イニシアティブ
look
私のまなざし
著者◉山下慎一(福岡大学法学部准教授)
- [助成プログラム]
- 2019年度 イニシアティブプログラム
- [助成題目]
- プロスポーツ選手の「2つの引退」から、働き方と社会保障の関係を考える:イノベーティブな社会を支えるために
- [代表者]
- 山下 慎一(福岡大学法学部准教授)
研究プロジェクトをつうじて法律学者が気づかされた、3つのこと
ここで何を書くのか
みなさん、こんにちは。山下と申します。今回、この欄の執筆をさせていただくにあたり、「研究を実施するなかで得た気づきを中心に、エッセイ形式で」書かせていただけるということで、楽しみにしていました。それも、「研究プロジェクト自体の紹介ということではなく、研究活動を通して日々感じていることや、研究者としての想い、社会に訴えたいことなど、自由に書いて」よいとおっしゃっていただき、非常にワクワクしながらキーボードをたたいています(なお、この「『私』のまなざし」を書いていて気づいたのですが、漢字で「眼差し」と書くといかにも鋭い感じがするのに、ひらがなだと温かみがあるように思います……私だけかもしれませんが。あ、そういえば、私たちの研究プロジェクトの中身については、「プロスポーツ選手のメンタルヘルス支援と社会保障」というタイトルで、2021年5月頃に「福岡大学機関リポジトリ」にてPDFで公開される予定ですので、ぜひご覧ください)。
ということで、今回は、私が研究をする中で気づいたことを、自由に、いくつか書き連ねさせていただきます。ただ、そのための下準備として、はじめに少しだけ「法律学とはなにか」という話をさせて下さい。
法律学とはなにか
普段の私が専門にしているのは、「社会保障法」という学問です。年金や医療、福祉、生活保護などの「社会保障」を、「法律学」の観点から研究しています。法律学の研究というと、多くの方にはイメージがわきにくいかと思います。ひとつ、例をあげてみます。
みなさんのお住いのご近所にも、公園があるかと思います。そして、その公園には、次のように書かれた看板があるのではないでしょうか。
この公園では、野球やサッカーなどの球技を禁止する。
さて、ここでみなさんに考えてほしいと思います。この公園では、なにが禁止されているでしょうか?
「そんなの、『野球やサッカーなどの球技』に決まってるじゃないか」、とお思いでしょうか。では、バドミントンはどうでしょうか? 禁止されている「球技」に入るでしょうか。それなら、ゲートボールはどうでしょう? 風船バレーは? 幼稚園児のボール遊びは? だれもいない公園のすみっこで、ひとり静かにサッカーボールでリフティングをするのは? はたまた、大学生の集団が公園を占拠して、「12時間耐久鬼ごっこ」をするのはどうでしょう? 球技ではないからOK、とは言えませんよね。
このように、一見すると内容が明らかだと思えるルールにも、必ず、限界や、例外の入る余地があります。
ここでの「看板」を「法律」におきかえると、まさにそれが法律学の研究です。現在の「○○法」の「〇条」の条文には、「AならばBする」と書いてあるが、その「A」・「B」とは何か。本当に大事なことは、じつは、法律の中には書かれていないことがほとんどです。そこで、100年前から現在までの国会での議論を読みあさったり、外国の似たような法律と比べてみたり、裁判所の書いたあまたの判決文を穴が空くほどながめたりして、「A」や「B」の中身を「決めていく」こと、言いかえれば、条文を「読む」のではなく、「解釈」することが、法律学の中心であり、醍醐味です。
研究プロジェクトをつうじて気づかされた3つのこと
そんな世界に身をおく私が、トヨタ財団の研究プロジェクトでは、異なる専門性をお持ちのメンバーとともに研究をしています。そこで、とくに目からウロコの落ちた思いのする3つの気づきをご紹介します。
1つめに、期待される役割についてです。法律学者にとって、社会保障等の制度の仕組みそのものの紹介は、あくまで研究の前提であって、本体ではありません。しかし、プロジェクトを進める上で、制度がどうなっているかの紹介に興味・関心をもっていただくことが多くありました。そこではじめて、社会からまず期待されるのは、法律学的な「解釈」ではなく、制度を正確に、社会に対してひろく紹介することである、と気づかされました。このことをきっかけに、社会保障を、ほとんど絵だけで、正確にかつ分かりやすく紹介する本を企画しようと思いいたりました(……まだ実現のめどは立っていませんが)。
2つめに、スピード感や行動力についてです。私は、法律学者の中ではめずらしく、一般向けスポーツ誌に勝手に書いた原稿を売り込んだり、各種の団体に突撃でインタビューを取り付けたりしており、行動力に自信があるほうでした。しかしそんなことは、他のプロジェクトメンバーの中では「当たりまえ」で、「誰でもやっている」ことでした。これほど自分自身の「井の中の蛙」っぷりを恥じたことはありません(JOINT35号の本欄にも登場した小塩靖崇さんは、超有名な芸能人やスポーツ選手からのコメントを、涼しい顔で取ってきていました!)。自分は全然大したことがない、と身にしみて自覚できたことは、幸運なことです。
3つめに、なんといっても、「ひと」です。研究プロジェクトをすすめるなかで、本当にたくさんの人が、ほとんど何の見返りもなく、研究に協力をしてくれました。これは私にとっては驚くべきことでした。なぜ彼らは協力をしてくれるのか、どうすることが彼らへの恩返しになるのか……ひとのつながりのあり方や、そもそもひととはなにかといったことを、強く考えさせられました。このことは、これまで社会保障が、あるいは法律学が、どのようにひとを考えてきたのか、そしてこれからどう考えていくべきか、という重要な宿題を、私に与えてくれました。法律は制度を形成します。そして制度を利用するのは、けっきょく、ひとです。このことを肝に銘じ、ひとに対する真摯な「まなざし」をもって、研究プロジェクトと、その後も続く研究生活を送っていきたいと思います。どうか、あたたかいご支援をよろしくお願い致します。
公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.36掲載
発行日:2021年4月21日