか。というようなことを、わたしたちはとやかく言わずに、むしろ話し合いの方法や、話し合いのときに使う道具などを支援することで、地域の人たちが少しやる気になるとか、何か活動を起こす、そんなことを支援しているような事務所です。

大阪が本社で、東京にも小さな事務所があります。スタッフは北海道から沖縄まで好きなところに住みながら、関わることができる地域を選んで支援するということになっています。トヨタ財団との関わりは、わたしたちが15年前にこの事務所を立ち上げて2~3年目くらいのときからです。まだ右も左も分からないようなときに、兵庫県の家島町という町におせっかいのように通っていました。ここがどうなっていったらいいと思いますか、という話し合いをしていました。そのときに助成をしていただきました。その後も少しテーマを変えて何度か助成を受けました。個人的には数年前まで国内助成の選考委員をさせていただき、委員のみなさんが案件を自分ごととしてとらえ、大変熱い議論をされていたことがとても勉強になりました。

「コロナ」が活動にあたえた影響

──新型コロナウイルス禍においては、皆さんのお仕事や助成プロジェクトに大きな影響があったかと思うのですが、まずは米良さん、基金のことについてもう少し詳しく教えていただけますか。

米良 台風や地震などの自然災害が起こるとぱっとさまざまな基金が立ち上がるのですが、私たちが4月3日に基金を立ち上げたときは、コロナは災害に準ずるようなことなのかという迷いが皆さんあったようで、まだいわゆる災害指定のようなことを、各財団や企業でもあまりしているタイミングではありませんでした。そういった国内の状況を見る一方で、私たちは海外のコロナの状況もリサーチをしていました。リモートが推奨されたり、イベント自粛が言われ始めた2月末くらいのタイミングから、クラウドファンディングのお問い合わせが増えました。産業にとてもダメージを与えているとのことで、資金繰りが大変だと、実際大変な渦中にある皆さんからたくさんお問い合わせをいただきました。

クラウドファンディングでお金を集めるのはとても大変です。そのなかでわれわれは、医療従事者やフロントワーカーの皆さんには、そこに労力を割くより現場のことに対応していただくことが大切なのではと思い、お金集めはわれわれでやって、そのお金を現場にどんどん届けることを考えました。他の基金や財団などのお金の拠出に比べると、割と早めに立ち上がったと評価していただいたと思っています。

災害の現場には災害のプロといわれる人たち、たとえばレスキューの方がいますが、コロナは今までの災害とは違って専門家がいないので、そういう状況の中で本当に支援が必要なところがどこなのかというのを、誰が決められるのかが肝かなと思いました。クラスター対策会議に入っている先生や感染症領域の先生たちをメインにした場所に一緒に混ぜていただきました。こういう感染症が広がっていったときにどういう人たちが弱い立場の人になり、そういう人たちを支えていけるようなNPOやソーシャルセクターはどういう人たちなのか。私たちにはずっとそういうセクターの人たちと交流させていただいてきたうえでの知見がありました。それをあわせてスピーディーに助成を行い、皆さんにご紹介いただき、支援の規模はどんどん大きくなっていきました。現在8.5億円ほどが集まっていて、日本のコロナ関連の中では最大規模の基金のひとつになったと思っています。コロナ禍前に比べると、クラウドファンディング全体の取り扱い件数は4倍くらいになっています。

これまで4回にわたって助成をさせていただき、本当は7月上旬に4回目が終わる予定だったのですが、最後にかなり申請が増えたため、4回目は前半と後半に分けて実施しました。1回目の助成が4月、2回目が5月とやらせていただいたのですが、その頃までは緊急事態宣言もあったので結構ばたばたしていました。たとえば医療機関にマスクが足りないとか、そのあとに医療機関は少しずつ潤ってきているけど、そのほかの人に物資や感染症対策の状況が備わっていないという面がありました。

どんどんお金を流していくのが大切な時期だったのですが、3回目、4回目の頃になってくるとだんだん「withコロナ社会」みたいな状況に移ってきました。とはいえ第二波、第三波というのが秋から冬にかけて必ず起こるだろうから、そこへ向けても緊急助成みたいなことをやっていくべきではないかという話もあり、当初のスケジュールどおりに全部を配るというより、少し長めに延長させていただいて、本当にまた必要になったときにすぐお金が拠出できる状況を整えた方がいいのではということで、全体で延長させていただくという意思決定をしました。加えて最近JANPIAから休眠預金の資金分配団体にも選んでいただくことになりました。


──では、同じく助成プロジェクトということで稲垣さんはいかがでしょうか。

稲垣 助成が始まったのが2019年の春だったので、今一年ちょっと経ったところです。まちづくり事業は全国で行われているのですが、まちづくり事業が地域にお金を回さない、地域活性化事業が本当の意味での地域活性化にはなっていないという実情が結構あるんです。それはなぜかというと、地域でちゃんとお金が回っているかということを見える化できていないからかなという問題意識をわれわれは持っていて、地域を見える化するツールを開発して、そのツールを全国の自治体の職員に使ってもらいたいというのが今回のプロジェクトの趣旨です。6月まで自治体職員だったので、自分自身の課題認識からそういう研究をしたいと思ったからです。

実際は5つのまちづくり事業をターゲットにやっていました。分散型ホテル事業、地域マーケット事業、公園活用事業、その他2つはエネルギーのまちづくり事業です。分散型ホテルという事業に関してですが、コロナで宿泊業界は本当に大変なので、研究のデータを取ることはできなくなりました。ただ、1月までにデータ収集やヒアリングを結構進めておけたので、そのデータを使いながら、今後ツールを開発していくということでぎりぎりセーフでした。地域マーケット事業や公園活用事業においては新たにデータを取るのは難しくなってしまったのですが、今までの貯金でやっていきます。エネルギーに関しては、コロナはあまり影響がないので粛々と計画通り進めているという状況です。

それぞれ地域経済循環というのをテーマにしているのですが、その地域経済循環率が高いところはこのコロナ禍にも強いと感じています。外からのお金に頼っていると、何か起こってしまったとき、それがリスクになってお金が止まってしまいますが、その点地域の中でお金を回すことができていると強いのかなと感じている次第です。


──これまでの地域づくりは、地域外の人に視察をしてもらって地元の人が気づいていない良い点を挙げてもらい魅力を再発見する、現場が大事というような手法が多かったかと思うのですが、この状況でそれがなかなかできなくなっていますよね。山崎さんは今どのようにされているのですか。

山崎 現場では情報量が相当多い。人々の表情のちょっとした変化も分かります。みんなで協働して作業することもできます。これを私たちで纏め上げたという一体感を作りやすい、というメリットがあります。

一方で、やはり遠方にいる人はわざわざ交通費を払ってまで来てなかったよね、ということを明確に感じられるようになりました。わが町の話をしているのだから、この町の人が集まればいいじゃないかという感じではありました。たとえば歩くことが困難な人、移動にはヘルパーさんの補助が必要だけどワークショップの日時にヘルパーさんがいない人、あるいはその町がふるさとなんだけど今は海外に住んでいる人。高い交通費を出してまでワークショップのためだけには行かない/行けないという人たちに関しては、結果的に意見が場に反映されないということになっていました。とてもいい状況をつくれていると思っていましたが、その状況をつくっている人は限定的でした。

ですがオンラインも活用すると、今の話は全部クリアされます。その時間、どこにいてもクリックして会場に入ってみようということができる。パジャマのままでも上に何かちょっと羽織って下はそのままでもいいや、という気楽さのようなメリットもあります。時間さえ合えばその場に参加することができるし、時間がずれていても、録画された内容を見て気づいたことをフィードバックできるようになった。

同時にデメリットも当然あります。表情の微妙な機微を感じとったり、誰かの話に「そうそう!」とかぶせることでいい意見が盛り上がったり、ということはやりにくい。何か言いたいと思っても、ミュートを解除して話し始めるとずれている、ということになりがちです。オンラインだと今はまだそういう状況があるので、どちらか一方だけがいいというよりは、プロジェクトの内容に合わせて選ぶということがようやくできるようになってきたのは、今の時代に対応するいい状態だと思います。


地域と都市の関係を問い直す

──最近よく「関係人口」という言葉を耳にしますが、オンラインだとそういう人たちが気軽に参加しやすいという状況はありますよね。

山崎 関係人口が具体的にどう地域に繋がるのかというのは、これまでは期待値だけで話を進めていたところがあると思います。わたしたちも実感としては関係人口といわれる人たちがいるのはわかっていましたが、それをどう利用するか。利用という言葉があまり好きではないことも含めて、あまり考えないようにしていました。

しかし、その人たち自身が繋がりにきてくれるような窓口ができあがったことによって、本人たちが自分の好きな地域と関わりながら、おもしろいことを起こしはじめているという状態をこのコロナの時期にようやく見ることができました。ああそうか、みんなこういうことをしたがっていたのかと。地域には、こういうふうに繋がって関係を持ちたがっている人たちが、目には見えないんだけどその場に相当分厚い層として存在していた。むしろそこが接続していないために、わたしたちは、あの人たちは何をしてくれるんだろうって思っていた。でも、そんなことは考えなくてよくて、繋ぐだけで繋がった人たちが思い思いにやりたいことをやり始めるんだなということを感じているところです。

米良 富山の高岡高校からはIT企業家がたくさん輩出されていています。今回のコロナで、富山は結構早い段階でクラスターを起こしてすごく大変な状況でした。そのニュースを見た人たちが、自分たちで何かスピーディーにできることはないかということで、お金集めをするために弊社でクラウドファンディングを立ち上げました。何名かの富山出身のタレントさんに連絡したら、リモートだったら協力できるといってくれたみたいでzoomで記者会見をして、タレントさんたちも記者会見に出てくれて、富山のテレビで何度も放映されることになり、結果的に4,000万円くらい集まりました。自治体にもふるさと納税として1億円くらい集まったんです。そうしたら、県も300億くらい医療にお金を出そうということになったという流れがありました。

今まで誰かに連絡を取るのに秘書さんが必要だったりして、目的に共感してもらうのに隔たりがあったなと思っています。今回、自分の時間を使い直接協力するよと言ってもらえるような動きがあったことで、いい意味でのトップダウンが生まれたなと思っています。こういう状況になって自分ができることはなんだろうと考えて、家にいてできることってすごく限られているけど、それでも社会を守るため、自分たちを守るために何かしたいという気持ちから行動を起こし、いろんな人との繋がりが生まれやすくなった。

テクノロジーの環境が整ったことによって、ポジティブな動きができたことも大きかったんじゃないかと思います。インターネットを通じてコロナ禍でいろんな人たちの新しい挑戦、しかも社会を良くしたいと思う人たちの挑戦をたくさん見ることができるようになって、地縁血縁のような限られた関係のなかだけじゃなく、今までは関係していなかった人たちも関われるようになった。それはテクノロジーがなかったらありえなかったことだと思うので、一緒に行動を起こしやすい世の中になったことは、すごくよかったと思います。

山崎 ちょっとここで用語を整理しておいた方がまとめやすいかなと思います。僕は兵庫に住んでいるということもあり、阪神・淡路大震災のときにあらためて言われた公助、共助、自助という言葉を使っていました。これが当たり前だと思っていたのですが、10年くらい前から社会福祉の業界でいろいろ勉強させていただいていたら、この分野では用語がひとつ増えて公助、共助、互助、自助となっていました。福祉関係だと互助が1つ増えるんです。共助というのは、介護保険や医療保険など多くの方々の小さなお金のつながりだけど公助ではない、税金だけではないような大きな集まりから助けることを指します。互助というのは、お互いに助けるという「制度」のようなものではなく、むしろ近隣の人や近い人が集まって、町の中で「お互いさま」という感じで助け合っていくことを指します。公助と自助は同じ文脈です。今日のお話の中の概念も、全体を共助と互助というふうに2つに分けたらどうかと思うんです。

その点からいうと、僕らがコミュニティデザインとしてやれていることは、規模が大きいものになっていたとしても、互助の範囲をあまり出ていないという印象です。地域のことが好きな人が集まっておもしろくやっていこう、何か地域の役に立つようなことをやっていこうという互助的なことをやっていると思っています。米良さんの場合はたぶん両方やっているけれど、大きい面の方の話を聞いていると、かなり共助に近いスケールのことをやっていると思いました。たとえば今の富山の件は共助的な話だなと思うんです。共助って、システムや大きなものをやろうと思うと、意思決定する人や発起人がとても大事で、その人たちに魅力や力がないと動かない場合が多いと思います。そのときに、かつてだと秘書さんとかいろんなガードがあったのを、今はインターネットで「やろうよ」、「いいね」って、いわゆる共助を作ることができるというお話をされていたと思います。一方で僕はたぶんそういうスケールの仕事はあまりできていない。米良さんももちろん互助的なこともやっています。何人かが集まってこのためになにかしようというクラウドファンディングもあるのですが、むしろ僕らはそっちの方ばかりやっている。稲垣さんが対象とされているのもどちらかというと互助、事業ベースでと先ほどおっしゃっていたので互助かな、と。

今日の鼎談に「コロナ時期における共助の新しいかたち」というタイトルを仮につけたとしても、いわゆる福祉でいうところの共助的な話をしていると思うことと、一対一で顔をつき合わせてという互助的な話をしていると思うことがありました。それは実は2種類の性質の違いみたいなことがあって、それをひっくるめて共助だと言うのはいいと思うのですが、今はコロナによって両方ともに変化がありそうだという気もしています。僕らがイメージする共助ほどではないけれど互助でもないという中間領域がインターネットによってコロナのこの時期に現れつつある。幻想なのかもしれないけど、お話を聞いていてそんな気もしました。稲垣さんはどんなイメージをお持ちですか。

稲垣 直接的な回答にならないかもしれませんが、現在、地域の経済効果とともに内発的発展という研究もしているのですが、その内発的発展論というのは外部にお任せにならずに、どうすれば自分たちで発展できるかという学問で、その中には、自分たちだけじゃできないというものもあるのです。

都市と地域が対等に連携したら内発的に発展するみたいな、そういうのも要件としてあったりして、それがコロナによってどうなるのかなと思っていて、先ほどの米良さんの話だと、クラウドファンディングで都市の人がお金を出して地域を盛り上げるというのもあるだろうし、東京にいる人は、コロナで東京から出ちゃダメだといわれているので都市から地方に行かれないという制限があり、互助じゃない共助が弱くなってしまうのではと思ったりもしています。山崎さんに質問させていただきたいのですが、今後内発的発展をしていくため、コロナの時代において地方を盛り上げるために、なにか、こういう都市の役割があるのではという提案があれば教えていただきたいと思うのですが。

山崎 まさに、そこはすごく難しいと思っています。「都市および地方計画」と呼ばれるような専門分野があり、その言葉は「city and town planning」というイギリスからきた言葉を日本語にしたものなのです。都市と田園が繋がってより豊かになっていきましょうということを概念としては夢見てきたわけですが、やはり都市は強烈で、ご存知の通り日本も1960年代から全総(全国総合開発計画)、新全総、三全総、四全総、で五全総は「21世紀の国土のグランドデザイン」で、そのあと「国土形成計画」と名前を変えて経済計画と一緒にしました。何をやってきたのかというと、東京一極集中を解除しようとしてきたわけです。新幹線を引けば人々が地方に行くのではと思ったらストロー現象が起きましたとか、テクノポリスを作ってみたら地方に住むのでは、仕事があれば地方に住むのではと思ったけど、結局東京一極集中は是正されなかった。

少しネガティブな言い方になるかもしれませんが、都市の磁力はやはり相当強い。そのため、協力するときの都市の側の作法というか、礼儀というか、思いやりというか、そういうものがしっかりないと都市以外の地域からいろんなものが吸い出されてしまう危険性がきわめて高いなと、なんとなく思っていることです。

稲垣さんがおっしゃっている、地域内の経済を守っていこうと思うときに、ちゃんとうまくやって地域の中でお金を使う割合が増えれば、それこそイギリスの研究では8割を地域で使うと何十億、何百億余分に地域に回ることになったという結果が出ていますが、一方でちょっと油断すると見えない間に都市にお金が漏れてしまうという状況になる。

自分が使ったお金の何割が都市に流れているのかということが可視化されると、地域の人たちの意識を変える大きなきっかけになると思います。しかしそれが明確になっていないときには、都市と交流しようと思っていたら何かが吸い取られてしまっている。それは若い人たちがそっちに魅力を感じて流出してしまっていたという人材なのか、お金なのか。この関係は、地域にいる人たちと都市部にいる人たちの意識をそろえることがすごく大切だと思っています。

たとえばクラウドファンディングで全国から集めたお金が地域を応援するお金として流れる、これは構図としてはとても地域が助かるというふうに思うかもしれない。だけど、これは米良さんが実感されているかもしれませんが、これで助かったと思っている人は次に困ったときにまた頼みたくなってしまうと思うのです。これは内発的発展とは少しずれた形での、外部からの印象操作になってしまう危険性もあります。助けてもらって助かったという気持ちを、そうじゃないんだと、自分の内発性に切り替える装置のようなものが地域にないと、次からのものにならない。

もっとクリティカルなことを言うと、地域にいる人たちにとって、そういうことをやっている米良さんってかっこいいってあこがれてしまうという問題があるんです。つまり、東京ですごい人たちと繋がって、結構な影響力を持ってお金がたくさん集まってきて、あの米良さんたちがやってくれたから我が地域は助かった、となることがあると思います。そうすると米良さんのようになりたい、米良さんの近くで働きたい、もしくは都市部に魅力的な人がたくさんいて、そういう人たちの力が結集してお金が流れてきていると知れば知るほど、そこにあこがれる若い人たちを生みだす可能性がある、と。それは悪いことではない、米良さんみたいな人がたくさん出てくるのはとてもいいことだと思う。

でも、すごく強いんです。キラキラしているんですよ、都市って。だから、どうやって地域と接するのがよいかという作法を発明しないといけない。今までの競争社会の作法を、知らず知らずのうちに使いながら地域と繋がろうとすると、圧倒的に何かキラキラしたもののほうに魅力を感じてしまいます。あるいはそこから助けてもらったことを恩に感じながら、次も助けてもらいたくなるような思考回路を作ってしまう危険性もあるかもしれない。僕も答えはないし、どうしたらいいかわからないのですが。都市と地域が対等というのもおかしいけど、長い間お互いによかったよね、10年20年経ってもこの関係性はいいよねという相思相愛の関係性を続けていくための諸条件というのは、インターネットが発明されるより前に語られていた内発的発展論とはたぶん違う別の引力を今持ち始めていて、コロナによって実はそれが更に強化されているのかもしれないという、少し危惧感というか心配しすぎといわれるかもしれませんが、そんなことを感じています。

鼎談

数学やお金で判別できない領域

米良 少し話がずれるかもしれませんが、私はクラウドファンディングってすごくいい仕組みだと思っていましたが、実際に基金で助成をやってみて、なおさらいい仕組みだなと最近すごく感じているんです。これも一部だけ切り取っているかもしれませんが、今までまちづくりの補助金など、わりとトップダウン的に公的なお金がまかれていたことがあって、それに頼って事業を成り立たせていることっていっぱいあったと思っています。

一方でクラウドファンディングは公的なお金ではないので、募集する側がやりたいこと、地域のためにはこれがいいと思ったことに対して、お金を出す側は出す説明責任はなく、よいと思えばそれだけでいいわけですよね。でもその分、お金を受け取った側は、出してくれた人たちに対しての責任を強く感じながらやることになります。

今回の基金はクラウドファンディングでしたので、支援者のコメントを私たちは一番重くとらえています。お金に色はないといいますが、少なくともクラウドファンディングにおけるお金は人の想いが詰まっていてすごく責任を伴います。お金を受け取り、その責任があるからきちっとコミットしようということで、結果というのもクラウドファンディングのほうがインパクトは大きいのではと思っていて、そこはさらに研究したいと思っています。

これも仮説ですが、そういう意味では先ほど山崎さんがおっしゃったように、東京から流れるお金とか、クラウドファンディングで支えてもらったことでまた支えてもらうみたいな性質のものになっていってしまうのはもったいないという話で言うと、今までのほうがよほど、そういう毎年必ずくる不透明なお金みたいなものに頼っていたのではないかと思っています。それを自分でこういうことがしたい、自分の責任のもとに多くの人からお金を預かって、その結果を伴わないと次に頼りたくても頼れないという状況は、自立性を促しますよね。このインターネットが基盤となった社会では日本中、世界中の人たちにそれを訴えかけることができる。今後テクノロジー側の課題としては、きっと本人認証だったり、本当にその人が何をやったのかとか、使ったお金のトレーサビリティみたいなところがすごく課題になってくると思うし、それを実現できる技術はある程度そろっていると思うので、私たちもそこはトライしていきたいのですが、どちらかというと、私はいい方向にいくのではないかと思っています。

山崎 稲垣さんにおうかがいしたいこととセットで話題を整理すると、僕が先ほど話したのは稲垣さんのお話を受けて、内発的発展論というある種の理想と比較したという前提があります。対して今、米良さんは内発的発展論と比較したのではなく、今までの外部からやってくる補助金、助成金制度とクラウドファンディングを比較したという構図になっている。お二人の立場というか、今、研究や実践に取り組まれているところの違いがありますね。これまで稲垣さんは公務員として補助金、助成金をだすということをやっていたわけですよね。僕も、それが薬物中毒のようになると友人たちが言っているのに一部賛成していて、本来補助金、助成金はそういうものではないはずだし、そもそも内発的発展というのは、そこは期待していないか、本人たち自身がまず成長することが大切だと思っている。その点は稲垣さんの方が詳しいと思いますが。

いずれにしても、外部が何かをしてあげて地域の自発性みたいなものを失わせていくような地域づくりとは、違う形があるんじゃないかと。より詳しく言うと、内発的発展論が出始めた60年代後半から70年代頃というのは、むしろ地域づくりというのは近代をどう乗り越えるか、もっというとヨーロッパとアメリカが発明した近代というものをアジアの観点でどう乗り越えるのかという議論がすごく多かった気がするんです。それは要するに内発的発展論を言っていた社会学と哲学の一派がいて、その方々は要素に分解していろんな課題を近代的にひとつずつ解決していけば世界は平和になると言っていたのですが、本当にそうか、と。専門家が全部やってくれて、地域の方々はどうもありがとうって言っていれば社会はよくなるかというと、そうではないのではという問題意識から、南方熊楠の視点など、指標になるように世界を曼荼羅でとらえていたような人たちがいました。こういう人たちの考え方に21世紀の真理があるのではといったときに、内発的発展とは何かということを議論し始めたという経緯があります。それが、その後国際協力の分野に入っていったり、最近のまちづくりや地域づくりに入っているような気がするんですね。その議論の中で、補助金や助成金を使って何かやりましょうというのが善しとされているかというと、よほど注意しないとこの議論の中では善しとされないという状況があるので、その意味では米良さんの構図とぴったり一致していると思います。

内発的発展がどういう形なのかは僕もわからないのですが、ある理想の一つとして存在している。コミュニティデザインも、なるべくそうでありたいと思います。だから僕ら外部からの関わり方がとても難しくて、僕は何もできない人間ですというふうに入っていかないといけないときってあると思いますし、そんなやつに何ができるんだと地域の人が立ち上がるという状況を作らなければいけないときもあると思いますが、ただどうすればいいかはわからない。

もう一方で、すべきことをちゃんとこなしてくれて、それに報告書もちゃんと出してくれるなら助成します、補助しますとか、私の代わりにこれをやってくれるならお金を出すというタイプのものがある。だから、地方から入ってくるお金の流れは、今の内発的発展とはだいぶ違う状況を地域に作ってしまうだろうという問題意識は私たち三人に共通していると思います。

特定多数というか、顔が見える人間たちが趣味で出しているんだから文句はないだろうというお金の集め方、これに説明責任はないというのですが、そんなことはない。ちゃんと説明責任があるわけですよ。お金を出してくれた人が見ているわけですから。その視線にさらされながらやっていくわけですから。でも、行政などは関係ないという世界があって、これは互助にだいぶ近い共助だなという印象です。顔が見えていて、でもこっちからすると直接的につながりがない大量のお金が入ってくるというこの微妙なバランスは、今までにあまりなかった共助と互助の間みたいなものをわれわれは今取り扱おうとしているなというのがあって、そこは米良さんが今やっているところで魅力的だなと思います。

しかし、補助金・助成金もクラウドファンディングも、あるいは外から外発的な発展をさせられたとしても、それは別にいいのではないかと思っている側面も頭の中にはあるんです。内発的発展の力が弱ってしまうのはよくはないのですが、なぜいいのではと思ってしまうかというと、若者が18歳まで水をもらって稲になってようやく実るというところまで日本各地で育てられ、もうすぐ収穫という時期にバサッと刈り取られて都市に持っていかれてしまっているわけですよ。そこまで育てた人たちが今都市で活躍しているんだから、そこで生み出された利益の一部は当たり前のように地域に還元した方がいいのではと思っているところもあるんです。

明治維新のときには、東京に一極集中させないと多数の藩がごちゃごちゃし始めるというのがありましたが、現代においてはそうじゃなくなってきた。所得税とか法人税は一度東京に集められ、もちろん集められたより多く地方に配っているじゃないかというのが東京の議員の意見だとは思うのですが、でもそれって単なる今年度のお金の流れだけですよね。今まで丁寧に育ててきた人材がその地域で活躍するならその論理が成り立つのですが、育った人がみんな東京に集まって富を生んでいるので、その富はちゃんと返した方がいいのでは、少なくとも18年分くらいは返し続けたほうがいいのではと思うところもあったりします。日本全国の地域が、都市を支えるための教育や子育てをしてきた結果を摘み取って出している富なら、それを還元していくという仕組みはそんなに悪くない。ただ、繰り返しになりますが、それを受け取った地域側のリテラシーというのがあるわけで、そこをちゃんと読み解いて、自分たちが内発的な力を蓄えるために手に入ったお金をどう使うのかという作法がないと、来年もちょうだいっていう中毒状態になってしまう。

地域の内発性をどう高めるのかというのは、都市部と付き合っていくときには本当に難しい、あるいはトヨタ財団と付き合っていくときにも本当に難しいと思う側面です。だから話をややこしくしてしまったかもしれませんが、構造として先ほどの内発的発展と補助金助成金漬けの間にクラウドファンディングというものがあり、これについては互助と共助の間みたいな状態だから今とてもおもしろい状態になりつつ、これで送られてきたようなお金や力、人力を地域は内発的発展を軸にしながらどう活用するのかというリテラシーというか、使いこなし方を学ばないといけない。原理的にいうと人々が都市部で集めたお金を送金していくことだっておかしくはない、送りかたや受け取りかた、あるいはその使い方の問題などがすごく大きいのではということを、今の話を聞きながら感じていました。

とはいえクラウドファンディングは実感としてなかなかハードルが高いなという印象もあるんです。わたしたちの仲間もクラウドファンディングを何件かやったのですが、なかなか集まりませんでした。今後もうちょっと身近になって地域の人がどんどん実行できる形でお金を集めるためにはどうしたらいいか、素人質問で恐縮ですが教えていただけますか。

米良 まずはクラウドファンディングがお金を出す人にとって身近なものにならなければならないと思っています。今回のコロナでわりと裾野が広がったというか、国民みんな大変という状況の中で、私たちはあらゆる産業のクラウドファンディングのお手伝いをする機会を得ました。飲食店、地域NPO、音楽、ライブハウスもありましたし、最近だとJリーグのチームなどもあります。

今回のコロナで自分の大事なものや大切にしたいと思ったものが一夜にして奪われる可能性があるという不安を、誰もが覚えたと思います。今ままでも震災などの天災はありましたが、それは被災地と呼ばれる一部の地域で起きていることで当事者ではない人のほうが多かった。コロナはそれに比べるとかなりあらゆるところで「新しい生活様式」というようなことを強いられて、それをクリアできなかった事業などはつぶれてしまうということが起きるなど、自分の大切なものがなくなってしまうかもしれないというストレスが全国に蔓延しました。

それを自分で何とか守る手法として、クラウドファンディングを使ってお金で助けるというのが一番わかりやすいやり方だと思うんです。お金を出す側の人たちに、クラウドファンディングってこういうものなんだということが、今回のコロナでだいぶ広がったのではと思っています。お金を出す側が、こういうときにクラウドファンディングを使うのかって分かるようになると、これから地方創生みたいなところの活動にも活きていく。10年かかりましたが、ようやくそういう時代になってくるかなと思っています。

ただ一方で、何でもかんでも人やお金が集まるわけではなくて、やはり新規性だったり、サステナビリティだったり、その事業がどうやって発展していくのかというところが大事で、そしてそれをうまく伝える力を持っていないといけない。これから、クラウドファンディングが当たり前な社会になっていくと競争はますます厳しくなるはずなので、集まるものにはすごく集まり、一方で淘汰されてしまうものも出てくるとは思います。そこは見せ方や実施する人たちのコンセプトをどううまく作って、案件としてどう見せていくかというところが、より問われるようになっていくのだろうなと考えています。

稲垣 私の単純な興味なのですが、何もしないと地域が都市に吸われてしまうというお話がありましたよね。それって僕もどうしたらいいかと思っていて、たとえば大企業が地域のまちづくり事業を支援するときに、本当に地域活性化を支援するんだったら、ノウハウ提供型のビジネスモデルにしないといけないのではという仮説を持っているんです。ノウハウを移転してこそはじめて地域支援だと思うのですが、それを大企業の人に言うと馬鹿じゃないのって言われると思う。しかし、それを現実的にさせることがずっと課題だったのです。何かアドバイスをお願いします。

山崎 米良さんとも関係してくるのですが、最初に言っておかないといけないのは僕は米良さんの活動に120パーセント賛同しています。今までクラウドファンディングは何度も使わせていただいたし、何度も支援しています。だから米良さんがどうとかお金がどうとか言うつもりは全くないです。ただ自分の問題意識の中に、いわゆるアダムスミスからはじまってきた古典派経済学から今の波がありますが、新自由主義に至るまでの経済の歴史を何回かなぞってみても、今の僕らの結構大きな危機は、社会がというより自分たちの頭の中が新自由主義的になっていることに問題があるのではと考えているんです。若い人が普通に「コスパがいいね」って言うようになっているとか、自分がこれくらい払ったならこれくらいのリターンがないといけないとか、これでどれくらい得したかとか考え始めること。たとえばこの紅葉めっちゃきれい!というふうに純粋に感動できなくなってしまっている。

僕も含めてですが、物事に純粋に感動できなくなっている。大人は特にですが、高校生くらいからそうなってきてしまっているのではと思います。こんなに紅葉がきれいなのに人が来ていないのはもったいない、これは何とかお金に代えられないかと思ってしまうビジネスパーソンの発想なんですけど、頭の中が新自由主義的構造になってしまっていることに問題があって、ここを何とかしないといけないと思っているんです。

ここから先ほどの稲垣さんの話と米良さんの事業に繋がるのですが、つまり数字じゃないようなものを送れるんじゃないかなと思っていて、それがたとえば稲垣さんが先ほどおっしゃったノウハウ移転だと思うんです。企業の本丸にあるノウハウをそのまま教えちゃうというのは、何を言っているんだと企業からいわれてしまうのはもちろんそのとおりです。しかし本丸ではないところで、使えるか使えないか分からないけどアイディアや事例みたいなものを地域の外側にいる人たちが持っていたり、地域を外から見るからこそ見えてくる可能性や課題という部分。こうしたらいいんじゃないかといっているものをお金に代えると、すごく価値があったり全くなかったり、あるいはマイナスになったりといろいろ含まれているんだけど、こういうものをクラウドでお届けするという、お金は一切届かないのにおせっかいばっかり届くみたいな感じで、お金じゃない形で届けられる仕組みってないかなと思っているんです。よそ者が地域に対してごちゃごちゃ言うのは的を射てないのがほとんどなので、そんなものが集まってきても困るかもしれませんが。なかには、ノウハウだけではなくて働きに行く、私の技術をそちらにもって行きます、みたいな、お金は持っていないけど三日間そこでこれをやれるみたいなことがあれば、私はそうやって集まってくる人をマネジメントすることはできますとか、安全についてなら、看護についてなら、保険についてだったらできますみたいな……。

自分が持っている技術を、みんなが少しずつ現場に持ち込んでいくというようなクラウド的なものって今すでにあるのか分かりませんが、いいですよね。お金は数字なので、集まったものをどう配分するか、みたいなことになっていくから、デジタル社会ではすごくやりやすいんだろうと思うんですが、それの応用というか。稲垣さんは企業がノウハウ移転のようにしたらいいとおっしゃっていたけど、それもできればすごくいいかもしれないけど、それとは別に小さな技術やノウハウを個人が現場まで運んできてくれるようなきっかけになるプラットフォームみたいなものがあると、技術をもって来てくれた人たちにとっていつも気にかかる地域になって、継続して応援したいと思う地域になっていくという繋がりが生まれる。これが大きくなっていくと共助的にもなれるし、小さなプロジェクトのお金の面では互助プラス共助みたいなこともできる。街なかの人たちが協力して共同作業をするというのとはちょっと違うような互助のタイプを、日本中あるいは世界中から力として集めてくることもできるのかなと思っています。

新しい形の共助、互助も含めた共助も考えるときにノウハウ、技術、体力、応援、みんなをその気にさせるようなお調子者が地域に来るだけでもいいかもしれない。ただ、笑わせてくれるとか。なんかそんなこともあるのかなと、お二人の話を聞いていて思いました。

鼎談

新しい価値観のもとでの内発的発展

──では最後に、まだしばらくは「Withコロナの時代」を私たちは生きていくことになると思うのですが、そういうなかで私たちにできること、どういう意識を持って生きていったらいいのかというようなことをお聞きしたいのですが。

米良 なんでも数字に転換されすぎるというのは本当にそのとおりで、それだと弊社が成り立つこと自体が説明できないんですよね。クラウドファンディングはたとえば寄付みたいなものだけど、でも寄付とはちょっと違う。みんな説明をしてほしいんですよ、この経済が回っていること自体に対して納得したいので。なんでお金が戻ってこないものにお金を出すのって言われるんですけど、私からすると反対に、なぜお金が返ってくるものに対してしかお金を出さないんですか、という感じなんです。たぶんその人たちの中にも、たとえば友達が入院しているからみんなで贈り物をしようというのは普通に起こっていることだし、自分の好きなスポーツ選手ががんばろうとしているときにみんなで応援しようという行為って、私たちの中には、合理的じゃないという言い方はおかしいかもしれませんが、ありますよね。

お金を出したら何らかの物やお金で返ってくる、いわゆる金銭価値があるものじゃないと取引しちゃいけないという頭があるというより、そうじゃない行動もいっぱいしているにもかかわらず、説明ができないことに対して多くの人は苦しめられている。なので、たとえばクラウドファンディングで投資型とか融資型みたいな形式もあるのですが、これは投資や融資の話なので儲からないといけないのですが、クラウドファンディングの本来の性質とは違うので、今はまだ世界中で投資型クラウドファンディングとか融資型クラウドファンディングってうまくいっている事例が少ない。でもたとえば投資家に説明するときって、そっちの方が分かりやすいんですよ。だってお金が戻ってくるんでしょ、という話だから。お金が増えるのは嬉しいということが前提になっている設計になっているがゆえに、コスパいいよねっていう考えかたも当然あるけど、全員が100パーセントそういう考えのもとで動いているわけではなく、たとえば山崎さんに頼まれたからやるけど、今度はいくらで返してもらおうって考えているわけは絶対なくて、さまざまな人間関係の中で我々は生きていて、お金だけじゃないいろいろなことで価値を判断しているはずだと思うのですが、お金に代えないと説明ができないというこの状況にずっとすごく苦しめられてきている感じがしています。

弊社はスタートアップで外部の投資家も入っている会社なのですが、未上場なので投資家くらいまではいいのですが、その先のLPみたいになると、はてな?ってなる、なんだかわからない謎の世界を作ろうとしている人々という感じになってしまうのです。さっき話をしていたことは、私はすごくわかるなと思っていたし、でも一方で、お金が集まっているものに対してお金や人がいくみたいなこととか、そういう尺度で人が判断して動くんだろうなと思いつつ、でもやはり、それぞれの活動はお金が集まっているかいないかでその価値が判断されるわけではないと思う。逆に最初の一歩みたいなのって、まださほど人から注目されていないけど、熱狂的に誰かが応援してくれるだけでも、それがあるからスタートするようなのってとてもいい社会だなと思います。それをプラットフォームとしては大切にして、進んでいかないといけないかなと考えています。

山崎 米良さんがおっしゃるとおり、わたしたちがコミュニティデザインをしているときに、お金じゃないという話は地域でいくらでもできるのに、外部に対して説明して納得してもらうためには、数字かお金で説明しないと理解してくれないみたいなことはかなりあります。古い付き合いの米良さんと僕だと「わかるよねー」、「わかるわかる」って言えるから、それを数字で説明しなくても理解し合えるところがある。地域で昔から親しくやっている人たちも「お金じゃないよね、わかるよねこの感じ」っていったときに「当然わかるよ」って言えるんだけど、この「わかるよね」を共有していない人たちに意義を説明しないといけないときに、数字とかお金で説明しないと外から納得してもらえないという社会の中に私たちは生きているということなのかなと、話を聞いていて感じました。

稲垣さんにつなげるとすれば、実はこの「わかるよね」で通じるところで地域を元気にしていくのを軸にすれば、内発的発展になっていくと思うんです。お互いの「わかるよね」のわかりかたを少しずつ成長させていけば内発的発展になる。ところがこの内発的発展を共有していない人たちに伝えるのはとてもむずかしい。その関係の中で生み出されているものを定量的に数字にしてあらわしましょうと、急にそっちを重視してしまう外部の人が出てきてしまって、そこじゃないんだよなーというふうになる。稲垣さんの研究はすごく難しいところに取り組まれているのではないかという気がしていて、地域の中のお金を見える化していくことはすごく大事だし、それが見えるからこそ地域の人が意識や行動を変えるきっかけにもなるし、それが見えるからこそ外の人がどう付き合えばいいという指針になると思う。ところが、この見方を変えると「わかるよね」の共感がないところで数字だけが飛んでいくと、たとえば地域の中でこれだけお金が回っていることがすごい、うちは75パーセントまでいったけどあっちはまだ40パーセントだねという話になってしまう危険性が、数字で示せば示すほど出てくる。

あるいは地域経済ランキングみたいな、要するに日本の中で一番地域でお金を回しているランキングみたいなのが出る。限界集落もそうじゃないですか。集落の構成員の半分以上が65歳以上なら限界集落って名づけましょうといわれた限界集落ランキングみたいなのがありましたが、大野晃さんはそれはひとつの指標にすぎないといったんですね。集落の半分以上の人が65歳以上であるということだけではなくて、20世帯以下という条件が課された。それに実はもうひとつある。もうひとつの条件は集落に住んでいる人たち自身が、自分たちの力だけでは集落を運営していけないと思っているかどうかということ。それが限界集落の定義の指標のはずなのに、自分たちでは無理だと思っているかどうかって数字にならないじゃないですか。だから全国のメディアはわかりやすい方、人口のうち半分以上が65歳以上になっている集落を限界集落といいますと言うから、豊島区や特養がいっぱいあるところは数字でいうと限界集落だということになってしまいます。

今日は革新的なというか、僕が今まで考えていなかったところの話ができておもしろかったなと思うのは、与えていただいた共助というお題の中に互助的な要素と共助的な要素があって、いろいろなアプローチがあるけども、数字的に説明しなければ伝わらないようなことに取り組んでいると、周りがそう思えるような、都市と地域が交流するときに都市部の人が地域の人が「わかるよね」でわかり合える関係を持つことができない。だけど内部においては実は「わかるよね」という大切にしたい価値観がある程度入っていて、実はここを軸に内発的発展をさせていくのが理想なはずですが、それを壊してしまう危険性を持っているのが補助金・助成金や、外部にあこがれて払ってしまうお金。そしてそれらが全部数値化されて、コスパがよかったという話に取り組まれてしまう構造があります。

だからますます、コロナの時代というか、これからの時代、内発的な発展とは何かを問う視点が重要になる。内発的というのは人々自身が「わかるよね」の関係を土台にしながら成長し続けていくことだろうと思うのですが、それは外部から入ってくる数字とか、外部に説明しないといけない数字に惑わされないで、自分たちの価値を認識しあうということですよね。

テクノロジーや情報量も含めて、だからコロナの時代にネットで繋がれるようになってよかったですねって言うんだけど、それは使い手側のリテラシーとか「わかるよね」の関係を大事にしないといけないということを前提にして使いこなしていかないとならない。そうでないと、地域の活力みたいないろいろなものが少しずつそぎ落とされてしまうきっかけにもなるなという、ある種の危機感みたいなものも同時に持っている必要があるというのが今の感覚です。

稲垣 地域で内発的発展をしていくことで、コロナや災害などに強くなるのだろうなと思います。それがリスクを軽減すると実感しました。地域経済循環などは大事ではあるけど一つの指標であるにすぎない、地域経済循環だけがよくても、それだけでは内発的発展じゃないというのを肝に銘じて、これからも研究、実践をしていきたいと思います。

公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.34掲載(加筆web版)
発行日:2020年10月19日

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