取材・執筆:権 修珍(トヨタ財団プログラムオフィサー)
活動地へおじゃまします!
アジア隣人プログラムは、2003年度に研究助成プログラムの特定課題「アジア隣人ネットワークプログラム」としてはじまり、2005年度から独立して運営されています。2011年度は、「よりよいアジアの未来を目指して」というテーマのもと、アジアのコミュニティが抱える課題の解決に、隣人とともに取り組む実践的な活動を支援しています。具体的には、「人材育成」「環境」「社会システム」の3領域を設定し、アジア諸国の多様な課題の解決や、課題解決の土台作りに寄与することを目的としています。
私は今回、インドネシアの活動地域を訪問しました。インドネシアは、日本の5倍ほどの国土と2億3750万の人口を有する大国です。また、大小さまざまな島からなる世界最大の島嶼国でもあります。アジア有数の多民族国家でもあり、言語も地域によって異なります。この国でのアジア隣人プログラムの助成による活動は、持続可能な農業、森林保全、文化保存などテーマはさまざまですが、なかでも環境に配慮した、自然との共生を目指す活動が多い印象を受けます。
本稿では、2011年10月21日から10月30日に訪問した、東カリマンタンとジョクジャカルタ近郊の活動地に、読者のみなさんをご案内します(※本ページ下部の地図参照)。
- [訪問先]
- インドネシア共和国 東カリマンタン州
- [助成題目]
- インドネシア東カリマンタン州における、慣習林の村落林としての登録と運営を通じた住民による持続的な森林利用・管理のモデル・ケースづくり
「村落林制度」を活用して森林と生活を守るために
成田を発ってジャカルタで1泊。2日目は、飛行機で1時間40分ほどのカリマンタン(英名でボルネオ島)のバリクパパンへ移動し、さらに車で3時間ほど北に走って、サマリンダ市に着きました。ここで行われているのは、日本インドネシアネットワーク(JANNI)の浦野真理子さんが代表をつとめる、「村落林」の登録に向けたプロジェクト(2010年度助成)です。
このプロジェクトは、油ヤシ栽培や炭鉱開発などによって森林が減少・劣化し、慣習的な森林利用の規制が失われつつある東カリマンタン州のロング・ブントク村とムカール・バル村で、地域の森林を「村落林」として登録することによって、村の住民が森林を主体的に管理し、利用できる体制の構築を目指すものです。
インドネシアはすべての森林が国有であり、政府が管理することになっていますが、地域住民が慣習的に使用してきた「慣習林」とよばれる森林は、国有では あるものの、伝統的には村落が管理し、住民達は森林から多くの生活の糧を得てきました。しかしこの慣習林も、国益に合致すると政府が判断すれば、地元住民 の同意を得ることなく、企業に利用権を与えることが多く、その結果、森林を生活の糧としていた住民と国や企業の間に紛争が頻発していました。こうした背景 のもとで生まれた「村落林制度*1」は、国有林を村落が35年間にわたって管理し、利用する権利を法的に認めるもので、2008年に施行されました。これにより住民の伝統的な生業である焼畑と狩猟も継続できます。
サマリンダ市ではプロジェクトメンバーの藤原江美子さんにお会いし、翌日からの2つの村の訪問について打ち合わせをしました。ちょうど雨季に入った頃で、3日目の朝も雨が降り、ロング・ブントク村に向かう道は滑りやすくなっていました。インドネシアの雨季は日本の梅雨とはちがい、降ったり止んだりの繰り返しです。この日も途中で雨があがり、太陽の光をたっぷり浴びて、森全体が緑に輝いていました。それとともに、炭鉱開発や油ヤシ農園の拡大などによって 山が荒れている様子も目にしました。夜10時、藤原さん、現地NGOのスタッフとともに、10時間かけてやっとロング・ブントク村に着きました。
ロング・ブントク村の人口は1200人ほど。民族はダヤク・モダン人、ブギス人などです。小学校から高校までありますが、公共的に電気が使えるようになったのは今年に入ってからで、それも午後6時から11時までの5時間だけ。携帯電話が通じる場所は限られており、インターネットの環境も整っていません。
4日目の早朝、村を散策すると、みんな笑顔で挨拶を交わし、朝食を用意するなどの穏やかな暮らしを目にすることができました。前日の雨で山道がぬかるんでいたので、11時ごろまで待って、村落林の団体長ら5人ほどの住民とともに、村落林の登録を目指す山に行きました。彼らは、村落林制度を活用して今までの 生活を維持したいと言っていました。この日の午後8時、役場に住民が集まり、村落林の登録に向けた取り組みに関する会議が行われました。
今からおよそ5年前、ロング・ブントク村は、企業による油ヤシ農園の開発を村全体のデモで阻止しました。このときから、自分たちの土地は自分たちで守るという意識が高まり、村落林の登録を実現するためのワークショップ(森林資源の調査、地図作成など)やスタディーツアー、ロビー活動が行われました。こうして2011年8月に4万4000haを村落林として申請したのですが、これを受けた県知事は、企業への操業許可が出ている土地を除く1万1000haのみを認可するよう林業省に推薦、さらにこの翌月には、林業省の調査によってその対象範囲は700haにまで縮小されたのです。住民はこの決定に納得せず、1万1000haの登録に向けて、NGOの協力のもと、林業省への働きかけを行っています。このように、村落林の登録には政治、経済、隣村との境界問題などが複雑に絡んでおり、息の長い取り組みが必要と思われます。
5日目は、ロング・ブントク村から3時間ほどボートに乗り、クニャ・バクン民族が住む、人口700人ほどのムカール・バル村に着きました。ここには小学校しかないので、中学校に進学する場合は村を出なければなりません。そのため若者の減少が過疎化へつながり、深刻な問題になっています。2011年3月に村落林の説明会があり、住民の強い希望があって取り組みをはじめましたが、村長の関心が低いことから、申請書類の作成に遅れが生じています。
この日の午後8時から村の集会場に50人ほどの住民が集まり、村落林の申請について話し合いました。県知事から紙パルプ材生産用植林の許可を得た企業が、村落林の領域を含めて開発しようとしていることが報告され、森林を守るためには村落林の登録が必要であることを再確認しました。参加した住民は、たとえ時間がかかっても最後まで取り組みたいと語っていました。
どちらの村においても、申請書類の作成、曖昧な審査基準、申請から認可までのプロセスの不透明性などが高いハードルになっているようです。今後、住民とJANNI、現地NGOがいかに協力し、登録をどこまで実現するか、見守っていきたいと思います。
- *1
- [村落林制度]「村落林」(インドネシア語Hutan Desa)は、1999年に制定された第41号森林法ではじめて定義された。その後2008年に林業大臣規則第49号で具体的な政策がスタートした。実際には、住民が登録を希望している地域がすでに企業による伐採権が認められている場合も多く、ロング・ブントク村のケースのように登録面積を大幅に削減されるケースも多い。
- [訪問先]
- インドネシア共和国 中部ジャワ州
- [助成題目]
- アジア自然農業普及プロジェクト─インド、インドネシアの現地NGOおよび農民組織と連携した技術マニュアル出版・普及と農民トレーナーの育成
持続可能な農業のための「自然農業」の普及を
出張6日目は、朝から降り続く雨のなかをボートと車で10時間かけてサマリンダ市に戻り、7日目の早朝、東カリマンタンを離れて、ジャカルタ経由でジョクジャカルタへ移動しました。
ここで行われているのは、ACC21(アジア・コミュニティセンター21)の広若剛さんが代表をつとめる、「アジア自然農業普及プロジェクト」(2009年度助成)です。このプロジェクトは、ACC21のコーディネートのもとに、韓国の趙漢珪氏が考案した「自然農業*2」をインドネシアとインドで普及するため、講習会、現地語マニュアルの作成、中核となる人材育成などを行うものです。プロジェクトは2011年10月末に終了したばかりで、これまでの成果を楽しみに訪問しました。
自然農業は、農薬や化学肥料に依存せず、地域の資源や風土から得られる植物発酵エキス(主にヨモギとセリを利用)と土着微生物を活かして、自然の力を引き出す農法です。趙氏は、土作りは土着微生物の力を借りることから始めるべきだと主張しています。
広葉樹林や竹林から採取した土着微生物を培養して元種をつくり、堆肥やボカシ肥などに利用したり、液肥にして農作物に与えたり、さらには鶏や豚の餌としても活用します。その地域に昔から棲息している多様な土壌微生物は、たがいにバランスを保って生きてきたので、その地域に最も親和性があり、力強いのだそうです。この日はプロジェクトメンバーのリリーさん(NGO Bina Desa スタッフ)に会い、翌日のスケジュール確認を含む簡単な打ち合せをしました。
8日目、リリーさんとともに、ジョクジャカルタから車で4時間ほどの中部ジャワ州バンジャルネガラ県に行きました。最初に訪問したのは、2005年から 自然農業を続けているというバインナさんの畑です。最初はお米だけを自然農法で栽培したそうですが、現在は野菜、果物、山羊飼育などにも幅広く応用してお り、村のリーダー的な存在として信頼されているようです。まわりの畑がかなり乾燥していたのに対して、バインナさんの畑は水分を保っていました。リリーさ んによると、化学肥料や農薬を使用すると土地が酸性化して固くなり、持続可能な農業が難しくなるのに対して、自然農業は土着微生物の活用や不耕起栽培に よって土壌環境が改善されるので、自然にも優しい農法だそうです。また、肥料や農薬を購入しないので、コスト削減のメリットもあると説明してくれました。 バインナさんのご自宅では、土着微生物を利用して作ったという酵母や玄米酢を見せていただきました。
自然農業に取り組んでいるのは農家だけではありませんでした。なんと地元の中学校でも自然農業をしていると聞いて、MAN (Madrasah Aliah Negeri - state moeslem senior high school) 中学校を訪問しました。ここでは生徒50人ほどでサークルを結成し、自然農業に関する実験と実践を行っています。2009年には、自然農法によって家畜の においを減らす実験に成功し、インドネシアの科学オリンピアドに出たそうです。サークルを指導しているのは化学のコーリック先生。彼は大学院の修士課程で 自然農業を研究し、修了されています。生徒たちは、学校で学んだ自然農業の知識を彼らの親に伝えています。これは一種の知識や技術の普及活動ともいえ、私にとっては新たな発見でした。
コーリック先生が設けてくれた面談の場で、生徒たちは「農業に対するモチベーションが下がっている」と率直に話 し、これに対してリリーさんが、「自分の故郷を大事にすべきであり、それがインドネシアの未来につながるのだから、もっと誇りをもって農業に取り組んでほしい」と語りかける場面もありました。まだ中学生の彼らに故郷を守ることの重要性を語っても、すぐには受け入れられないかもしれません。しかし、いずれは この日のことを思い出し、理解するだろうと信じています。
私たちは次に、「インドネシアの趙先生」とよばれているスパルノさんの自宅にうかがいました。趙氏の教えに従って、インドネシアで初めて自然農業を実践した人です。応接室は研究室のような雰囲気で、いつでも会議ができるように白いボードがセットされており、隣の部屋では何種類もの土着微生物が培養されていました。スパルノさんはここで、山羊を自然農業によるえさで育て、その糞で魚を飼育し、両方の成長を促進させる組み合わせ飼育を考案しました。スパルノさんは趙氏の教えを受けた第一世代であり、バインナさんは第二世代だそうです。
訪問に同行してくれたリリーさんは、趙氏の自然農業に関する英語のマニュアル本を、この国の実情に合わせてインドネシア語に翻訳しました。図解をたくさん使ったわかりやすい内容で大変評判がよく、印刷した1000部はほとんど配布したそうです。リリーさんに「自然農業で大事なことは何ですか」と聞くと、「考え方の転換です」という答えが返ってきました。自然農業においては、コストダウンと収穫量の増加による経済的利益の増大より、持続可能な農業のため、土地が健康な状態を維持することが大事なのだそうです。自然農業は、スラウェシ、アチェ、西スマトラ、中部・西・東ジャワなどの地域に普及しており、リリーさんは、プロジェクト終了後もフォローアップと普及活動をしていきたいと言っていました。
「村落林の登録」、「自然農業の普及」と課題は異なりますが、どちらも、人間がいかに自然との共生をはかっていくか、その模索であるように思えます。それには、リリーさんの言っていた「考え方の転換」という言葉にヒントがありそうです。
藤原さんとリリーさんから何度も聞いたインドネシア語に、「Gotong Royong」という言葉があります。相互扶助、つまり、民族や宗教がちがってもお互いに助け合うという意味です。たくさんの隣人─地域や国を超えた広い 意味での隣人の協力によって、それぞれのプロジェクトに真剣に取り組んでいる姿に頭が下がりました。どちらも息の長いプロジェクトですが、目標が達成され ることを期待しています。最後に、ハードスケジュールに付き合ってくださった現地のみなさんに、心よりお礼を申し上げます。
- *2
- [自然農業]環境保全型の農業の一種。趙漢珪氏(韓国自然農業協会)が普及。その特徴は、(1)土着微生物をはじめ、現地資材を最大限利用すること、(2)有畜複合経営であること、(3)小規模農家でも適用可能であることという3点にあり、現在アジアの各地で多くの農家が実践している。(ACC21ウェブ・サイト[http://acc21.org/]より)
旅のアルバム
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コボレバナシ
インドネシアの活動地を訪ねて
百聞は一見に如かず。今回の出張で経験した、森の香り、早朝の澄んだ空気、現地のおいしい食事、蚊に刺された腫れとかゆみなどを皆さんに十分伝えられないことに、なんともいえないもどかしさを感じます。通常の旅行では行かないような場所での、この仕事ならではの出会いにも、伝えきれない感動がありました。そのひとつが、記事では紹介できなかった、ムカール・バル村で幼稚園の運営に奮闘しているエヴァさんとの出会いです。
彼女はジャワ島の大学を卒業して地元に戻り、学生時代にバイトで貯めたお金で、一軒の空き家を幼稚園に改装しました。政府の支援がないので、彼女は無給で働き、園児が使うノートや鉛筆なども自費で提供しています。都会の大学を卒業しているのですから、いい就職やいい結婚相手を求めるのが普通ですが、彼女は逆の道を歩んでいます。「私は子どもが大好き。村の人にはなかなか理解してもらえないけど、幼児教育は重要だから、幼稚園をずっと運営したい」と語るのを聞いて、リリーさんが言っていた「考え方の転換」を思い出しました。社会を変える力は、こうした「考え方の転換」から出てくるのではないでしょうか。
それがどのような変化をもたらすのか、近い将来、今回の訪問先をもう一度訪ねてみたいなと思っています。
公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.8掲載
発行日:2011年12月22日