取材・執筆:鷲澤なつみ(トヨタ財団プログラムオフィサー)
活動地へおじゃまします!
今回おじゃましたのは、鹿児島県屋久島町。屋久島は九州の最南端から南南西へ約60キロメートルに位置しており、面積503平方キロ(周囲約132キロメートル)、人口約13,700人を有する、鹿児島県では奄美大島に次いで2番目に大きな島です(全国では5番目)。島の中央部には日本百名山の一つ、九州最高峰の宮之浦岳をはじめ、1,000メートルを超える山々が45座以上もそびえ立ち、亜熱帯の島でありながら、山の上では亜寒帯に生息する多様な生物を目にすることができる自然豊かな島として知られています。1993年には、このような島の特殊な自然環境が評価され、日本で初めて世界自然遺産にも登録されました。
- [訪問先]
- 鹿児島県屋久島町
- [助成題目]
- 屋久島“里エコ”プロジェクト─人・モノ・心の交流から生まれる地域再生を目指して
“結い”の仕組みを活用して取り組む
世界自然遺産登録後、年間30~40万人もの観光客が訪れるようになり、屋久島の豊かな自然は訪れる多くの人々を魅了し続け、その人気は衰えをしりません。しかし、一見華やかに見えるこの島にも、人気ゆえに生じる課題が少しずつ顕在化してきています。縄文杉見学の登山客の増加や、ヤクシカの増加による生態系や自然景観への影響といった島の自然環境にまつわる課題をはじめ、何世代にもわたって島に住んでいる住民と最近増えてきた新たな移住者との間のつながりの希薄化、伝統文化の担い手不足、島内で活動する団体同士の情報共有や交流の場の不足など、その課題はさまざまです。特に、移住者の増加に伴い、移住者の子どもたちが島内の子どもたちの半数以上にも達する勢いとなりつつある今、島の歴史や文化を新しい担い手、なかでも若者や子どもたちにどう伝えていくかが、環境保全と並んで最優先課題となっています。
こうした課題の解決に、かつて島で機能していた集落共同互助組織“結い”の仕組みを活用しながら取り組んでいるのが、NPO法人屋久島エコ・フェスタのメンバーが中心となって立ち上げたプロジェクト「屋久島“里エコ”プロジェクト ─ 人・モノ・心の交流から生まれる地域再生を目指して」です。NPO法人屋久島エコ・フェスタは、屋久島で10年以上島の自然と人との共生を目指し、環境学習・調査や環境文化の創造に取り組んできた団体です。団体の活動を通じ、地域内に多様な人々が集える場や、情報を集約的に受発信できる場が必要であると感じ、このようなプロジェクトを企画するに至ったとのことです。
本プロジェクトでは、島民同士の交流の場づくりや祭り・イベントの開催を通じ、住民の想いを具現化した取り組みを共に創出していくことで、住民が主体となった地域づくりの推進力強化に取り組んでいます。具体的には、島内にある26集落の中から、集落共同互助組織“結い”の機能が現在も温存されているモデル地域を選定し、屋久島の自然環境や暮らし、観光の在り方について、島民や有識者らが共に意見交換できる場の提供を行っています。そして、参加者同士が情報を共有し、共通意識を高めていくことを通じ、自分たちの言葉で地域の魅力を発信していくためのツール(マップづくりや、エコツーリズムの展開、商品企画)の開発を目指します。また、文化継承が困難になってきていることを受けて、プロジェクトでは、地元の伝統文化や生活技術などを継承していく場の創出にも取り組んでいます。
「語り部の集い」で大いに賑わう
私が訪れた日は、本プロジェクトのモデル地区のひとつ、屋久島の北東に位置する楠川集落での、集落の昔の話を若者に伝承することを目的としたイベント「語り部の集い」の開催日でした。イベント開催地となったこの楠川は、人口449名、227世帯(H24年12月31日現在)の屋久島では中規模の集落で、楠川天満宮・楠川古道・屋久島大社・楠川城跡などを有する歴史と伝統文化が色濃く残る集落です。島内で唯一、江戸時代からの集落の歴史を記録した古文書「楠川古文書」が残されている地域でもあります。
イベントは、集落の若者たちが仕事を終えた後でも参加できるよう、19時から21時という比較的遅い時間に設定されていました。会場となる楠川公民館には、区長をはじめ、楠川地区に居住する、I・Uターン者を含む30名ほどの参加者が集まり、昔の集落の話に花を咲かせました。
この日のテーマは、昔の生業・生活の模様や、地域の歴史資源について。山の話、海の話、里の話といったテーマごとに集落住民=語り部たちから、自分たちが経験したこと、見聞きしたことなどが語られると、その内容について、違う参加者から積極的に「あれはこうだった」、「自分はこう思う」といった意見が次々に飛び交い、会場は大いに賑わいました。
特に盛り上がったのは、縄文杉に向かう途中にある屋久杉の切り株、ウィルソン株の名称について。この「ウィルソン株」の名前の由来については、いろいろな説があるようで、イギリス人植物学者アーネスト・ヘンリー・ウィルソンによって発見されたため、その名前がつけられたという説や、この株の存在がウィルソン氏によって世界に広められことから、そのように呼ばれるようになったなど、さまざまな議論があるようです。現在は、後者の説が濃厚ということで、関連書物や観光ガイドなどにも後者の説が記載されているようですが、今回参加された島民の中には、今なお前者のウィルソン氏発見説を信じている方もいたようで、知っているようで知らなかった自分たちの島の話に、興味深そうに耳を傾けていました。
イベントの終盤には、参加者から「楠川には宝物がたくさんある。楠川城などを観光スポットにできないだろうか」といった声や、「自分が素敵・誇りに思うものや、自分たちの思い出の場所などをまとめた昔の地図を作ったら面白いのでは」といった提案もなされ、始終楽しそうな声が会場に響いていました。
また、会場内には、かつて利用されていた農具や仕事道具などの民具も展示されており、参加者らはそれらを興味深そうに眺めていました。住民同士の対話の中で、地域の歴史が共有され、どんどんと新しい情報へと更新されながら、新たな動きを生み出している様子は、プログラムのテーマである、「継ぐ」「つくる」「つながる」というプロセスに通ずる取り組みであると感じました。
人々の想いがまっすぐに伸びる屋久杉のように
このような企画を実施するのは今回がはじめてという楠川集落。今回の企画は、本プロジェクトの代表者・古居智子さんが、他の事業でたまたま楠川集落と接点を持つようになったのを機に、区長・牧実寛さんをはじめとする区の主だった方々との交流の中で実現に至ったそうです。
プロジェクト開始とともに、島内各地の集落でモデル地区を探してきたプロジェクトメンバーですが、自分たちの想いに共感し、共に頑張ってくれる地区を探すのはとても難しかったようで、実際、助成を開始して半年が経過した頃に、モデル地区を変更したいという申し出が財団側にありました。そんな中、偶然にも歴史資源を活かした地域づくりを行いたいと希望する楠川集落と出会ったそうです。そして、集落関係者との数度にわたる交流を経て、歴史資源を活用した地域づくりを具体的な形にするため、まずは集落の住民同士、地域の歴史を語り合う場を作りたいと、この日のイベントのために、みんなで打ち合わせを重ねてきたそうです。
古居さんは言います。「屋久島を訪れる観光客は、縄文杉目当ての方がほとんどですが、屋久島には、もっと素敵なところがあることを、多くの人に知ってもらいたい」。将来的には、楠川集落のみなさんと、地域資源を活用した里エコツアーへの展開も視野に入れて取り組んでいく予定とのこと。「賢者は歴史に学ぶ」という言葉がありますが、今回のイベントで共有されたような、屋久島の先人たちの経験は、これからの島を担う島民たちに、きっと何かしらの生きる知恵、直面している課題の解決につながるヒントを与えてくれるのではないかと思います。楠川集落の取り組みはまだ始まったばかりですが、プロジェクトメンバーと、楠川集落のみなさん、そして島内の有識者の方たちによって、どんな新しい屋久島の魅力が発信されていくのか。今後の展開が大いに楽しみです。
今回おじゃましたイベントは、地域の歴史や文化を、さまざまな立場の地域住民が共有し、次世代に伝承していくことを目的に実施されました。屋久島に限ったことではありませんが、移住者が増え地域をつくる人々が再構成され続けている地域において、地域の歴史や文化を次世代につないでいくということは決して簡単なことではないかもしれません。
今回のイベントに関して言えば、地元住民や移住者が共に地域の歴史を学び、共有しながら、その価値を見つめ直している姿に両者を遮る壁などなく、そこにあったのは、立場こそ違えども、ただただ、地域を元気にしたいという人々の想いであったように感じます。そんな人々の想いが、屋久杉の年輪のごとく、1つ、また1つと刻まれ、大きな幹となり、まっすぐに伸びる屋久杉のように高く、高く成長していけば良いなと、楠川集落の未来に思いを馳せつつ、一泊二日の旅を終えました。
公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.12掲載
発行日:2013年4月15日