研究助成
contribution
寄稿
著者 ◉ 石原広恵(東京大学大学院)
- [プログラム]
- 2019年度 研究助成プログラム
- [助成題目]
- 住民の視点から生物多様性保全を目指す─人と自然が共同で生み出す「関係性価値」の日米比較研究
- [代表者]
- 石原広恵(東京大学大学院)
地域それぞれの特徴を把握し生物多様性を実現していく
共同管理によって地域は支えられていた
私は今まで、日本の地方コミュニティーにおいて、さまざまな資源 ── 森林、漁業、田んぼなど ── がどのように共同で管理されてきたのかを研究してきました。
田んぼは個人のものではないかと思われる方もいるかもしれませんが、実は日本の多くの地域において、田んぼもある部分では地域の共同の資源だと考えられてきました。近代化される前の、圃場整備や機械化が進む前の田んぼや稲作を考えてみてください。まず、田植えをする際に、圃場整備がされていなければ、農家の人たちは冬の間に、雪などによって壊れてしまった水路や田んぼの畦を共同で修繕する必要がありました。さらにたくさんの人手を必要とする田植えや稲刈りも、機械がなければ、他の地域から親族を呼んだり、あるいは隣近所で集まったりして、共同で行う必要がありました。
このような協働をする慣習を「ゆい(結い)」「もやい」と呼びますが、多くの資源においてコミュニティー全体での共同管理が必要とされるため、日本においては資源を含めた地域の自然は、それぞれの地域のコミュニティーのものであると考えられてきました。
実際、私が以前調査した兵庫県豊岡市田結地区では、現在は廃れたそうですが、地域の外に移住する際は、田んぼも含めて地域内に持っている土地を全て売らなければならないという慣習を持っていました。
さらに、このように共同で資源の管理を行う中で、日本の自然や生物多様性は保全されてきました。里山、里海などは、その典型例として挙げられます。私の研究では漁業を取り上げましたので、里海の話に絞っていきますが、里海とは環境省の定義によると、「人手が加わることにより生物生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域」のことです。どういうことかというと、人間が漁業などのさまざまな生産活動を通じて、生態系を撹乱します。
たとえば、食物連鎖のトップにいる魚種を漁獲する、撹乱することで、食物連鎖の下の方にいる魚が保全される、多様な魚種が生きられる、すなわち生物多様性が保全されることを指しています。
漁業では資源を持続的に利用するために、漁業者が禁漁区などを設けて、産卵期には漁獲しない、あるいは、通年漁業をしない、人の手が加わらない、原生自然に近い自然を守ってきました。つまり、地域の人々が、自分たちの生業のために自然を理解し、介入すること、自然との関係性を築くことによって、豊かな自然を守ってきたと言えます。また、一人では自然に介入することができないため、「ゆい」や「もやい」のように協働の慣習を作り上げ、人と人との関係性を築いてきました。
可視化することで課題が見えてくる
本研究では、このような人と自然との関係性、人と人との関係性、これを関係性価値(Relational Values)と呼びますが、関係性価値の構築によって自然を管理していくあり方に焦点を当て、日本とアメリカで事例研究をしてきました。このような研究を通じて、関係性価値を「見える化(可視化)」することは、地域の自然や生物多様性の保全にとって、特に重要だと私は考えています。
なぜこのような視点が生物多様性において、重要かを理解していただくには、現在、環境問題として大きく取り上げられている地球温暖化の対策と比較して考えるとわかりやすいので、地球温暖化対策の話を少しさせていただきます。
地球温暖化の対策は地球規模で進められ、グローバルな目標として、2050年「温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする(カーボンニュートラル)」などが掲げられています。それを達成する手段として、どうしても削減できない温室効果ガスについて、排出量に見合った温室効果ガスの削減活動に投資することで、地球規模ではカーボンニュートラルに持っていこうとするカーボンオフセットなどのグローバルな政策が実施されています。
しかし、生物多様性では、このようなグローバルに共通な政策を実施することは困難です。確かに、生物多様性保全の分野でも、30 by 30(サーティバイサーティ)、2030年までに「海と陸の30%を保護区とすること」は、グローバルな目標として掲げられています。ただ、生物多様性や地域の自然である生態系の場合、前述したように地域の人たちが生業のために利用しながら、共同で管理することによって、その多様性自体が保たれています。つまり、保護区の設定により地域の人々のアクセスが制限されてしまうと、悪くすれば撹乱が起こらず、生物多様性が下がるという危険性すらあるのです。
さらに社会に対する影響を考えれば、漁業を生業とする人々、あるいは森林から野草あるいはキノコなどを採取することによって生計を立てていた人々は、生活の手段を失うことになります。ここに、生物多様性保全ならではの政策実施の難しさがあり、地球温暖化のカーボンオフセットのようなグローバルな政策を実施することができない現実があります。
このようなことから、非常に地道ではありますが、地域の人々がどのように自然や生物多様性との関係性を築いているのか、またそれを通じてどのような人と人との関係性を築いているかを明らかにした上で、政策を立案していくことが大切であると私は考えています。そうしなければ、SDGsが目指すような「誰も取り残されない」社会は実現できないでしょう。
また、このような視点から、生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム(IPBES)と呼ばれる、生物多様性や生態系保全の政策を議論する場では、生物多様性の関係性価値が議論されています。
来年はこのIPBESで世界規模のグローバルな生物多様性評価が行われる予定になっており、今後はこの研究で得た成果を世界に発信できればと思っています。
公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No. 46掲載
発行日:2024年10月25日