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財団イベント・シンポジウムレポート

特別対談「コミュニティづくりは仕事づくり 哲学者 内山節 × コミュニティデザイナー 山崎亮」(国内助成プログラム)

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    イベント・シンポジウムレポート

情報掲載日:2017年8月7日

※本記事は、「2014年度国内助成プログラム成果報告書」に掲載した対談内容の完全版です。成果報告書については、こちらこのリンクは別ウィンドウで開きますをご覧ください。

コミュニティづくりは仕事づくり

KAIDO Books & coffeeにて

山崎 2014年度のテーマは、「未来の担い手と創造する新しいコミュニティ ―地域に開かれた仕事づくりを通じて」というものでした。



内山 全般的な傾向として特に東日本大震災以降、場の中に暮らしも絡むし仕事も絡むみたいな、総合性を持った場みたいなものを志向する傾向が全国的に強くなってきたという感じがします。

日本の歴史を見ていくと、多分縄文の昔から仕事って自分たちで作ってきた。それが明治頃から少しずつ高度成長期になって急激に仕事って雇われることに変わったんですよ。それでよかったのかなという気持ちが今生まれている。雇われても非正規雇用であったり、安定的に雇われ続けたとしても、本当に幸せだったのかという疑問があって。雇われるという形になると、地域社会からは完全に孤立した個になってしまう。コミュニティやつながりがなくなっているとういう社会の問題と雇われるという仕事観への疑問がセットになって出始めているという感じでしょうか。



山崎 雇われて働くという形態は当たり前だと思っていたが、まだ不完全なものだった。できて間もなくてヨチヨチ歩きだったわけで、ひょっとしたらそうじゃないかもという揺り戻しがあるんでしょうね。



内山 揺れているのですが、どうしても規模が大きくなると仕組みになってしまい、それを変えることが難しくなるんですよね。企業の経営者の中でも今の雇用契約はこのままでいいのか?という疑問がある人もいると思うけれども、変えられないんですよね。世界市場の中でがんじがらめになっているんですよ。



山崎 この国の話だけではないですものね。

生活ということと働くということが混然一体となった場みたいなものがなくなった中で、改めてそういう場が増えつつあるということになのでしょうか。



内山 上野村はそこ自体が場。村全体が一つの場、その中に集落という場、それぞれの家もまた場で三層くらいになっている。場って一つの場を作ってそこで全部解決しようとすると実は窮屈になる。むしろ多層的な方がいい。今はそもそも場がなくなってしまったから、とりあえずつくろうという感じになっているけど、それが定着してくると、もうちょっと多層的になるのでは。



山崎 その方が息苦しくなくなるという感覚はわかるなぁ。我々みたいな建築や都市計画の分野でよくスペースとプレイスというが語られていて、箱モノをつくる人って空間の形にこだわるわけですが、それは暗黙のうちに中を埋めてくれる行為や関係性があることを信じて形を作っているわけです。ところが、中の物自体が揺らいでいて個別、個別になって孤立した時に、スペースを与えるだけではダメなんじゃないかと思い始めます。空間だけではなくそこを場にしていくために、いろんな関係性や活動を生み出していかなければならないと思っています。

2014年の助成事例を見ていて今おっしゃった意味での場ということに無意識でも気づいて活動をしている人が増えてきているなという印象ですよね。



内山 大きな流れとしては、僕は伝統回帰と思っています。共同の世界があってそれに包まれて個人の仕事や暮らしがあるというのも伝統回帰かなと感じている。とはいえ昔の姿にそっくり戻すのが伝統回帰ではなく、忘れていたものを取り戻していくという方向ですね。

関係性の中での仕事

内山氏

山崎 江戸時代武士というサラリーマンもいましたが、ほとんどの人が小作人も含めて個人事業主的に働いていて、ギルドみたいな組織を作りながらやっていた。そのパーセンテージからすると今は83%くらいが雇われていて、17%しか個人事業主がいない。割合が逆転していますね。



内山 江戸時代には大きな商店や職人の所には丁稚の制度がありましたが、あれは将来独立する前提ですよね。生涯務めるわけではなくて、雇った方も独立を保障する形で雇っていた。実際独立するときは必要な資金は主人が出す決まりだった。それだけではなくて、独立した元丁稚がたちまち経営に行き詰まるのは主人の恥だったので、お客さんを一部分けたんですよ。



山崎 今とは逆ですね。かっこいい!



内山 主人はうちの奴が独立するのでひいきしてやってくださいとお客さんに言って回ったし、元丁稚の生活が最低限うまくいくようにした。



山崎 丁稚が独立後行き詰ったら主人が恥ずかしいと思うから応援するというのは、場に関係性があるから恥ずかしいという感覚が旦那に発生する。やはり地域に繋がりがきっちりあるときには、ある種の責任感というか、後を気遣うということが生まれていくんでしょうね。



内山 今の私たちは買い物をするときに安ければ安い方がいいというのがありますけど、昔は関係性の中で売買されていくので、お互いに維持されるということが重要だったわけです。関係がずっと持続できるなら10,000円のものに12,000円払って商売を成り立たせということがあったわけです。



山崎 その消費の仕方も、今地域で起きていることに近いかもしれませんね。自分の地域に書店があってほしいと思えば、インターネットで安く買えるとしても、町の書店で買うという人たちが増えてきている。



内山 関係性ということで言えば地域社会は二重でないといけなくて、地域外の人たちが関係をむすんで外側が特定の空間だけど周辺がぼやっとしているということが必要です。

上野村でいえば、上野村の資産の中にはIターン者もいるし自然もあるけど、村に住んでいるわけではないけど村に協力している人たちがいるわけです。これもかなりの資産です。村民1300人しかいないですから、1300人ではわからないことも当然発生します。ですからいろんな形で協力してくれる人がある種専門的なバックアップをしてくれたりとか。村というのも、本当は地域社会はと言ってもいいけれども、地域社会は二重でないといけなくて、地域として一つの場をつくるのもありますが、地域外の人たちが関係をむすんで外側が特定の空間ではない、ぼやっとしているけど場であるというのも必要。たぶんこれも伝統回帰なんです。昔は行商の人とかがやっていたことです。

山崎 情報や物を運んだり、人を紹介したりしていたわけですからね。定住人口のまわりに関係人口があるということが言われていますよね。

数量化できないことを追いかける

山崎氏

内山 近代は、GDPを増やす、そのために生産効率をあげるとか、数量化できる世界を追いかけたわけですね。ところが今、キーワードが変わってきていて、幸せとか、豊かさに変わったわけです。



山崎 数量化できないわけですね。



内山 もちろんある程度の数の世界は必要です。ただ、それは目的を遂げるための手段にすぎなくなっています。3人の仲間でやるプロジェクトを30人が無償で支えてくれる、そういう起業の仕方がこれから増えていく。電卓をたたかない人たちを周りにつけて、いかにみんなが応援したくなるような仕事を作るか。



山崎 まさにそうでしょうね。助成プロジェクトの中に潜在的な担い手、例えばママとか障がい者の仕事づくりに取り組んでいる方々がいます。従来でいえば数量化できるやり取りの中ではなかなか見えていなかった人たちが関係性の中で働くということができるとより存在が見えてくる。



内山 多くの場合、行政が仕事がないといった時の仕事には柔軟性がないです。仕事を作っても地域が衰退する。それがはっきり見えてきたのが地方だったということです。



山崎 実際には都市部でも地方でも同時に似たような変動が起きている。ただ都市部の場合はどうしても電卓を叩く部分が大きくなります。

何かあった時に助けてくれるという関係性もずっと身にまとっていることが大事ですよね。今風にいうとレジリエンスを担保する関係性を紡いでいく。そのことが持続性につながるわけですね。



内山 昔の修験道系の霊山に行くと宿坊ってありますね。東京の御岳山の宿坊街は江戸中期にできたのではないかと思います。宿坊ってある意味旅館です。個々の経営があるわけですが宿坊街を形成することで一軒ごとの経営も安定するんです。御岳山神社がありますが、神主は宿坊の主人が一年交代でやっていて、専門の神主はいないんですよ。



山崎 面白い形態ですね。



内山 その形で何百年も続いているというものすごく良い持続性のあるモデルを作っているということですよね。独立性のある仕事と全体があるからこそ独立性がある。電卓で計算できる意味での経営基盤と非経営的分野を持つことで経営基盤の持続性が保証される形になっているわけですよね。しかもあれが成り立つためにはあそこの自然がないといけないのでね。

山崎 なるほどね、そういう関係性の中で持続性を担保している。

地域における学びの場

山崎 学びの場づくりについて考えることはありますか?今お話があったみたいに場を作ることは、仕事づくりでもあるわけですが、そこへ行きつくプロセスとして地域における学びが大事だと気付いて立ち上がり始めている若い人たちも増えています。



内山 学びの意味が変わってきていると思います。仕事をする=雇われるみたいなことが進行した時代って、学びは学びのプログラムを効率よく吸収することでしたが、今はいろんなものから学んでいくという学びですね。自然からも、地域文化からも。いろんな学びに変わっているし、学びの内容が客観化できない、数値化できないことに魅力を感じるようになっているのではないでしょうか。

関係性における役割

山崎 担い手のありかたについてはどのように考えますか。



内山 一般的主体的に生きなければいけないみたいなことを言いますけど役割をこなすことが大事。役割は、関係性の中にしかないわけで、役割をこなすことが主体性であるというのがもともとの日本の発想です。ただそれが西洋的な主体性になってしまったから、自己が一生懸命に頑張ることが主体性みたいになってしまった。欧米的な意味の主体性の時代から役割の時代へと移ってきているんじゃないかな。



山崎 僕は、欧米的な主体性の考え方に毒されているなと思いました。國分功一郎という哲学をやっている友人が『中動態の世界』という本を送ってくれました。能動態でも受動態でもない、「中動態」という言葉の歴史を追うという本です。今のお話しを聞いていたら、関係性の中にある役割をきっちり果たしていく中動的な主体制みたいなものかなと。

プロジェクトを実施した方の言葉で、「なかなか物事が前に進まなくても草刈りを続けること」というのがありますね。こういうのも中動的な態度に見えますが。



内山 どうやって持続性を確立するかだと思うんですね。長い期間にはピンチもたくさんあるわけです。そこでちょっと頑張って草刈りをする時期もどうしても必要になるでしょう。最終的には持続性のあるものは何なのかというのを発見する道だと思います。



内山 どうやって持続性を確立するかだと思うんですね。長い期間にはピンチもたくさんあるわけです。そこでちょっと頑張って草刈りをする時期もどうしても必要になるでしょう。最終的には持続性のあるものは何なのかというのを発見する道だと思います。

良いリーダーシップとは

山崎 チームワークとリーダーシップについてはどうでしょうか。



内山 リーダーシップと言っても、硬直した組織のリーダーシップは、何か不都合が発生した場合折れてしまう。リーダーシップはあるんだけどないような、柔軟な形が重要ですよね。



山崎 昔の中国の言葉だったと思うんですけど、一番よくないリーダーというのは皆に嫌われているリーダー。少しいいリーダーはみんなから尊敬されているリーダーで、一番いいリーダーは何しているかみんな分からないけど、うまくいっているリーダーだというような言葉がありました。この人がいないと成り立たないというリーダーシップとは違うマネージメントができているリーダーがいいかもしれません。



助成の成果とは、これから応募する人たちへ

内山 ある意味では助成事業だと報告書を求めるわけですね。報告書ではこういう成果がありましたと書かれている。何が成果かはわからないけどみんな楽しそうだった、というのはなかなかダメですよね、一般的には。でも案外後者でいいのかもしれない。



山崎 助成する側にも工夫が必要なのではと思いますね。いつも議論になりますが、申請書類が上手く書けるところが真の意味で地域で効果を出し続けているかについてはまだよくわからない。



内山 その辺は難しいですね。



山崎 最後にこれから国内助成に応募する人へのメッセージございますか。



内山 本気になってこれがやりたいということで応募すれば、その雰囲気は伝わると思います。こういう内容ではどうだろうかとかあまり考えずに、この地域ではこれが必要なんだという力があれば。



山崎 審査員側は数値化できないことが山ほどあることは理解したうえで審査しようとしているんだということは、是非知っておいてほしいです。これが大事だと信じているということをいったん相談してほしいですね。事務局側との対話の中で応募内容を決めていくことができる。地域にとって価値があると思うものをまずはどんどん相談してほしいですね。




<プロフィール>

内山節氏
哲学者
NPO法人・森づくりフォーラム代表理事

山崎亮氏
コミュニティデザイナ―
studio-L代表

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