取材・執筆:姫本由美子(トヨタ財団チーフプログラムオフィサー)
活動地へおじゃまします!
- [訪問先]
- ブバリ文化愛好家財団(バリ島ウブド)
●ジーン・マリー・ホウェ
(2009年度アジア隣人プログラム)
●ウィリアム・イングラム
(2006年度アジア隣人ネットワークプログラム) - [助成題目]
- 2009年度:良き隣人としての東ティモールとインドネシア─伝統織物工芸を通じた人と文化、環境のつながり再構築
2006年度:ヌサンタラの織り手ネットワークの構築─持続可能な農村暮らしを目的とした参加型リーダーシップ、および綿と天然染料におけるコミュニティ・トレードの確立
旅のはじめに
インドネシア最大の観光地バリ島の玄関口、ングラライ国際空港から車で約1時間北上すると、棚田の広がる山間の地域に「バリ島文化の中心地」と称されるウブド村が出現します。細密画のような独特のスタイルをもつバリ絵画のアトリエやギャラリーが点在し、バリ舞踊随一といわれるティルタ・サリ舞踊団を抱えるプリアタン村も目と鼻の先にある、まさに芸術の村です。
今回このウブド村に活動拠点をおくブバリ文化愛好家財団におじゃましました。「ブバリ」(bebali)とは儀式を意味し、カイン(布)・ブバリが儀礼などに用いられる神聖な布を指すことからもわかるように、ブバリ文化愛好家財団は、天然染料を用いた手織りの伝統的布の生産を復活させ再興することを目的として、2002年に設立された財団です。お話をうかがったのは、この財団の代表をつとめるジーン・ホウェさんとウィリアム・イングラムさん夫妻です。ジーンさんはアメリカ人、ウィリアムさんはイギリス人ですが、二人は以前日本で出会い結婚され、インドネシアの手織り布の美しさに魅せられて、1990年代初頭にバリに移り住まれたのです。
織り手の孤立化をふせぐために
赤道直下の1万8000あまりの大小の島々からなるインドネシアは、まさにこの手織り布の宝庫です。特に、バリ島や、その東に位置するロンボク島、スンバ島そしてティモール島などからなるヌサ・トゥンガラ諸島には、手織り布の生産地が集中しています。しかし、近代化の波を受けて化学染料を用いて機械生産された布が市場を席巻するなか、昔ながらの天然染料を用いた手織り布の生産は次第に消えつつある状況にありました。しかも「それは単に伝統的手織り布がなくなることだけを意味するのではありません。伝統的手織り布は、農作物の豊作を祈って祖先に奉納される儀礼に用いられたり、結婚式の新郎新婦を着飾り、死者の遺体を包んだり、まさにこの地域の人びとの生活に息づいてきた伝統文化になくてはならないものです。したがって、この伝統的手織り布が消えていくことは、伝統文化そのものが消滅していくことにつながるのです」とジーンさんは強調されました。
こうした危機感に背中を押され、ジーン、ウィリアム夫妻は1999年に「スレッズ・オブ・ライフ」(生命の糸)というギャラリーをウブドに開き、天然染料を用いた手織り布を販売する事業に乗り出したのです。ギャラリーを開いてみると、膨大な手間暇をかけた自然のぬくもりが感じられる伝統的手織り布には高い値がつくことがわかり、布を織ることは、地域の島々の女性たちの経済的地位を向上させ、伝統的手織り布の生産に弾みがつくのではないかと思われました。
「ところが、経済的対策だけでは伝統的手織り布の衰退を食い止めることができないことが分かってきたのです」とウィリアムさんは話してくれました。開発による自然破壊は天然染料の材料となる植物の生育を妨げその入手を困難にし、また、島々に孤立している織り手は、染色や手織りの技術について何か疑問がわいても自分自身を頼る以外に方法がない状況に置かれていたからです。そこで立ち上げたのがブバリ文化愛好家財団です。島々に散在する織り手をネットワークでつなぎ、伝統的手織り布の製作に関するさまざまな情報を交換し合い、彼らの能力を高めていくことによって、伝統的手織り布の生産を活性化しようとする組織です。ネットワークの立ち上げには世界銀行の支援を受け、2005年と2006年の2回にわたって約100名の織り手や天然染料の材料となる植物を育てる農民などの参加者を得て、「ヌサンタラ(島々)織り手フェスティバル」を開催することに成功しました。
当財団がアジア隣人ネットワークプログラムでジーン、ウィリアム夫妻のプロジェクトの助成を行ったのはその直後で、2006年11月からの2年間と、継続助成として2009年11月からの2年間の、合わせて4年間です。このプロジェクトが主にめざしていることは、ヌサンタラ織り手ネットワークへの参加者を増やすこと、特にこれまで関係のなかった東ティモールの織り手の人たちにネットワークに参加してもらい、手織り布生産にかかわるさまざまな技術やその販売力を高め合うことです。またそのための具体的方法として、これらのネットワークの参加者の間で、綿や天然染料の材料の取引ができるようにすることも目標に掲げました。
少し冷静に、一緒に考えること
「ネットワークへの参加者を増やしていくには、まずヌサ・トゥンガラの島々を丹念に訪ね、織り手の人たちとフェイス・トゥ・フェイスで向き合い信頼関係を築いていくことが大切であり、それが築ければその後のコミュニケーションには、これが活躍してくれる」、とウィリアムさんは携帯電話をかざしました。ネットワークを構築するには、伝統的な手織り布を守っていきたいという感情を共有し、その共通の感情の上に信頼関係が生まれてくる。ただし、それだけでは十分でなく、それぞれのメンバーがたとえば異なる天然染料を使う技術を持っていて、お互いを刺激し合あえるような要素も必要なのです。「さらに、それらの天然染料の材料を取引し合って、ネットワークに貢献できるような何かをお互いにもっていることも大切なんだよ」と、ウィリアムさんは自分の考えるネットワーク構築に求められるポイントを披歴してくれました。
もう一つ重要なことは、ネットワークの要にいる人物が上から教え込むようなことはしないこと、あくまでもメンバーが平等の立場に立てることであるといいます。あるメンバーが天然染料の材料となる植物を育てるための堆肥の作り方を教えてほしいといってきたときも、持っている知識を一方的に教えるのではなく、そのメンバーは堆肥について何を知っているのか、どのように利用したいのか、などの問いかけをし、そのメンバーの地域で堆肥を作るにはどの方法がよいのか一緒に考えるようにすることで、よりダイナミックな行動ができるようになる、という。このポイントは、ジーン、ウィリアム夫妻が地元出身でないため、外からの押し付けを避けようとする気持ちに通じているのかもしれない。ただしご夫妻は、外の人間だからこそ果たせる役割もあると考えている。それは、地元の人たちが伝統を守っていきたいという過熱した思い入れを、どうしたらそれが可能になるのか具体的な道筋を少し冷静になって一緒に考えていくことだという。
ネットワーク拡大と伝統的手織り布の復活
さて、助成させていただいた活動を通して、2006年末からの2年間のあいだにヌサンタラ織り手ネットワークに参加する協同組合の会員数は16から41へと約2.5倍に増えたそうです。特に、独立後も政治経済の混乱を極めていた東ティモールにあるアロラ財団が2008年にフローレス島で開催されたワークショップに参加、ネットワークが大きく拡大し、今後の協力関係の進展が期待されます。
ネットワーク参加者間の交易も始まりました。当初は綿と天然染料の材料を考えていましたが、交易の中心となったのは天然染料、特に赤色の天然染料の材料となるモリンダと呼ばれる木の根でした。
こんなエピソードも教えてもらいました。ネットワークに参加したレンバタ島の織り手の女性は、他の地域で使われている赤色の方が自分が染色した赤色よりもきれいであることを発見しました。そのよりきれいな赤色の染色の方法を教えてもらい、地元に帰って調べて見たところ、教えてもらった方法が1960年代に地元でも使われていたことを突き止め、その方法を復活させたそうです。
このようにヌサンタラ織り手ネットワークは、着実に拡大し、その機能を発揮、東ティモールも含めたヌサンタラの地域の伝統的手織り布の復活に一役買っているようです。そしてそのネットワークがうまく機能している理由の一端をジーン、ウィリアム夫妻のお話のなかに垣間見ることができました。
Column
観光と文化継承の狭間で
バリ島ではほとんど毎日、どこかでお祭りや芸能の催しが行われています。
ことに芸術の村ウブドやその周辺は踊りや劇などが盛んで、その繊細優美、かつ奥の深い芸能はガムラン音楽とともに、バリを訪れる世界中の観光客の目と耳を惹きつけ、魅了しています。
私もバリの宗教儀礼や芸能文化の素晴らしさに衝撃を受けた者の一人ですが、本稿の手織り布などと同様に近代化とグローバリズムの波がもたらしたものは、「伝統文化」の継承にあたって必ずしもよきことばかりとはいえません。
しかし、バリはいうなればハイブリッドの強さと寛容性をそなえた島です。たとえば有名な舞踊劇ケチャなど、「外」からの視点を果敢に採り入れ、自らのものとして洗練させてきた歴史を見ても、そのことがわかります。
訪れるたびに、他のアジア諸国同様、その変貌ぶりに目をみはるバリ。その変化のなかに、変えることで変えてはならぬものをその内に保持していこうとするしたたかな姿勢を見ようとするのは、バリそして東南アジアの風土や文化を愛する者の欲目なのでしょうか。(I.I.)
公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.4掲載
発行日:2010年9月14日