先端技術
contribution
寄稿


著者 ◉ 荒川清晟(東京大学東京大学大学院 情報学環)
- [プログラム]
- 2021年度 先端技術と共創する新たな人間社会
- [助成題目]
- コロナ禍におけるXR技術を活用したテレワーク時のメンタルヘルス対策
- [代表者]
- 荒川清晟(東京大学東京大学大学院 情報学環)
テレワークにおけるメンタルヘルス対策
コロナ禍で生まれた新たなライフスタイル
新型コロナウイルス感染症の感染拡大を機に、急速にテレワークの導入が進んだことで、在宅勤務をはじめとする多様な働き方が広がりました。私自身も、通勤時間が大幅に削減されることや、家族と過ごす時間が増えることなど、テレワークの恩恵を実感する場面が多くありました。しかし一方で、長時間座り続けることによる運動不足や、対面での話す機会が減ることによる上司・同僚とのコミュニケーション不足といった問題に直面したことも少なくありませんでした。
特に、オンライン上では相手の表情や声の繊細な変化に気づきにくく(実際のオンラインミーティングではカメラをオフにするケースも少なくないため)、精神的な不調を早期に把握することが難しくなることがあります。私の勤務先でも、テレワーク環境下で本人も周囲の人も気づかないうちにストレスを抱え、精神的な不調を訴えるケースが出てきました。こうした状況を放置すると、業務を支える人材が離脱してしまい、残った人々に更なる負担がかかるという負のスパイラルが生まれかねません。
そこで、早期の段階から精神的状態を把握し、適切なケアへつなげる取り組みが不可欠であると考えました。しかし、テレワーク下では対面でのサポートが難しくなりがちなため、デジタル技術の活用によって問題を解決できないかと着目し、本研究を始めた次第です。
テレワークの普及は、個人の働き方を多様化させるだけでなく、社会全体にも大きな影響を与えています。日本ではかねてより東京圏への人口集中が問題視されており、特に東京への一極集中は、災害時のリスク増大や地方の疲弊を招く要因になっています。このような中、テレワークをはじめとする新しい働き方が広まることで、地方にいながら東京圏の企業と仕事をすることが容易になり、実際に移住や多拠点居住を検討する人々が増えつつあります。
このような動きは、東京一極集中の是正だけでなく、出生率が比較的高い地域への人口流入を促し、長期的には少子高齢化問題の緩和にもつながる可能性があります。さらに、多くの企業がテレワークを導入することで、就業者が自分のライフスタイルに合わせて働く環境が整備され、ワーク・ライフ・バランスの向上が期待されます。こうした観点からも、テレワークは社会課題の解決に寄与し得る手段であるといえます。
四つに区分されるメンタルヘルス対策

前述の通り、テレワークでは情報伝達やコミュニケーションが従来よりも難しくなる側面があり、社員のメンタルヘルスを管理するうえで支障をきたす可能性があります。厚生労働省が示す「労働者の心の健康の保持増進のための指針」では、メンタルヘルス対策を「セルフケア」「ラインケア」「事業場内産業保健スタッフ等によるケア」「事業場外資源によるケア」の四つに区分しています。しかし、オンライン中心のテレワーク環境下では、特にセルフケアとラインケアが実践しづらく、社員同士の些細な変化を見落としがちです。
さらに、従来であれば対面で受けることができた産業医面談などのサポートも、テレワークの浸透によってタイミングを逃しやすくなる懸念があります。こうした背景を踏まえ、本研究では、VR技術を用いてオンライン会議中に多様な行動データや生理データを取得し、それらをもとにストレス状態を推定する手法を検討しました。
まず、視線追跡技術などがメンタルヘルス関連の指標をどのように測定するかを把握する目的で、スコーピング・レビューを実施しました。続いて、テレワークを導入している企業に勤める社員を対象にインタビューを行い、テレワーク下でのストレス要因やストレスコーピングの実態を明らかにしました。これらの知見を踏まえ、オンライン会議からストレス情報を抽出するシステムを試作し、その有用性を検討しています。
その後、VR環境下でTrier Social Stress Test(TSST)を用い、社会心理的ストレス反応を誘発した状態と、ストレスを誘発しないfriendly TSST(f-TSST)を比較しました。唾液アミラーゼや心拍数などの生理指標を行動指標に対応づけることで、行動指標から推定されるストレスレベルの精度と信頼性を検証し、実用的なアルゴリズムの開発を進めています。また、そのアルゴリズムを組み込んだシステムを実際に利用してもらい、ユーザーが自身のストレス状態をどの程度把握できるかを評価しました。
実験から見えてくるVR利用の課題点
研究を進める過程で、さまざまな課題があることを痛感しました。とりわけ、VRを利用したオンライン会議はまだ十分に普及しておらず、導入コストや利用者の負担が大きいことから、実際の職場で運用するには多くの困難が残されています。また、ストレス状態を上司や同僚に共有したくないと感じる方も多く、情報開示の範囲やプライバシー保護とどのようにバランスをとるかが重要な論点となっています。
さらに、もしストレスを早期に把握できたとして、その後の具体的な対策をどのように講じればよいかという課題も浮上しました。デジタルを活用した対処のみならず、たとえば、ストレスの原因が業務量であれば分担の見直しや休暇制度の拡充が必要ですし、コミュニケーション不足が理由ならば、オンラインでも積極的に雑談の時間を設けるなどの工夫が求められます。こうした対策を一体的に進めるためには、技術開発だけでなく、職場全体のマネジメント方針や制度設計にも踏み込んだ検討が欠かせません。


実践的なメンタルヘルス対策へ繋げていく

現在、新型コロナウイルス感染症が5類に分類されたことで、テレワークの実施率自体はやや減少傾向にあるものの、感染拡大以前の水準と比べると依然として多くの企業がテレワークを継続しています。本研究で開発したストレス推定の手法は、VR環境を想定した設計でしたが、より一般的な2Dのオンライン会議への応用が求められていると感じています。実社会への導入を考えると、専用のVR機器がなくとも利用できるシステムの整備が不可欠です。
また、ストレス状態を把握するだけでなく、その情報をどのように活用し、効果的にストレスを軽減できるかも課題です。ストレスが高まっている人がいれば、早期にセルフケアやラインケアにつなげると同時に、必要に応じて産業医やカウンセラーに相談できるような体制を構築する必要があります。そのためには、職場での制度整備や管理職への研修、社員が気軽に利用できる外部資源との連携など、多角的なアプローチが求められます。
今後は、これまでの研究成果をさらに広げ、2D会議への応用や新たなストレス対策機能の開発、そしてより定量的な検証にも取り組む予定です。実社会へ導入するにあたっては、プライバシーや情報セキュリティへの十分な配慮が欠かせず、個人情報の保護と組織のメンタルヘルス対策を両立する制度設計が急務と考えています。また、本研究では、インタビューを中心とした調査を実施しましたが、公益財団法人ダイオーズ財団の研究助成を活用することで定量的なアプローチを強化し、各人に適したストレスコーピング手法を提示するための指針を得たいと考えています。
さらに、私自身は研究者として研究を続けると同時に、政策や制度設計の現場にも直接携わっています。これにより、研究の成果を社会に実装する際に生じる課題を把握し、より実効性の高いメンタルヘルス対策を検討できる点を強みとしています。研究成果を社会に適切に還元し、実社会で役立つメンタルヘルス対策を実現できるよう、これからも研究と業務の両面で貢献していく所存です。
テレワークは、一時的な流行にとどまらず、今後も働き方の選択肢として定着していくことが予想されます。本研究をはじめとする取り組みが、その環境下で働く方々のストレス軽減や健康維持に貢献し、最終的には社会課題の解決につながるよう、引き続き研究と実践を重ねてまいります。