姫本由美子(トヨタ財団チーフプログラムオフィサー)
最近「東アジア共同体」構想が喧しく提唱されている。東アジアの範囲をどこまでとするかについては人によって考えが異なるが、一般的には東南アジアに日本、中国および韓国を加えた地域と捉えられているようだ。そして、日本の安全保障についてはアメリカとの同盟関係が基軸と考えられているのに対し、「東アジア共同体」構想では経済、文化の分野に重点を置いて、同地域内の関係を密接に築いてくことを主張する論調が目立つように思われる。こうした地域共同体の議論では、どうしても経済分野に関心が向けられがちであるが、一つの地域共同体を形成するためには、文化を根底に据えた人と人との絆を結んでいくことが重要なのではないかと考える。
当財団ではこの文化に重点を置いた交流や支援を30年以上前から東南アジアにおいて行ってきた経験がある。東南アジアの固有文化の保存と振興をめざした「東南アジア国別助成」、日本と東南アジアの文学作品を相互に翻訳して出版し合う「隣人をよく知ろうプログラム」、そして後に東南アジア域内の学術交流を支援するために東南アジアの人々と立ち上げた「東南アジア研究地域交流プログラム」(SEASREP)などである。
しかしこれらの活動が何の障害もなくスムーズに開始されたわけではなかった。東南アジアで活動を行うにあたり2回にわたって集中的に現地を訪問したのだが、日本企業の進出と、日本の経済的優位および日本人の素行などを非難する厳しい日本批判に直面した。
そこで行ったことは、できるだけ多くの東南アジアの人々の意見に真摯に耳を傾けることであった。東南アジアの人々と率直に意見交換を行うなかで、お互いの顔が見える信頼関係を彼らとの間で築いていった。東南アジアの人々と強い絆を育み、お互いの思いを共有することができたからこそ前述したプログラムを生み出すことができ、それが双方に受け入れられていったといえよう。
これに似た状況─といってもそれは戦争という比較にならないほどの強制力を伴った状況であったが─の大きな国際関係のうねりのなかで、個人の絆を大切にした歴史上の人物が思い浮かぶ。アジア太平洋戦争期において、陸軍の宣伝部に徴用されジャワに派遣された文化人の一人であった作家、武田麟太郎である。インドネシアを占領し続けた日本軍の立場であることにやりきれなさを感じながらも、インドネシアの作家たちと真摯に交わり、インドネシアの独立を願う彼らに共感して、危険を顧みず独立に向けて尽力した武田麟太郎は、インドネシア語を独学し、インドネシアの文学を熱心に読んでそれを日本語に翻訳して日本に紹介しようとしていた。彼は日本の敗戦後の混乱期に急逝してしまったため、それは実現できなかったが、時流に飲み込まれずに、人と人との絆を大切にして日本とインドネシアの関係を築こうとした。
では、現在の日本の立場はどうであろうか。冒頭で記したような「東アジア共同体」構想がある一方で、国内では、右肩上がりの経済成長の神話が崩れ、少子高齢化や経済格差の問題などが山積しており、将来への展望が見えない不安が渦巻くなかで、海外にはあまり関心を向けない内向き志向が日本全体を覆っているように思える。
そうした状況だからこそ一層、日本が世界の一員であることを自覚し、積極的に海外の人たちと交流することが求められているといえるのではないだろうか。そのなかにおいて当財団は、その設立趣意書に記された「世界的視野に立って……社会活動に寄与する」ことの意味を噛みしめ、海外の人々との対話を大切にし、より多くの人たちとお互いに顔のみえる信頼関係を育んでいくように努力することが重要であろう。そうした行動をとることは、現在アジアで展開している「アジア隣人プログラム」に良い作用を及ぼすだけでなく、世界の時流に先んじた新たな国際プログラムを生み出す原動力ともなるだろう。
公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.3掲載
発行日:2010年3月15日