取材・執筆:楠田健太(トヨタ財団プログラムオフィサー)
活動地へおじゃまします!
梅雨が明け、東京では記録的な猛暑の続いた7月下旬から8月上旬にかけ、贈呈式やシンポジウムの合間を縫って、東は岩手から西は宮崎まで、国内助成プログラム*1 担当者として、各地で行われている助成プロジェクトの現場を訪ね歩くことができました。今回はそれらの中から、三つのプロジェクトをご紹介します。
- *1
- [国内助成プログラム(旧地域社会プログラム)]「人がつながり、地域が動く―共に拓く私たちの未来」をテーマとして、地域の特性を踏まえつつ、人びとの主体性とつながりを育み、社会の抱える多様な課題の解決に取り組むプロジェトを支援する助成プログラム。
- [訪問先]
- 山口県防府市
- [助成題目]
- 防府市子どもの職業体験事業[dCLUE]*2 夢のヒントを見つけよう!
仕事や社会の成り立ちについて体験から学ぶ
最初におじゃましたのは、日本三大天神の一つ、防府天満宮で知られる山口県防府市。人口は約12万人、山口県のほぼ中央部、南を瀬戸内海に面し、かつては交通の要衝でもありました。現在防府は、大型店舗や近隣周辺市との競争激化による中心市街地の空洞化、四年制大学がなく就職先も限られることによる若者の流出、全国平均よりも早い速度で進行する少子化・高齢化など、さまざまな課題を抱えています。
そんななか、本プロジェクトの代表者・於土井豊昭さん(NPO法人市民活動さぽーとねっと代表理事)を中心に取り組んでいるのが、市内の子どもたちの職業体験事業です。本プロジェクトではまず、商工会議所の助けも借りながら、域内の企業を対象に子どもたちの職業体験の受け入れに関するアンケート調査を実施しました。調査結果についてはホームページなどで情報発信し、この結果を参考に各社と連携しながら体験活動を企画。この活動を通して子どもたちは仕事の面白さや難しさを実践的に体験するとともに、自分の住む地域の魅力を発見し、愛着や親しみを持ってもらうことを目的としています。
今回訪れたのは、この体験活動の一環として企画された「魚市場・親子セリ見学会」でした。朝5時半から始まるセリに間に合うよう、朝4時に起床し、地元の潮彩市場へ向かいます。現地に着くと、帽子に長靴を携えた子どもたちが、親御さんたちとともに集まってきました。所狭しと並べられる獲れたての魚介類や、熱気あふれるセリの様子に、子どもたちは興味津津。眠い目をこすりながらも、普段自分たちが口にしている魚が売買される様子を、熱心に観察していました。
このような体験活動を、各学校ベースでやろうとすると、早朝ということで引率する先生にも負担がかかる、市場としても一括で大人数を受け入れることができないなど、いくつかの困難な点があります。それを、於土井さんのような市民活動を担う人々が、各学校へのチラシやインターネットを通じて周知を徹底したうえで、関心を持つ子どもたちにこのような機会を提供するというのは、とてもよくできた仕組みだと感じました。
現在では、今回訪れた魚市場以外にも、美容院、カフェ、お菓子屋さん、服屋さん、八百屋さん、おもちゃ屋さんなど、市内12の店舗がこのプロジェクトに賛同し、子どもたちを職業体験の場として受け入れてくれています。そのなかで子どもたちは、商品を売買するという普段見慣れている部分だけでなく、店内を掃除したり、商品を陳列したり、あるいは実際に商品を作ったりと、一連の作業を実体験することで、仕事について、社会の成り立ちについて思いを馳せます。
店の人にとっては、それまで接することのなかった地元の子どもたちとのコミュニケーションの場となり、彼ら・彼女らに仕事を教える経験を通じて、改めて自分の仕事を捉え直すきっかけとなるばかりか、後日受け入れた子どもの親御さんたちがお礼がてら買い物に立ち寄ってくれて売り上げにもつながるなど、地域のなかで思わぬ波及効果も呼んでいるようです。
- *2
- [dCLUE] 職業体験事業の総称で、この活動に参加した子どもたちに渡される地域通貨の単位でもある。
- [訪問先]
- 宮崎県都城市
- [助成題目]
- 吉之元じじばば里山ファームで地域共生プロジェクト─中山間地域の福祉特区モデルを目指して
中山間地域社会の生活支援モデルとして
次におじゃましたのは、宮崎県は都城市。県の南西端に位置し、南北に大淀川が貫流、東に鰐塚山地、西に霧島連山を臨む自然豊かな地域です。人口は約17万人を数える県内第二の都市ですが、本プロジェクトが対象とする吉之元町は、市内中心部から車で約40分の距離にある中山間地です。吉之元の人口は約600人。半数を65歳以上の高齢者が占め、少子化や高齢化、地元商店の閉鎖などに伴い、集落機能の低下までも危惧される典型的な中山間地域といえます。
本プロジェクトは、町の有志で発足した「吉之元よかとこ発見塾」(代表:門松一男さん)のメンバーが中心となり、住民自らの手で、外部から人を呼び込み、地域を活性化させる仕組みの構築を目的としており、具体的には、地域内の里山を整地しパークゴルフ場を整備、米やコーヒーといった特産品のブランド化などを実施しています。
私が現地に訪れた日はちょうど、プロジェクトメンバーが町の集会所に集まり、プロジェクトの進捗や今後の展望について話し合う月に一度の会合日でした(というより、先方が私の訪問に合わせて本来の予定を二日ばかりずらしてくれたのですが)。
メンバーのほとんどは70代、80代のおじいちゃん、おばあちゃんなのですが、その元気な姿にまず驚かされます。和気藹藹としながらも、お互い言いたいことを言い合う喧喧諤諤の議論はとても真剣なものでした。この日特に話題となったのが、懸案であったよかとこ発見塾のウェブサイトについて。試作版の出来を見ながら、コンテンツの項目や改善点について活発な意見交換がなされました。
昨年4月にこのプロジェクトが開始してしばらく後に、当初の計画で人件費への充当を予定していた約40万円を、別の費目に振り替えたい旨の申し出が財団側にありました。結局その費用は、プロジェクトメンバー皆さんの合意のもと、パークゴルフ場の整備費や特産品の開発費に充てられることとなります。人件費を削ってまで地域の課題を解決しようとするメンバーの心意気はもちろん素晴らしいのですが、一方で、そのモチベーションだけを頼りに自転車操業でプロジェクトを運営するというのは、どこかで限界が来るということも事実です。
幸いこの活動には、地元の熱心な社協(社会福祉協議会)の担当者をはじめ、大学の研究者や市の職員、社会福祉士や医療関係者といった心強いサポーターをも徐徐に巻き込んでいる様子。そのようなつながりをも一つのプロセスと捉え、社協の職員にして本プロジェクトの連絡責任者でもある田村真一郎さんは言います。
「主役である高齢者の方々の知恵と経験を最大限に活かした、中山間地域社会の生活支援モデル(吉之元モデル)を全国に向けて提言したい」
今後の行方が、大いに楽しみなプロジェクトの一つです。
- [訪問先]
- 福島県郡山市
- [助成題目]
- 「こまち太鼓」で地域のつながりを再生し被災児の屋内保育をサポート!
不安定な状況下、夕空に響き渡る太鼓の音色
最後におじゃましたのは、福島県は郡山市。県のほぼ中央部に位置し、人口は30万人を超える中核市でもあります。この地で活動するプロジェクトに、トヨタ財団は今年4月より、東日本大震災対応「特定課題」の枠組みで助成しています。
昨年の東日本大震災において、内陸に位置する郡山は、沿岸部に比べると比較的被害は少ないように見えますが、震度は6弱を記録、建物の損壊やそれに続く原発事故の影響は今も残ります。特に原発事故では、放射能に対する明確な安全の基準が定まらない不安定な状況のなか、子どもたちの保育施設では、屋外での活動が大幅に制限されているため、屋内での保育活動が中心にならざるを得ません。
一方で子どもたちの保護者のなかでも、屋外活動による放射能の健康被害を懸念する保護者と、屋外活動の制限が子どもたちの心身の発達に及ぼす影響を心配する保護者とが混在し、各保育施設は対応を迫られています。そこで地元の保育所の保育士さんや研究者たちが立ち上げたのが本プロジェクト。この地に伝わる伝統的な「こまち太鼓」を改めて見直し、保育活動の一環として取り入れることとなりました。
中心となって取り組みを進める西田保育所で、実際に私も太鼓を叩かせてもらいましたが、わずか数分で服は汗でびっしょり。想像していたよりもはるかにエネルギーを使う全身運動です。この活動を通して、屋内であっても全身運動が可能となり、かつ屋外活動の制限によるリスクをも最小化できます。
またこの「こまち太鼓」は、演奏にあたってリズム感はもちろん、阿吽の呼吸で皆の間を合わせるために、見ることや聞くこと、声を出すこと、他者との協調性や集中力など、まさに総合的な力が必要とされます。さらには、この活動を通して地域が育んできた伝統的な文化を継承していく「地域にねざした保育」を実践できるということで、幾重にも仕掛けられた上手いアイデアだと感心します。実際、年少の子どもたちは、来年は自分も憧れの太鼓を叩きたいと熱望し、保育所を巣立っていく年長の子どもたちは、小学校に上がっても太鼓を続けたいと口を揃えて言うとのこと。国内助成プログラムが掲げる「継ぐ」「つくる」「つながる」という素敵な循環が、ここでもできつつあります。
私が保育所を訪れた日は、この「こまち太鼓」が、郡山夏の風物詩「うねめまつり」の前夜祭イベント「郡山の太鼓」で披露される本番前日。保育士の先生たちは、子どもに太鼓を教えるにあたって、地元の講習会を数ヵ月にわたって受講しているとのこと。先生たちも子どもたちも、表情は真剣そのものです。翌日の本番では、懸念された雨も降らず見事に晴天。お化粧をしておしゃれをした子どもたちは、駅前に集まった数百人にのぼる観客の前でも物怖じすることなく練習以上の出来栄えを披露し、その豪快な音色は郡山の夕空に響き渡ったのでした。
起こってしまったからこそ可能となったこと
今回ご紹介した三つのプロジェクトは、いずれも子どもや高齢者といった特定の層を対象としたプロジェクトとなりました。国内助成プログラムの助成プロジェクトが対象とするテーマは、それ以外にも多岐にわたります。そうした各々の地域が抱える多様な課題群の解決に向けた取り組みに単一的な処方箋などありませんが、いくつかの必要条件を挙げることはできるでしょう。
まずはテーマとなる活動に対して、研究者や行政、家族や商店街や企業家など、適切な広がりをもつさまざまな立場の人々が多元的にプロジェクトに携わり、柔軟な協力体制を築けているということ。同時に、一見それとは相反するようですが、プロジェクトの核となる人や組織の主体性が充分に発揮され、その情報の発信が自覚的・定期的になされているということ。これらはともに不可欠だと感じます。
特に、今回おじゃましたプロジェクトは、それぞれの活動の主役となる人々が存分に力を発揮しながら、彼ら・彼女らを温かく見守るおおらかな包容力のようなものを地域全体から感じることができました。もちろんプロジェクトに協力している一人ひとりは、自らの損得勘定で動いているわけでは決してありませんが、こうした活動が巡り巡ってやがては自分たちの暮らす地域のためにもなるという相乗効果を、直観的に感じ取っているのかもしれません。防府の於土井さんからいただいた「私たち(=We)のために行うことが私(=I)のため」という印象的な言葉が、それを端的に表しています。
旅の最後の訪問地となった郡山で、西田保育所の保育士さんたちが語ってくれました。「震災がなかったら、ここまで子どもたちのために何ができるか考えることもなかった。屋外での活動が制限されてなければ、単に子どもを外で遊ばせるだけで終わっていた。震災をきっかけに、一人ひとりの子どもたちとより深く向き合うことになったし、自分の仕事について改めて振り返るきっかけとなった」
震災は、もちろん起こらなければそれに越したことはない不幸な出来事ではありましたが、起こってしまったからこそ可能となったこともありうる。─この力強いメッセージから、奇しくも本誌今号の巻頭言を飾った「ビルド・バック・ベター」という思想が、ここで体現されつつあるのだと感じました。
これは被災地のみに限ったものではありません。防府の事例にせよ、都城の事例にせよ、今後日本全体や国外の各地域が遠からず直面するであろう課題を先取りして取り組んでいる試みであるとも言えます。そのような意欲的な活動を、財団としてどのようにサポートしていけるのか。助成対象者の皆さんにひたすら教わることだらけだった慌ただしい出張行脚を振り返りながら、思いを新たにしたのでした。
旅のアルバム
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公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.10掲載
発行日:2012年8月30日