プロジェクトイベント・シンポジウムレポート
シンポジウム「戦争の落とし子たち――アジアとヨーロッパの戦後」が開催されました(研究助成プログラム)
情報掲載日:2014年12月22日
シンポジウム「戦争の落とし子たち――アジアとヨーロッパの戦後」が開催されました(研究助成プログラム)
このシンポジウムは、2012年度研究助成プログラムの助成対象プロジェクト「戦争をめぐる日蘭関係の解決にむけて――在蘭邦人による「他国史」の内在化と現地のニーズに対応した民間主導の日蘭歴史和解プログラム生成に向けた研究」により企画され、2014年9月20日(土)、オランダ・ユトレヒト市で開催されました。
第二次世界大戦より前、オランダはインドネシアを植民地として、蘭領東インドを形成していました。太平洋戦争に突入すると、植民地軍は日本軍に降伏し、1942年3月から約3年半、この地域は日本の軍政下に置かれることなります。この間、蘭領東インドには約36万人の日本人軍人・軍属が駐屯し、彼らを父とする子どもがたくさん生まれました。1945年8月に日本が敗戦すると、多数の日本人が妻子を残して帰国しましたが、残された若い母と幼い子どもには、その後、インドネシア独立戦争の戦火を生き抜いて、初めて見るオランダに「引き揚げ」た人びとも少なくありませんでした。
助成プロジェクトは、このようなルーツを持つ日系オランダ人の父親探しを支援するため、公文書史料の収集・整備を行ったり、日系人にとどまらず、さらに多様な背景・立場の引揚者のニーズに応えるため、日本軍の捕虜や民間人抑留に関する日本語の公文書や研究文献の目録を作成し、オランダ語/英語のウェブ/紙媒体で提供したりするなど、引揚者への支援と彼らの対日憎悪の転換を通じ、日蘭の歴史和解を推進しようとめざしています。
以下、シンポジウムの模様について、プロジェクトの代表者である「アジア太平洋戦争関連史資料および学術連絡支援財団(SOO)」の前川佳遠理氏よりご報告をいただきました。
当日、会場となったユトレヒトの歴史的建造物Paushuizeには、日本の肉親と父親を探す日系二世の団体などから多くの方が来場されました。なかでも、SOO財団に肉親捜索の依頼をされているみなさんは、大変真剣な面持ちでした。はじめに、河合弘之弁護士(さくら共同法律事務所)の率直で熱のこもった講演があり、熱気に包まれた会場は一体となりました。
血縁関係を証明できない日系人は、日本人であるにもかかわらず、戸籍の届出がなかったために法的には日本人であるとみなされていません。オランダの日系二世の多くは、オランダに引き揚げたのち、「敵の子ども」であると軽んじられ、蔑まれてきたという悲しい歴史があります。母親の多くは、あまりに辛い過去から、子どもの父が日本人であることを秘密とし、口を閉ざしました。70歳前後となった「子どもたち」は、誰が父親なのか、自分がいったい誰なのか、日本人の血を持つ自分の顔を見つめながら、毎日そう感じています。
「国の最も基本的な義務は自国民の保護です。(日本は)その義務に不熱心です。私はそれを恥ずかしく思います。だから、それを補うために、私は民間人として海外で苦しむ日本人またはその子孫を助けたいと思っています」。河合弁護士のお話に、会場からは、たくさんの質問がありました。「自分たちも日本人であることを認めてほしい」、「日本の父がどんな顔をしているのか、自分の顔と似ているのか、どんなことでもいいから知りたい」、「日本の親族に迷惑をかけたくない、日本の親族にはどんな苦労があったのだろうか」、「私は父と一緒に生きていく時間を失ったのです」。父親を探すことは、自分が誰であるかを知ることなのだと深く感じさせられました。
続いて、フィリピンに置き去りとなった日系人の「戦争の落とし子」の支援を行っているNPO法人「フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)」の活動について報告がありました。残念ながら、前事務局長の高野敏子氏は、前月のフィリピンからの集団一時帰国(新たに日本国籍の取得が認められたフィリピンの方々が初めて日本の父のふるさとを訪れました)の日程がようやく終わったところで、当日は欠席となりました。その代わりにたくさんのスピーチ原稿とスライドを送ってくださいましたので、会場で代読させていただきました。
PNLSCでは、日本国籍の回復を望むフィリピン日系二世の就籍プロジェクトを行っています。日本国籍を回復したフィリピン日系二世は、現在129名となりました。目下、家裁で22件が係争中、30件が申し立て準備中とのこと。フィリピンでの活動には、オランダの日系二世のみなさんもいつも大変励まされており、機会を改めてぜひお会いになっていただきたいと思います。
最後に、ベルギーからヘルリンダ・スウィルン氏をお呼びし、講演していただきました。スウィルン氏は、ヨーロッパ各国の団体が参加している「戦争で生まれた人びとの国際ネットワーク(Born of War International Network)」の前スポークスマンです。ご自身もベルギー人の母親とドイツ兵の父親の間に生まれたおひとりですが、第二次世界大戦のヨーロッパでは、多くの国がナチス・ドイツの占領下に置かれ、たくさんのドイツ系の子どもが生まれました。スウィルン氏は、力強いスピーチのなかで、「父親を知るのは子どもの権利です。国連の子どもの権利条約でもうたわれている権利なのです」と述べられました。
この日、河合弁護士とヘルリンダ氏からご提案いただき、SOO財団は10月25日にベルリンで開催される「戦争で生まれた人びとの国際ネットワーク」の年次会合に招かれることとなりました。SOO財団とPNLSCの両方がヨーロッパのネットワークに入ると、より大きな視野で、戦争で生まれた日系人やドイツ人の子どもの権利を共に訴えていけることになるかもしれません。今後の取り組みに期待していただきたいと思います。
今回のシンポジウムに対しては、さまざまな方面から高い関心が寄せられ、オランダの新聞やラジオなどでたくさん取り上げられました。
プロジェクトの概要については、「助成対象者検索ページ」から「前川佳遠理」で検索してください。