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「私」のまなざし◎本とフィールドの間で考える文化・歴史・物語の伝承

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プナタラン遺跡の本堂 (東ジャワ州ブリタール県)
プナタラン遺跡の本堂 (東ジャワ州ブリタール県)(写真3)

著者◉ 野澤暁子(名古屋大学人類文化遺産テクスト学研究センター・南山大学人類学研究所・中京大学現代社会学部)

[助成プログラム]
2017年度研究助成プログラム
[助成題目]
中世ジャワの死生観を「詠む」─映像ナラティブによる浮彫壁画解釈の質的転換と文化伝承の可能性─
[代表者]
野澤暁子(名古屋大学人類文化遺産テクスト学研究センター・南山大学人類学研究所・中京大学現代社会学部)

本とフィールドの間で考える文化・歴史・物語の伝承

1.成果映像作品のDVD表紙
1.成果映像作品のDVD表紙

記述文化と口承文化─言語学者W・オングが提起したこの二つの記憶伝承のあり方が、私のインドネシア芸能文化研究の中で常に衝突し、さまざまなアイディアを生み出してきたように思います。トヨタ財団の助成で2018年から三年間実施させていただいた共同研究「中世ジャワの死生観を「詠む」─映像ナラティブによる浮彫壁画の質的転換および文化伝承の可能性─」は、まさにこの問題に対する挑戦でした。

本企画が目指したのは、東ジャワのテゴワンギ遺跡(1400年頃にヒンドゥー王国マジャパヒトが建造)の浮彫壁画、影絵芝居、厄払い儀礼という三つの関係性を映像作品化することでした。なぜなら、テゴワンギ遺跡の浮彫壁画に描かれたスダマラ説話と、この説話を今日も厄払い儀礼の影絵芝居として伝承する現地文化とのつながりについては、ジャワでもあまり知られていないからです。そこで私たちは映像というメディアを「記述文化と口承文化の交接媒体」ととらえ、スダマラ説話で結びついた有形・無形の中世ヒンドゥー・ジャワ文化の伝承を「生きた文化遺産」として提示しようと試みたのです。

このプロジェクトは開始直後に拠点地スラバヤで起きた連続多発テロ、共同研究者であるスラバヤ大学の考古学者ヨハネス・ハナン氏の急逝、そして最終年のコロナ禍という幾つもの衝撃に見舞われましたが、現地の若手スタッフとともに成果作品『テゴワンギ遺跡のスダマラ浮彫壁画:インドネシアのリビング・ヘリテージ伝承のための映像プロジェクト』(写真1)の完成に至りました(国立民族学博物館等に寄贈)。

2.浮彫壁画の楽器描写(1927年出版のJ. クンストの学術書籍より)
2.浮彫壁画の楽器描写(1927年出版のJ. クンストの学術書籍より)

音楽人類学を専門とする私がジャワ遺跡に目を向けた発端は、2015年のプナタラン遺跡(東ジャワ)との出会いです。インドネシア音楽研究の草分けとして、オランダ人音楽学者J・クンストが植民地時代に著した一連の著作があります。彼はジャワやバリの伝統音楽ガムランの構造分析に加え、遺跡群の浮彫壁画に残る楽器描写をもとにインドネシア音楽史を構築しました。

その中でも12世紀末建造のプナタラン遺跡の豊富な図像(写真2)は、中世ヒンドゥー・ジャワ時代の代表例として強く印象に残るものでした。私は長らくバリ島の芸能文化研究に携わってきた者としてこの図像を一度見てみようと、軽い動機でプナタラン遺跡を訪れることにしたのです。

しかし遺跡の現場で、私の固定観念は崩れました。私の目前には立派な本堂(写真3。ページ上)や周囲の祠堂など、全てが中世説話の浮彫壁画で埋め尽くされた光景が広がり、まるで遺跡全体が壮大な絵巻物のようでした。そして音楽描写が各物語の連続性の中に生きていることを初めて知ったのです。研究書の図像は、意図的に切り取られた情報に過ぎなかった─この気付きは、過去の研究が構築した「本に書かれた歴史」以上の何かを探りたい、という思いを喚起しました。その何かとは、ジャワ遺跡と現地社会が創り上げてきた、フィールドの文化記憶のようなものです。

前述のハナン氏との交流は、ここから始まりました。私は知人を頼ってスラバヤ大学の客員研究員となり、彼からジャワ遺跡について多くを学びました。そもそもボロブドゥール遺跡に代表されるジャワ遺跡群は、T・S・ラッフルズなど植民地時代の西欧人によって「仏教・ヒンドゥー教時代(4~15世紀)の文化遺産」としての価値が見出されたものです。私がハナン先生との対話から知ったのは、当時の考古学者と文献学者が確立した遺跡解釈が今も定着する一方、現地社会と遺跡の関係は変わり続けていることでした。特に近年の目覚ましい動きは、ジャワ各地の遺跡でさまざまな儀礼が復活していることです。私はこの事実を知った時、漠然と求めていたものが自分を待ってくれていたような気分で心躍りました。こうした出会いと発見の中、テゴワンギ遺跡プロジェクトの構想は萌芽したのです。

4. 2013年完成のバリ絵本
4. 2013年完成のバリ絵本

ただしプナタラン遺跡との出会いは一つの契機に過ぎず、研究者として文化伝承をめぐる文字記録と身体実践の問題に向き合い始めたのは、2011年から二年間実施したトヨタ財団アジア隣人プログラム「バリ島の過去と未来をつなぐ絵本文化導入プロジェクト」での体験からです。

この企画は、私がバリでの研究滞在時に長男が一時在籍した、長閑な農村にある村立幼稚園の先生との会話から生まれました。先生いわく、バリには良い昔話が数多くあるのに、それらを魅力的に伝える絵本がないとのことでした。それならバリ昔話絵本を自分たちで制作し、幼稚園で活用しようと話が発展したのです。幸運にもこの企画がトヨタ財団に採択されたため、私たちは地元の画家や先生たちと協力し合い、苦労の末に5話の絵本が完成しました(写真4)。

5.完成記念行事での子どもたちの演劇(バリ州ギャニャール県)
5.完成記念行事での子どもたちの演劇(バリ州ギャニャール県)

しかし絵本の完成以上に私を感動させたのは、その表現方法でした。私は幼稚園での活用場面に立ち会った際、先生方の素晴らしいパフォーマンスに圧倒されたのです。それは日本の「読み聞かせ」とは全く異なります。園児の心に響くようにゆっくりと抑揚をつけ、長文はアドリブで短文の口語に分け、身振り手振りで豊かな演技を加え、まるで詩と演劇が一体化したような臨場感でした。さらに極めつけは、完成記念行事です。現地チームが企画したのは完成絵本の紹介ではなく、これらに共通する道徳観や自然観をもとに演劇を創作し、子どもたちが演技するという圧巻の舞台でした(写真5)。つまり絵本が刺激となり、劇場国家と呼ばれるバリ伝統の芸能文化が見事に活性化したのです。

こうして約十年間、私はトヨタ財団の懐で本とフィールドとを往還する旅をさせていただきました。コロナ禍が加速させたデジタル化は、文化記憶の伝承にも大きな影響を与えるでしょう。この変化を受け入れながら、今後ともインドネシアの豊かな知性と感性の創発に貢献できる活動を続けていければ幸甚です。

公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.41掲載
発行日:2023年1月24日

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