研究助成
contribution
寄稿
著者 ◉ 富永京子 (立命館大学産業社会学部)
- [プログラム]
- 2022年度 研究助成プログラム
- [助成題目]
- 空き家・空き店舗の活用による都市コミュニティ形成─若年自営業者の創造的労働と協同の場として
- [代表者]
- 富永京子 (立命館大学産業社会学部)
いろいろな私の活動が多くの人とともに社会を作る
社会運動の研究者です。気候変動やジェンダー平等といった主題に関して、制度・政策や人々の意識を変えようとする活動を研究していますが、必ずしも私の仕事はそれだけではありません。先週はデモに参加する人々の聞き取り調査をし、今週は学術雑誌に論文を投稿しました。ですが、翌週には新聞で子育ての雑感を語り、ネット番組で社会運動の解説をし、企業で講演をする予定です。遊んだゲームの感想をゲーム系の媒体に書くこともあれば、ファッション誌でお気に入りのジュエリーについて話すこともある、研究者としてはちょっと変わった立場だと言えそうです。
20代から30代前半までは、こうした仕事のあり方にいささかの恥ずかしさというか後ろめたさ、端的に言えば罪悪感を抱いていました。「こんなことして、学者らしくない」「もっと専門の研究に邁進すべきではないか」と思っていましたし、自分の研究業績リストをみては、同世代の研究者と比較し、これでいいのか、という思いにかられてもいました。
しかし、30代後半になって、あまりこうした後ろめたさを抱えずとも済むようになってきたようにも思います。どこかでうしろめたい副業と感じていた研究外の活動ですが、こうした活動を通じて出会う人や考えの多彩さに心惹かれる機会も多くあります。自分の考えを伝える手段が数多くあるのも、端的にいいことだと今は感じています。
こう思えるきっかけになったのは、30代後半になって、自分の主宰する研究室がそれなりに成長したこととも関連があります。研究員やリサーチアシスタントを務めた若手研究者の方々は大学にポストを得て、精力的に研究成果を公刊していますし、院生のうちに名だたる国際誌に論文を掲載する人もいます。こうした様子を見ていると、知的生産や知的貢献は誰がやってもいいわけで、自分だけが頑張るものではないのだという当たり前のことをつくづく思い知らされたのです。
今回トヨタ財団の支援を得て行っているプロジェクト、「空き家・空き店舗の活用による都市コミュニティ形成─若年自営業者の創造的労働と協同の場として」は、個人研究ではなく、富永研究室をベースとした初の共同研究プロジェクトです。いわゆるセルフビルドや自力建設で空間を形成し、市民による自主管理・運営を行っている子ども食堂やオルタナティブ・スペースを対象に分析するプロジェクトです。
このプロジェクト自体は私がこれまで個人で行ってきた社会運動研究から着想を得たものですが、たとえば、土地利用や建築をめぐる法律や、マイノリティの支援、行政とのやりとりの細かい部分の解釈は私だけではわかりません。そのため本プロジェクトは、行政学や建築学、障害学の院生・実務家・教員にも入っていただき、研究を進めている点がひとつの特色です。
もう一点の特色としては、作業の分担は専門知の提供に限らないということです。
実務経験のあるメンバーは現地で貢献しながら参与観察をし、文献渉猟と整理が得意なメンバーは文献レビューをする、という方法をとっています。そればかりは自分でやるべきだろう、と考える人文社会科学の研究者も少なくないかもしれませんが、そうとも言えない事態がやってきたのです。2021年末に出産し、私個人の研究プロジェクトに割ける時間が大幅に減少してしまいました。
専門知識の提供だけならともかく、本来自分でやるような作業すら他の方々にお任せするのか。たとえ謝金をお支払いしたとして、将来有望な研究者や実務家を私なんかの研究に付き合わせて良いのか。「こんなこともできないんですか」と言われやしないか。キャリアを中途半端に重ねたダサいプライドと、立派な研究者とは言えない我が身を顧みて、ずいぶん逡巡しました。ただ、もはや背に腹は変えられなくなりました。「文献レビューをお願いできないか」「調査に行っていただけないか」と依頼すると、院生や実務家の方々も快諾してくれたのが救いでした。
本研究プロジェクトでは、専門知の提供に限らず、文献渉猟、実査など、それぞれのメンバーが得意なことをやっています。その延長線上で「私自身の得意なことは」と考えたとき、多様なアウトプットの場に恵まれていることじゃないか、とふと思った瞬間がありました。だから、この研究プロジェクトに関してもラジオ番組から新聞連載まで、さまざまな場で言及し反応をいただいています。私のアウトリーチ活動は、直接的な研究業績にはならずとも、研究プロジェクトを豊かなものにしているのではないかとようやく思えるようになりました。
これまで自分のしてきた仕事を後ろめたく思うのをやめ、胸を張って講演やメディアの場に姿を表すと、講演の聴衆の方々が、メディアの外にいるオーディエンスの人々が、同じ社会を作っている仲間のように思えてきました。皆、それぞれのやり方で社会を見ようとし、自分の良いと思う方向に変えようとしているのは同じで、そのために私の知識を少しでも役立ててくれようとしています。「それぞれのメンバーが得意なことをやる」というのは、研究プロジェクトだけでなく、社会を進めていく上でも同じなのかもしれません。
公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No. 46掲載
発行日:2024年10月25日