伊藤博士(トヨタ財団常務理事)
かつてアメリカに住んだことがある。一度目はフィラデルフィアに1980年から2年間、二度目はロサンジェルスで1988年から5年ばかり。最初はパソコンもFAXもないころであった。その次は日本がバブルに沸き、ロス暴動や湾岸戦争が起きた時代である。1980年代、アメリカは日本の経済発展に脅威を感じ、自動車業界は貿易摩擦の矢面に立たされていた。
不景気な大都市での2度の居住は、貧富格差と犯罪を日常体験するものであった。とはいえ、当時は、赤さびの建造物が過去の重厚長大な繁栄を誇り、配分が偏っていても豊かで夢があった。その後、2001年の9・11や2008年のリーマン危機などを経て、アメリカ社会での格差拡大の懸念も伝えられるようになった。
このたび(2013年9月)、公益法人協会と当財団の共催でアメリカの財団活動の状況を調べることとなり、日本の財団関係者15名の調査ミッションに参加、ひさびさにニューヨークとボストンを訪れた。
昔から米国の第三セクター(非営利セクター)の規模は大きく、格差の痛みを和らげる努力が組織だってなされている。格差の象徴として人種があり、黒人大統領の時代となっても人種差別を意識した慈善活動が盛んだ。
今回、ニューヨークでは「Independent Sector」(民間非営利セクターの連合組織)の年次総会に出席した。その夕食会でエール大学出身の黒人歌手(俳優)Daniel Beaty氏が格差の中で機会の扉をノックしようという詩を朗読した。年次表彰を受けたのは1990年のロサンジェルス暴動の発端となった事件を担当した弁護士であった。
アメリカの財団は1960年代に活発になった。公民権法以後の社会変化の中で、自発的に各地で行われてきた活動は、フォードやロックフェラーといった巨大な独立財団の支援もあり、大きな政治力も持っているようである。フォード財団は1960年代から民主主義の徹底を謳っている。社会が是とするものを自らが試して実行していく。そのために資金を提供する裕福な人々がおり、若く有能な人材が活躍する場が形成されている。
アメリカの財団は1960年代に活発になった。公民権法以後の社会変化の中で、自発的に各地で行われてきた活動は、フォードやロックフェラーといった巨大な独立財団の支援もあり、大きな政治力も持っているようである。フォード財団は1960年代から民主主義の徹底を謳っている。社会が是とするものを自らが試して実行していく。そのために資金を提供する裕福な人々がおり、若く有能な人材が活躍する場が形成されている。
ボストンで訪問させていただいたFish Family Foundationでは、地元コミュニティの他、財団やNPOとの広範な協働作業に加え、東日本大震災への支援や日本人女性の能力開発まで行っているのが印象的であった。ボストンはかつて南部からの逃亡奴隷をかくまいカナダへ逃れる手助けをしたという土地柄である。日本でも広く読まれているオルコットの自伝的小説『若草物語』は南北戦争の頃のボストンが舞台だが、母親の方針で娘たちのクリスマスの朝食も近所の貧しい家族に提供してしまうという話が始まりである。
グローバル化の進んだ今日、国内の格差に加え、世界中で国境を跨いだ「格差」が押し寄せてきている。ヒト、モノ、カネの移動と情報の伝達速度がもたらしたものは、国内の格差拡大である。自由化の経済効果は合算すればプラスだが、損をする人と得をする人が常に生まれる。それが格差の拡大と固定化にならないよう努めるのが福祉社会のあるべき姿であろう。
社会課題の解決に向けてアメリカでは160万ものNPOが資金の受け手として活発に活動しているが、日本でも幅広い枠組みを構築する努力が必要と思う。日本の財団もまだまだ工夫せねばならないことが多い。
公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.14掲載
発行日:2014年1月28日