国内助成
contribution
寄稿
著者◉ 三輪大介(ヤラブの木)
- [助成プログラム]
- 2018年度 国内助成プログラム[そだてる助成]
- [助成題目]
- タマヌオイル・プロジェクト ―島の自然と暮らしを繋ぎ直す好循環の創出
- [代表者]
- 三輪智子(ヤラブの木)
Soft is beautiful
2019年、池間島(沖縄・宮古島市)の中学生に10年後どこに住んでいるかとアンケートで尋ねました。生まれ故郷である島に住んでいると答えた生徒は、13名中0名。なぜ、彼・彼女たちは将来この島に住むことを想像できなかったのか? 地域の持続可能性の根幹にかかわることです。
中学生なりの理由はいろいろありますが、やはり生活の基盤となる「仕事」が大きな問題であることがみえてきました。では、「島に仕事をつくる」にはどうするか?生徒たちは、島でなにかを生産して商売するのは無理だと答えます。なぜなら「島にはなにもないから」。この「なにもない島」で考えてきたことをご紹介します。
暮らしのなかにあるもの
わたしたち夫婦は、2012年から沖縄県宮古島の北に位置する小さな離島、「池間島」で島おこし/地域づくりのお手伝いをさせて頂いてきました。その中で、島のお年寄りからとても多くのことを教えていただきました。それは、消えゆく島の言葉や唄であったり、伝統的な漁法や農法であったり、自然の恵みをいただく知恵や経験に培われた手業、懐かしい光景や想い出の味などでした。それらをただ記録するのではなく、暮らしの中に「埋め戻していく」こと、それが私たちの目指す仕事でした。
民泊のコーディネート、島こよみの作成、コミュニティ奨学金の創設、在来作物の復活、しま学校の企画・運営、防風林の植樹活動などなど、島のなかに眠っている、消えつつある大切なものを、もう一度暮らしの中に再生させるようなさまざまな取り組みを実践してきました。
そのような取り組みの中で、わかってきたこと、みえてきた課題がいくつかあります。島の誇りである豊かな海や島の自然環境が決して持続的ではなく、環境の悪化は共同体の体力と無関係ではないこと、だれ一人取り残さない地域社会を実現するための具体的な仕組みが存在せず、ハンデを持つ人々の暮らしをシマが支えられなくなりつつあること、未来を担う子どもたちが、島にも自分にも肯定的になれないことなどです。
海垣と抱護の思想
池間島は、海と共に生きてきた島です。しかし、この数十年で主幹産業である漁業は衰退し、高齢者は口をそろえて沿岸の生物種・量ともに減少していると言います。その原因は、橋や港の建設、浚渫工事の影響のほか、生活排水・農薬・化学肥料の流出、海岸林(海垣)の衰微があると考えられます。私たちが特に注目しているのは海岸林=「海垣」の存在です。
海垣とは、琉球王府時代、島嶼環境の宿命的な課題であるエロージョン対策としてアダン等の植栽などで構築された琉球弧独自の在地技術です。人間の暮らしを守るための技術ではありましたが、結果的に健全に保持された海岸林が、陸域の栄養塩類の海域への流亡を抑制し、珊瑚礁の形成=生物多様性のホットスポットを育み保全してきました。海岸林そのものは、陸域と海域の結節点となる極めて重要な生物の生息域を形成し、ヤシガニ、オカヤドカリ、オカガニ等の住処となっています。また、ウミガメが産卵できる砂浜を保全し、幼魚の揺りかごとなる魚附き林ともなってきたのです。これらの多面的機能が、近年弱体化しています。
若い世代が島を出て共同体の体力が低下すると、さまざまな地域のメンテナンス活動も停滞します。旧道や耕作放棄地などは、わずかな時間で外来種のギンネムが繁茂して極相林となります。更新されない海岸林(主に保安林指定域)ではモクマオウや琉球松などの高木が枯れ、荒廃が進んでいます(放置・アンダーユース)。ギンネムやセンダングサなどの侵略的外来種は、高齢化した人力で草刈りなどを行うことは困難で、必然的に除草剤への依存が増えていきます(外来種と化学薬品)。また、監視の目がゆるむことで、廃棄物の不法投棄や海岸のリゾート開発、希少動植物の過剰採取などを容易に許してしまいます(開発・オーバーユース)。これらの環境悪化は、コミュニティ機能の低下と無関係ではなく、負のサイクルを作りだしているようです。
コンクリート家屋や農作物の品種改良によって、かつてほど海垣の重要性は意識されなくなりました。しかしながら、琉球列島には「抱護」という歴史的な思想があります。人が暮らす土地や農地を、「気」が漏れないように天然の地形や植樹した樹木によって抱いて護るという考え方です。集落を囲繞する樹林帯を「ポーグ」などと呼ぶのは、この「抱護林」の名残です。そして、島そのものを抱いて護ってきた海の抱護が、他ならぬ「海垣」でした。戦前・戦後もリュウキュウマツとモクマオウが熱心に植樹されてきましたが、近年はすっかり姿を消し、かろうじて残ったものも枯死した姿が目立ちます。この海垣の再生が、島の環境を保全・豊富化を考えていく鍵となります。
共同体を支える力
過疎・少子高齢化による弊害の主たるものは、(1)祭祀や年中行事等、共同体の一体感を涵養する催事の実施や、(2)清掃や補修等集落のメンテナンス活動が困難になること、(3)隣近所の共同体の相互扶助機能が低下すること、(4)公的な支援が届かない層、あるいは、傷病や障害等さまざまな理由から就労が困難な人々、収入が安定しない職種の人々の生活の自立度が著しく低下していくこと、の4点があげられます。(1)と(2)はいわゆる「限界集落」の課題として議論されてきた問題です。(3)の問題は、かつて島内で融通できた相互扶助による財やサービス(子育て、建築・農作業、生活資材の融通などさまざまなレベルでの助け合い)が減少する、または、商品として代替(購入)せざるを得なくなる状況を生み出します。それは、(4)の人々により深刻な打撃を与えています。
わたしたちは、生活の「自立度」という点に注目しました。この自立度は、個人のQOLのみならず、(1)(2)のコミュニティ活動の動員数等へ大きく寄与するもので、(3)の相互扶助を支える基盤でもあり、ミュニティの基礎体力ないし健全度に大きく関わる要素だと考えています(詳細は略しますが、自立度とはa. 必要最低限の経済力、b. 自己決定する権限と能力、c. 社会参加の実現度合い、とここでは定義しておきます)。
足腰が弱って畑に出られなくなったオバア、傷病者等でフルタイムの仕事に就けない中高年、不登校の生徒、コロナ禍等の理由で職を失った失業者など、さまざまな事情・問題を抱える人々がいます。公的な救済・支援制度もあるにはありますが、必ずしも皆がここで救われるわけではありません。最初は外部との接触が少し減るとか、お酒の量が増える程度ですが、場合によっては健康・経済問題と重なって深刻化し、経済的困窮に伴う栄養失調、引きこもりや自己肯定感の低下、アルコール依存、ネグレクト、教育格差など新たな問題も生まれてきます。焦眉の課題はこの「社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)」なのですが、その解決は容易ではありません。「誰ひとり取り残さない」ための公的な制度は十分ではなく、上からの補助や支援だけで人は元気になれない、というのが実情です。そのために個々の暮らしの自立度を高めることが必要だと考え、試行錯誤を続けてきました。
わたしたちは、「支援」ではなく、仕事としての「取引」であること(対等な関係性)、自分の意思でその作業量や時間を決められること(自己決定)、正当な対価が支払われること(経済力)、が必要だと考えました。必然的に、特産品を作る大きな工場や数百人単位で訪れるマス・ツーリズムといった方向性とは逆のベクトルになっていきます。わたしたちが考え出したのは、特別な設備や技術、筋力や経験がなくてもできる軽作業、いつでもどこでも自分のペースでできる「たくさんのちいさな仕事」を創り出すことでした。
小さな渦の最初の回転
2015年から、海垣の再生を目指して、島の在来樹種の種を集め、苗木を造り、島の周囲に植樹する「よみがえりの種」プロジェクトをスタートしました。島外者が島の海岸を開発し、かつての景観が壊されるという危機感がその背景にありました。まずは自分たちの足元を支える自然環境の現状に目を向けること、植樹を通して古くからこの土地にある自然・資源管理のあり方(海垣や抱護林)を再確認すること、その中から島の未来を考えるヒントを見つけ出していけたらと考えていました。
プロジェクト当初、この在来樹木の苗木づくりを高齢者の庭先で行い、島内植樹と販売をおこなうコミュニティ・ビジネスを考えていましたが、販路の確保や行政との連携など難しい問題が多く中断してしまいました。ところが、ヤラブ(テリハボク)という樹木の種から上質なオイルが採れ、南太平洋の島々では伝統的な皮膚治療薬として使われていることがわかってきました。タヒチでは「タマヌオイル」と呼ばれています。
池間島でヤラブは、古い神謡や豊作祈願の祝詞などで、豊穣の比喩に唄われる存在です。耐塩性が高く直根性のため台風にも強いので、防風・防潮林としては最適です。この木の実は、島の子どもたちの大切なオヤツでしたが、実が沢山落ちるため道路などは清掃が大変で、近年では厄介者あつかいされるようになっていました。しかし、先人たちが大切に育んできたヤラブからタマヌオイルを作り、島の課題解決に貢献できるとすれば、これほどワクワクすることはありません。
調査・実験を重ねるなかで事業化の目処もたち、2018年末、クラウド・ファンディングでキック・オフの資金を募りました。全国からご支援をいただき、池間島・宮古島産タマヌオイルを世に出すことができました。翌2019年からは、トヨタ財団の助成を受けて島で高品質のオイルを搾油する環境が整いました。この助成によって、「島で製品が作られている」という誇りと、新素材開発を含め無限の発展性を担保する基盤が与えられました。
わたしたちのタマヌオイルは小さな渦の最初の回転です。ぐるぐると廻りながら島の課題と向き合い、島の自然を豊かに、島の暮らしを元気にしていくデザインを描いていきました
“やわらかな” モノづくりと未来投資
タマヌオイルは、自然落下した種子を拾うだけなので既存の資源に負荷をかけません。機械化せずに人の手で殻を割り、一粒一粒ハンドピッキングで選別します。乾燥は、太陽と風の力で自然乾燥を行い、機械は最小限の利用しかないため電力の消費(CO2排出量)を抑制しています。また、器具類の洗浄時などに合成洗剤を使用しない、割った殻や搾り滓などは、全て畑や植樹地で防草資材や肥料として活用して廃棄物をださない、そういった、小さな資源循環のなかに組み込まれたモノづくりです。つまり、ビジネス的には非常に効率の悪いシステムです。
しかし、この「すこしずつ」「ゆっくり」しか作ることができない丁寧さ、やわらかさこそ、わたしたちのオイルの最大の特徴となっています。そして、このタマヌオイルの製造・販売を通じて得られた利益は、3つの社会的なの課題に再投資されます。
1つは、「たくさんのちいさな仕事」づくりです。具体的には、通常機械化される種割りの工程を、高齢者をはじめ、傷病、依存症、不登校などさまざまな課題を抱える人々に委託し、歩合に応じて買い取る仕組みを構築しています。わたしたちのオイルは、この「ちいさな仕事」によって、あえて生産効率を追求しないかわりに、「丁寧に一つ一つ人の手で割られた種から作られたオイル」という付加価値を獲得しています。
手探りでこの事業を始めたわたしたちに、オバアたちはこう言って励ましてくれます。「みんなでおしゃべりしながら種を割って、この油で(顔の)シワがのびて、白くなったら上等さぁ」、「若いひとたちががんばっているのを、80歳がこうやって手伝えるのは上等だね、どんどん割るから、俵で(種を)持ってきなさい!」。
丁寧に一つ一つハンマーで割った種は、機械処理とは違ってカビや虫喰い、変色・未成熟種子を取り除くことができ、質の高い製品づくりの基礎を担っています。種割りのシーズンには、集落のあちこちから、ピシッ、パシッと種を割る音が聞こえてきます。
2つ目は、コモンズの森づくりです。2018年より海岸沿いの共有地にテリハボクを植林し、「ヤラブの森」を造成しています。
テリハボクは防風防潮林として琉球列島を代表する非常に優れた樹種です。島の共有地約4400平米は、長く放置されたためにギンネムに覆われていました。自治会長が自らユンボを運転し、島の有志が鍬やのこぎりを手に開拓を進めていきました。整地後、自治会など島の主だった団体で構成する「島おこしの会」主催で2018年より毎年100本以上のテリハボクを植樹し、常時メンテナンスを実施しています。
ヤラブの森は、豊かな海を呼び戻す海岸林(海垣)の再生と、タマヌオイルの原料となる種子の共同採取地としての里山を創造するという、二つの目的があります。今後、この森から収穫した種子でオイルを作り、自治会と連携して共同体の財源にするように考えています。いずれは有機JAS認証などを視野に、コモンズの森とそこに連続する農場の整備(島まるごとオーガニック戦略)ができたらと夢を膨らませています。
3つ目は、「なにもない」と言うこどもたちへの答えです。2017年から総合学習コーディネートとして池間小中学校で授業をさせていただいてきました。
授業は一貫して“足元を掘る”ことからはじめます。自分たちが何によって生かされてきたのか、“あたりまえ”の景色の意味を知ることから自分たちの未来、島の未来を展望するような学びができるよう試行錯誤しています。
これまでアダンなど島の生活文化を掘り起こす学習を続けてきたので、2019年からは、いよいよ島の素材から商品を開発するようなプログラムを提案させて頂きました。さまざまな外部講師や都会の提携校の助けを借りつつ、島内の素材調査、商品企画、実験、調査、原料収穫、製造、パッケージデザイン、広報・営業用文章・ポップ作成、営業まで、すべて生徒たちで考え、プロジェクトをマネジメントしていきました。
2020年12月、アダンや月桃など島の植物素材を使用した化粧品が完成しました。行政や民間企業など、非常に多くの方々のご厚意で、宮古島内のホテルや商業施設で営業プレゼンをさせて頂き、下地島空港で実際に観光客へ販売する体験もさせて頂きました。宮古島市長・教育長へも堂々と完成報告を行い、商品は発売3日で完売しました(300本限定販売でした)。
授業の終盤、生徒たちに少し変化が起こったようでした。特に驚かされたのは、市長や観光客など、どんな人の前でも普段は引っ込み思案の生徒が自らすすんで2年間の取り組みや自分たちの考え、商品や島のことを説明する光景です。
生徒たちが学び取ったものは一つではないと思います。このような新たな希望の種を見つけ出す学びが、「なにもない」との思い込みやあきらめを変えていく一助になってほしいと願っています。
Soft is beautiful
トヨタ財団の助成期間を終え、次のステップに進む時期にきています。これまでの実践を通じて、今後の展開のヒントや課題がみえてきました。
今後の課題として、非常に切実かつ喫緊の目標は、助成に頼らず自らの事業で自走することです。社会活動とのバランスから原価率を高く設定し、教育や地域活動の非営利活動が多いため、利益を上げにくいというジレンマを抱えています。しかし、まさにこの両立こそわたしたちの活動意義でもあります。
また、活動に必須の専門家との連携が当初より大きな課題です。離島を言い訳にはできませんが、パッケージ等のデザイナ-、成分分析等で研究機関、都市部の販売店などとの連携・コネクションづくりがなかなか進展していません。一方で、わたしたちと同じように地域課題の解決を目指すコスメ業者(社会派化粧品グループ)と横のつながりで出来て、共同で催事出店や合同オンラインイベントの開催などができるようになってきました。
今後の方針として、最近わたしたちは、hardの対義語として「soft(やわらかい)」という語を使っています。
かつてシューマッハーは『small is beautiful』の中で、顔のみえる技術、適正技術という概念を示しました。わたしたちの仕事やモノづくりは、ちいさく、ゆっくりでもいいから、自然も人の暮らしも傷つけない「やわらか」なものにしよう、そこから人にも自然にも優しい製品を作ろう、soft is beautiful というコンセプトです。
そうやって作られた製品は、少しずつ外部の評価を得られるようになりました。「サスティナブルコスメアワード 2020」審査員賞、「ソーシャルプロダクツ・アワード2021」ではソーシャルプロダクツ賞をいただきました。評価は種割りでかかわってくれているオジイやオバア島民みんなの誇りです。
「なにもない島」をそろそろ返上してもよいかもしれません。