- [助成対象者]
- 小舘尚文
- [プロフィール]
- アイルランド国立大学ダブリン校(UCD)社会科学・法学部
- [助成題目]
- 介護ロボットの社会実装モデルに関する国際共同研究──人・ロボット共創型医療・介護包括システムの構築に向けて
※本ページの内容は広報誌『JOINT』に載せきれなかった情報を追加した拡大版です。
介護ロボットを通じて考える世界の文化・制度と共生
ヨーロッパの北西端にあるアイルランド共和国(愛)は、隣国イギリスが欧州連合(EU)離脱(Brexit、ブレグジット)を決めたことによって、今世界中から注目を浴びている。大雑把な表現だが、1801年から1921年まで島全体がイギリスに併合されていたアイルランドは、分断されたまま南部だけが独立した結果、今日に至るまで北東部がイギリスの一部(北アイルランド)である。北アイルランドといえば、首都ベルファストのハーランド・アンド・ウルフ(Harland and Wolff)造船所で建造された豪華客船タイタニック(RMS Titanic)を思い浮かべる読者の方も多いかもしれない。
世界に先駆けてイギリスで始まった産業革命は、タイタニックを生んだ北アイルランドはもちろん、西ヨーロッパ全土に拡大し、日本が科学技術立国となる基盤にもつながっていった。しかし、アイルランド島南部に成立した共和国に、産業革命が到達することはなく、農業(特に酪農)中心の社会が、1970年代にイギリスやデンマークと一緒にヨーロッパ(欧州共同体、今日のEU)の仲間入りを果たすまで維持された。
そんなアイルランドには、メヘル(meitheal)という概念がある。これは、そもそも農作物の収穫の際に、村の農家が互いに助け合いながら交代で協働作業をすることに由来するが、いまでは転用されて、チームワークや共同体意識といった意味で用いられることがある。各地域には、愛固有のゲーリックゲームズ(ゲーリックフットボールやハーリングなどの伝統スポーツ)のチームがあり、プロフェッショナルスポーツではないのに、高い技術を持つ選手や熱血コーチ、街を挙げた応援が話題となる。決勝に進出したカウンティ(県)チームの旗が自家用車につけられて全国にたなびくのも、毎年恒例で、夏の風物詩ともなっている。ごく最近まで、大家族主義も残り、教会に通うカトリック信者の割合も高かった。他のヨーロッパ諸国と比べてもやや「風変わり」な存在だ。
そんな古風ともいうべき特徴も持ちながら、首都ダブリンには、Microsoft、Google、Amazon、Yahoo!、Facebook、Twitter、Accenture、Pfizerなどの大手企業の欧州本社があり、Digital Hub やSilicon Docksなどの愛称で呼ばれる地区も存在する。移民の流入も激しい現在のアイルランドは、まさにグローバルな市場経済とローカルな伝統社会という両極が混在している。ただし、先端技術を生み出すという営みがほとんどなかったためか、テクノロジーと人間の共創という発想はそこにはまだ見られない。
一方、アメリカや中国の「超大国」はもちろんのこと、世界の製造業を牽引してきたとの自負もあるドイツや日本からはIndustrie 4.0 、Society 5.0などの国家戦略が打ち出されており、先端技術をいかに生み出し、共創していくのかが日常生活の中でも語られ、考えさせられる。モノのインターネット(IoT)や人口知能(AI)による製造業の革新ということで、第4次産業革命が来ているとか、人工知能が、人間の脳を越える、いわゆる技術的特異点(シンギュラリティ)が21世紀半ばにはやってくるとか、さまざまなことがある程度のリアリティをもって議論されている。イギリス、アイルランドやその他、いくつかの欧州の国で生活してみて感じるのは、先端技術の進展が、性能の向上という意味で右肩上がりの直線で描けたとしても、先端技術の受容や伝播は、直線状というよりも、むしろジグザグであって、国や文化の違いといったその他の要素にも影響を受けていそうだということである。まして、人間と先端技術の共存や共創ともなれば、コミュニケーションの取り方や家族関係のあり方、生活環境、価値観にも大いに左右されることだろう。
テクノロジーの進展と同時に、人口動態の変化も、国や社会にインパクトを与えている。少子高齢化が著しい日本やドイツでは、どのようにサポートシステムを作るかということが、とりわけ1990年代以降、喫緊の公共政策課題として採り上げられてきた。日本で近年総力をあげて築いてきた「自助・互助・共助・公助」をキーワードとした地域包括ケアは、医療および介護保険制度、日本語という単一言語、阿吽の呼吸のような暗黙の了解を通じた日本式のコミュニケーション様式、価値観などを大前提としたものである。最近、日本発の研究で、コンビニが自宅付近にあるか否かが高齢者の自立に影響しているという結果が発表されていたが、制度としては、日本と同様に介護保険制度を持っているドイツでも、こうした生活空間や地域資源のあり方には違いがある。まして、皆保険制度自体が存在しないアイルランドの介護に至っては、公的援助だけではなく、介護スタッフや医療資源がそもそも足りず、「自助・互助・共助」でなんとかやりくりしているのが実情だ。まさに、メヘルの世界である。
アイルランドは、日本と同じ島国であるが、人口は、およそ475万人(北アイルランドと合わせると約660万人)で、北海道と類似した規模になる。現在の65歳以上の人口比は2割弱だが、高齢化率はどんどん高まってきており、認知症を抱えながら生活している人は、5.5万人いるといわれている。また、長期入院病床全体の約4割が認知症患者というデータもあり、政府も、認知症国家戦略を策定したり、在宅介護パッケージスキームを実施して施設における介護から在宅への脱却を図る試みを行っている。介護スタッフには、外国人も増えており社会の多様化が進む一方で、都市部では、独居老人も多くなり、これまで当然視されてきた伝統的価値観や家族に依存するというやり方も見直されなくてはならない段階に来ている。
このように、今後は「公助」の充実も図ろうとしているアイルランドではあるが、ロボットの医療・介護活用への期待も高まっている。EUの大型研究費H2020で開発が進められてきた、認知症を抱える人を対象としたロボットMARIOを筆頭に、服薬介助のアラート機能を持つロボットStevie、遠隔で医師との会話ができるテレプレゼンスロボットLUCYなどがニュースで紹介されることも多くなってきた。しかし、社会実装という段階にはまだ到達していないのが現状だ。
EU諸国で2012年に行われたアンケート調査では、ロボットは、非情で、非人間的であるため、介護や教育現場に採り入れられるべきではないという意見が強かった。また、人間から労働の機会を奪取するのではないか、との見方も根強くあるようだ。イギリスのEU離脱を一例にしても、急激なグローバル化の進展、労働力としての移民の流入や先端技術の導入には、反発や抵抗もあるだろう。
筆者を含めた日愛研究チームでは、これまで、高齢者の「見守り」や「社会参加」を含む「生活の質」の向上をサポートする先端技術の1つとして、介護ロボットに着目し、人間とロボットが共創するうえで必要なユニバーサルな要素とは何かを探ってきた。日本チーム(リーダー:尾林和子・東京聖新会理事/日本福祉大学招聘教授)では、すでに介護ロボット・見守りシステムを試験的に導入し、高齢者の「生活の質」の向上や介護スタッフのストレス負担の軽減といった成果を確認している。この成果の背景には、先端技術を導入したから、良い成果が出た、という単純な関係性だけではなく、導入に先駆けて培われていた組織文化、介護ロボットの導入を受け入れた入居者の施設や介護スタッフへの厚い信頼、導入に際してつぎ込まれたスタッフの努力もあった。また、筆者がアイルランドチームのリーダーをしている、日・愛・フィンランドの国際共同研究(総括リーダー:諏訪さゆり・千葉大学教授)では、現在、高齢者・家族介護者・介護スタッフを対象に、介護ロボットに関する意識調査を実施中である。果たして3つの国でどんな結果が出るのか楽しみである。
5月からトヨタ財団の研究助成プログラムとしてスタートさせることになるプロジェクトには、日愛チームに、フランスと香港の超領域研究チームを加えて、アジアとヨーロッパの違いについても考察していく予定だ。テクノロジーをどのように生み出し、どのように導入すれば、利用者との共生ができるのか、プライバシーなどの倫理的問題や安全を含むリスクの側面をどう担保するのか、ということもとても大切な視点である。グローバルとローカル、そして、先端技術と人間社会が、対峙するのではなく、共存し、共創し始めるような環境づくりに必要な資源やスキルとは何かを、介護ロボットを通じて、皆さんと一緒に考えてみたいと思っている。
*謝辞:写真を撮影して下さった岡本佳美さん、Patrick Broganさん、また、リサーチ・チームのメンバー(特に、増山茂先生、兪文偉先生、Diarmuid O‘Shea先生)とTramore Development TrustのAnne Harpurさんに感謝します。
公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.30掲載(加筆web版)
発行日:2019年4月12日