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JOINT33号 インタビュー3「共通する苦しみや悩みを共有できる人でつながる」

JOINT33号+インタビュー+WEB特別版3阿部恭子

聞き手:利根英夫(プログラムオフィサー)

[助成対象者]
阿部恭子
[プロフィール]
特定非営利活動法人ワールドオープンハート代表。2016年度国際助成プログラム「アジアにおける加害者家族の現状と支援に関する共同研究─日本、韓国、台湾を中心として─」助成対象者

※本ページの内容は広報誌『JOINT』に載せきれなかった情報を追加した拡大版です。

共通する苦しみや悩みを共有できる人でつながる

ケア型人権団体としての活動への取り組み
──事業の内容と、ここに至るまでの経緯を教えてください。
加害者家族について取り組み始めたのは2008年12月からです。ワールドオープンハートは、東北大学大学院在学中から法学研究科の同級生とともに、人権に関する勉強会としてスタートしています。当時は現在のような活動は全く予想してなくて、アドボカシー活動が中心というイメージでした。具体的な計画は立たないまま、日本のマイノリティの中で、支援が行き届いていないマイノリティはどのような人々かを調査していました。

私が「マイノリティの人権」というテーマに目覚めたのは13歳で、それからずっと活動してきました。当時、中学生で特別意識が高かったというわけではなかったのですが、最初に好きだった人が在日韓国人だったんです。単純にその人が好きで気に入られたいという動機で活動に関わり出しました。一番シンパシーがわいたのは外国籍の子どもたちとの交流です。肌の色が完全に日本人と違っていて、一目で外国人と分かる子どもたちでした。親が強制送還されてしまって施設で生活していたのですが、素行が悪すぎるということで、施設でも手をこまねいているような子を、私が好きだった「先生」がケアしていたんです。みんなそういう人は嫌がってもっと助けやすい人を助けるんですけど。

その人はクリスチャンでもあったのでさまざまな慈善活動をしていました。たとえばクリスマスに、施設にお菓子を送るパッケージを作る作業など、私はまだ13歳だったので、単純な作業しか手伝えることはないと思っていました。ところが、先生は、そんなことしなくていいからこっちに来てあの子たちと向き合って対話しなさいと、とても難しい支援にチャレンジするようにいつも言われていました。先生はとても厳しかったんです。単純に物を与えるような支援には否定的で、「マイノリティひとりひとりと向き合え」という課題をクリアすることは楽ではありませんでしたが、その活動を通じていろんな人に出会いました。

暴力団の人や刑務所にいた人もいたし、難病や障がいがある方もいました。好きな人に気に入られたいというのもあったし、理解したい、自分がこれまで意識したことのない世界を見ることは全然嫌ではありませんでした。それ以来、学校の勉強が物足りなく感じるようになりました。

自分の中の「マイノリティ」にも気がつくきっかけになりました。自分が女性でマイノリティという意識は低かったです。仙台で育ちましたが、基本的に男尊女卑社会なんですね。社会全体が今よりその傾向は強かったかもしれませんが。就職が決まらない時期があっても、女子ということで受けるプレッシャーは強くありませんでした。最終的には結婚するんでしょみたいな。そういう逆差別であまり周りからは小言を言われないから、割といろんなことに挑戦できました。収入が安定しないことをやると言っても、まあ女の子だからねという感じで。男の子は本当に大変でそういうのを見ているとやはり生きづらいなと。同世代の男の子だったら嫁と子どもを食わせるのがあたりまえみたいな考えがいまだに根強いと思うんですね。私もいろんな国や地域の人と交流する機会がなければ、そういう違和感に気づかないでそのまま大きくなったかもしれません。

先生と出会ったことで、マイノリティの人権は自然に認知されてきたのではなく、声を上げて活動する人々が戦って社会を変えてきたのだということに気がつきました。授業で学ぶ知識ではなく、対話や交流によってその重要さを体感することができた気がします。それが中学生の時です。高校、大学に進学して、大人になっていく過程で出会った中にマイノリティの友達がいたのですが、その友達が自殺してしまうという経験もありました。原因は特定できないんですけれども、就職がなかなかできないとか結婚が難しかったりとかいろいろあったようです。生きることを諦めてしまった理由はマイノリティとしての生きづらさと無関係ではないのではないかと思いました。

その後も、さまざまな運動に参加したりもしていたんですが、そういう組織ではお互いに傷つけ合ったり攻撃しあったりすることがあって、なかなか人々がまとまらないという状況を見てきました。マイノリティの人の中には差別やいじめを経験している人も沢山います。傷が癒えていないから、人権活動組織内でもお互いに傷つけ合ったり中傷したり、ちょっと攻撃的な活動の形になったりすることもあります。そのやり方だとちゃんとした市民権を得られないんじゃないかと思ったこともありました。みんな傷ついているから自分の加害性に気づかないんですよね。でも、それだと社会全体の調和としておかしいし、人権ってマイノリティの特権ではなくてみんなに等しくあるので、やはりそこをもうちょっと考えていかなきゃいけないよね、というところで理論的に詰めたいというのと、あとはケアも重視した人権団体を自分で作りたいという思いがあって、大学院に行きました。

──ケアの要素も入れたいというのは、サービスも提供するということですか。
加害者家族の会にはそういうケアの要素があるんですけれども、アドボカシーだけではなくてケアも重視したいと、私は法学研究科にいたのですが、心理学も勉強した時期があって、社会運動だけではないところにも関心がありました。私はケア型の人権団体と言っているんですけど、そういう団体を作りたい、ということでワールドオープンハートを立ち上げたのです。

2007年から2009年まで大学院に在籍していたのですが、2004年に犯罪被害者等基本法ができて、2009年から裁判員裁判が始まっています。この時期は司法制度のすごく大きな改革期で、被害者も裁判に参加できるようになり、被害者に関する研究もすごく目立っていた時期だったんですよね。犯罪被害者もマイノリティなんですけれども、可視化されにくかった状況を当事者が変えていき、被害者の権利として明文化されました。こうした動きも新しいマイノリティだなと思っていたところ、加害者家族という問題に気づかされる出来事がありました。

それは社会病理学の先生がたまたま東野圭吾の『手紙』という映画をゼミでの題材で扱って、犯罪者の兄弟が差別をされるという話なんですけれども、社会病理としてこういう差別がありますよ、と。それでこの社会病理に対して君たちはどういう処方箋を出しますか、君たちはお医者さんになって考えなさいと。それでディスカッションしたんです。私はおそらく、行政は犯罪者の家族にアクセスすること自体難しいのではないかと思いました。国にデータがないとすると、誰かが加害者家族にアプローチし、現状を聞き取るという作業が必要になる。こうした作業は、国や行政があまり得意としない分野です。まさにNPOのような団体が馴染むんじゃないか、支援をするというのがいいんじゃないか、と提案したんですよね。そうしたらみんなもそうだよね、それはいいね、というふうになったんですけれども、最後に、でも絶対にそういうことをやる人はいないよねっていうことになりました。どこからお金が出るだろうとか、利益や持続性を考えるとそもそも担い手がいないと思うという話で授業は終わったんです。

その時に、じゃあ私やります、とは思わなかったんですけれども、ちょっと気になって調べていくと、確かに支援らしきものもないし、情報がそもそもありませんでした。加害者家族という言葉もなく、検索ワードとして「犯罪者」・「家族」と入れると、犯罪者の家族が自殺をしていたなどの情報が見つかりましたが、詳しい記事は一本もないような状況。そもそも加害者家族はどこにいるんだろうという疑問がありましたし、加害者家族は隠れたマイノリティなんじゃないかな、と思い至りました。

国内に情報がなかったので海外に目を向けました。「プリゾナーズ・ファミリー」や「プリゾナーズ・ファミリー・サポート」で調べると、英語圏だけでもたくさんの団体や論文などの情報が出てきました。海外にあるんだったらそれを真似していけばできるんじゃないかと思って、ゼミとは違う大学院生のグループを作ることにしました。学生でお金がなかったので、できることは限られていたんですけれども、今やっている加害者家族の会のような当事者だけが集まる集いであれば、安い市民センターの会場費を割り勘すればいいから、そういうことから始めようとスタートしたのが、ワールドオープンハートの加害者家族支援です。

──呼びかけはどういうふうにしたんですか。
仙台にある市民活動サポートセンターに、加害者家族の会をやりますっていうチラシを持って行って置いておいたんです。そうしたら地元の河北新報さんが見つけて取材してくれました。その当時、調べて見つけられなかったけれども、たぶん東京とか大阪のような大きな都市ではやっているんじゃないかなと思っていたんです。ネットには情報が上がっていないけれども、絶対にないはずはないよねと。

でも記者さんも調べてくださったのですが、こういう活動は国内には見つからないということで、先駆的な活動として河北新報が夕刊に載せてくれたんですね。その夕刊が出たときネットニュースにも載って、そのネットニュースが出てから相談がすごく殺到しました。それでやはり加害者家族支援のニーズが高いということ分かりました。

2008年12月当時、私はまだ修士論文を書いている時期で、活動を始めてからすぐにたくさんの反響があるなんて予想はしていなかったし、少なくとも反応が来るまで時間があるかな、と思っていたんです。しかし、結構リアクションが早くて。記事にしてくれた河北新報の記者さんも、本当に組織でちゃんとやるべきじゃないかと助言をくださいました。深刻な相談が沢山あったんです。少なくともそれを放っておくことはできなくて、すぐ対応に迫られたという感じでした。

──皆さんはそんなに経験もないなか、いきなり最前線に立つみたいなことになったと思うのですが、ケアをする人たちとのつながりは、もうそこからとにかく急いでやらなきゃいけない、みたいな形でしたか。
心理の先生をはじめ東北大学に沢山の専門家の先生方がいらっしゃったので、何かあっても大丈夫という安心感はありました。私たちはそういう専門家につなぐだけの役割だろうというイメージでしたが、そうかと思いきや話を聞いてみると、各専門に割り切れないところの問題が沢山出てきたので、それをどうしようということになりました。

──シチュエーションが特殊というか、専門家の方もあまりやってこなかったような事がでてきたのですね。
人々の意識に上らなかった問題で、実務家もわからないし、研究者はもっとわからないという隙間のところだったんですよね。

──インターネットは今ほど使われていなかったでしょうから、新聞に載ったのを見て、という方も多かったのでしょうか。
加害者家族の人に話を聞いたら、やはり困っていて情報を探しているみたいなんですよね。ですので、活動についていまでも新聞、特に地方紙なんかに売り込むのはそこですね。年配の方々のなかにはインターネットを使わずに新聞を読んでいる人も多い。地元情報で事件の情報を得ているみたいです。

──学生の任意団体として立ち上げて、手弁当だけでは続かなくなるなかで組織としてやっていくことになったと思うのですが、最初はどうやって資金集めをしたんですか。
最初は電話代だけで5万円くらいかかりましたが、会員の中には社会人の人もいたので、そういう人たちが会費で何とかしてくれたという感じですね。今はかけ放題などのプランもありずいぶん安くなりましたけれど、当事は本当に高くて。

せんだい・みやぎNPOセンターに加藤哲夫さんという方がいらして、加藤さんはこの活動をすごく推してくださいました。そして、これはちゃんとやったら絶対助成金がつくからって言ってくれたんです。そのためには客観的に調査をしたほうがいいという助言をくださったり、各財団がこういうニーズで助成金を募集しているから、こういうのに応募するといいっていうのを教えてくださいました。地域の助成金というのもあって、20万円をいただいて電話代を支払ってみたいなところから、徐々に100万円くらいになっていて事務所を借りたりしてということです。

──トヨタ財団からの最初の助成は研究助成で2012年でしたね。国内の調査をするということでしたが。
トヨタ財団の助成金は私たちの活動の全国化への第一歩でした。当初は活動の規模を想定せずにやっていましたけれども、行政としては加害者家族まで手が回らないという状況のなかで、やはり私たちがそれをやらないといけないということが、2008年からの数年間でわかりました。 田舎と都市部ではずいぶん加害者家族の置かれる現状が違うというのも、その辺で気づきはじめました。

日本における加害者家族支援の特徴
──田舎と都心部の違いというのは具体的にどういうところですか。
都市部には社会資源があるので、プライバシーを隠すのが容易なんですよね。転居や転職の選択肢が多い。これが地方にはないので、相談を受けたときには、もし引っ越すとしたら都市に出た方がいいと助言しています。田舎の方がのんびりしているようなイメージがあるんですけれども逆で、プライバシーが丸裸になるので排除されたり噂が広まるリスクもあります。排除されなくても、全部人に知られている状態というのはあまり気持ちのいいものではないので、かなり生きづらいんですね。それにまず仕事がなかったり、交通の便が悪いというのがありますし、あとは専門の病院がないとか。たとえばいま性犯罪の治療機関が増えていて、東京だと専門のクリニックがありますが、そうした資源が都市部に偏っていて、地方だといろんな意味で暮らしにくいです。

狭い地域特有の考えやヒエラルキーみたいなものもあり、そうした価値観を上手く利用できれば地域を味方につけることができる例もあります。それには、地域を良く知る必要があり、時間を要します。

──都市部の方が、適切な人につなげるとか専門家を交えてというようなケアがやりやすいですか。
田舎の方だと、加害者家族は完全に引きこもってしまいますね。いろんな事件を見ていくと、事件を起こした人の家族も考え方が狭かったりするんです。まさに男尊女卑じゃないですけれども、いまだに男の子は過度な期待をされていると感じます。正社員になって働き、妻子を持たないと男じゃないみたいな。今そういうのって決して当たり前じゃない、現代とは価値観が違うという認識は、狭い地域にこもっているのではなく、いろんな人がいるところに出てきて知る必要があると思うんですよね。おそらく複合的な問題が加害者の家庭の中にあるので、オープンではなくてもいいから、地方でもいろんな悩みのネットワークがいっぱいできていくことがいいと思っています。

DVの問題もそうですね。明らからなDVでも「こんなのはDVじゃない!」と言い切る人々もいますよ。これは女の宿命でしょ、みたいな意識です。狭いコミュニティに引きこもっているとどうしてもそうなってしまうのですが、それはやはり一対一の話だけでは伝わっていかないんですよね。いろんな生き方を知る中で、変わらざるを得ないところがあると思っています。

──この活動をする仲間はでてきていますか。
大学院在学中にワールドオープンハートの活動を手伝ってくれていた人が本格的にNPOとして立ち上げてくれて、第二の団体ができました。スタッフが全員専門家で、弁護士、臨床心理士、刑務所で働いている心理士、元家庭裁判所の調査官などその道のプロパーの人が集まってかなり精度の高い団体になっています。

あとは山形で弁護士会が山形の犯罪加害者家族支援センターを作ったんですよ。これもかなり画期的なことです。トヨタ財団からの助成で行った2012年の研究では、日本の加害者家族支援という定義を作りたいという思いがあって、海外とどう違うだろうということを調べました。そのなかでわかったことは、アメリカだとほとんどが受刑者の家族の支援ということでした。囚人の数が多いということと、犯罪件数も日本より多いということで、再犯防止みたいなところが一番の目的になっているんですよ。でも日本の状況を見ていくと、殺人事件の容疑者としてAさんが逮捕されましたっていう時点から、裁判が始まるまでに1年以上かかるんですね。この1年の間が家族は困るんですよ。だから日本では逮捕の時点をスタートとしてサポートしないと意味がない、ということがわかりました。

カルロス・ゴーン氏が捕まった時に議論になりましたが、日本では「人質司法」という言葉があるぐらい勾留時間が長いんです。場合によっては家族と面会ができない状況もあって、ある意味で家族の権利も制限されています。犯人が逮捕されるとマスコミが加害者家族の自宅に押し寄せるのですが、本人から情報を取れるようだったらマスコミも家族のところに集中しないと思うんです。そういう刑事手続上の違いというのはすごく大きく影響していて、そこに対応しないといけない。

ただ、単純に海外でやっていることを日本に取り入れる、というのは絶対にニーズに合わなくて、私はそれをずっと主張してきています。そこには意見の対立もありますが、やはり譲れないポイントです。日本の加害者家族の状況を考えると、弁護士さんの役割も非常に大きいです。なぜかというと、詐欺事件で男性が逮捕された際、マスコミに追われたということもあって私たちは妻子をシェルターに一時的にかくまったのですが、奥さんも事情聴取を受けるということになり、警察に行って事情聴取を受けていたらそれがだんだん取り調べ的になってきて、奥さんも共謀したんじゃないかっていう疑いがかけられたことがあったんです。それは冤罪だったので弁護士が入って疑いが晴れたんですけれども、自白を強要されて奥さんも逮捕されそうだったんです。私たちは家族を信じて、何とか頑張って主張を貫くようにと励ましたのですが、これでもし逮捕されたらえらいことですよね。我々はあくまで加害者家族という想定で保護しているので。協力してくれた人たちにも迷惑がかかるし、下手したら犯人隠避にもなりかねない。こういうことも可能性としてなくはないのが捜査段階なんです。一つひとつのケースを丁寧に分析して、経験を積まないとできないということを学びました。

こういう事例が海外からは全く伝わってきません。個別のケースが伝わってこないのは弁護士さんがやっているのか、そこには対応していないのか、わかりません。そもそも海外は加害者家族支援の担い手がソーシャルワーカーなので、法的な観点ではあまり見ていないかもしれないのですが、でも私が一番知りたい部分です。冤罪を助けないと、お母さんが逮捕されたら子どもが一人になってしまうわけですから、これはすごく大事なことだと思うんですよね。海外のやり方をそのまま取り入れるというのは絶対に違うと思うし、私たちは日本で最初の加害者家族支援団体なので、責任を持って日本のニーズにちゃんと応えたいと思っています。

──他にも実践で得た知見はありますか。
たとえば、私は今○○県でこういう状況にあって、これから裁判があるので付き添いをお願いできませんかといった相談があって、現地の地方裁判所の状況を見ることがありました。東京地裁などは広いので、被害者と加害者が会わないようなセッティングができるのですが、地方の小さな裁判所だと待合室も小さいし、周りに喫茶店のような場所もなく、被害者と加害者が顔を突き合わせることになってしまう状況があることがわかりました。それは行ってみて初めてわかったことです。それに地方は弁護士も少なかったりします。

──全体的に距離が近いんですね。警察もそうでしょうし、裁判官、弁護士も地域が狭ければ狭いほどみんな顔見知りみたいな。
その場に行くと、その空気感がリアルになってきますね。

──海外の事例としてアメリカを主に調査・比較されてきましたが、2016年度には研究助成からつながって国際助成で助成を受けられましたね。今度は韓国と台湾に焦点を当てて活動をされたわけですが、相互交流を通じて何がわかりましたか。
日本の加害者家族支援の特徴は、捜査段階から加害者が刑務所を出所するまでの長期的・包括的なサポート体制です。専門分野においては法律家の存在感が大きいと思います。犯罪が少ない日本において、加害者家族支援団体の数も少なく、日本の加害者家族の情報は一つの団体に集中してきました。

ワールドオープンハートはこれまで1500件以上の加害者家族支援を経験し、「交通事故加害者家族」や「加害者家族の子ども支援」など罪名や続柄ごとに加害者家族の状況を分析してきました。地域も全国偏りなく相談者が集まっているので「日本の加害者家族支援」と表現しても良いと思います。

一方で、諸外国ではほんとうにさまざまな活動があり、いろいろなところから発信されていて、情報は集中していません。日本では珍しい活動なのでメディアも度々取り上げてきました。まさに、ムーブメントの最中なのだと思います。 アメリカやオーストラリアなども調べたら本当にいろいろな活動があって、たとえばアメリカだと全米加害者家族学会っていう組織があるのですが、支援団体というより当事者がやっているんですよ。うちの息子は死刑囚です、っていうようなカミングアウトを普通にしていて、その会合の様子をFacebookにアップしたりするんです。そんな写真を日本でアップしたら大炎上しますよね。雰囲気が全く違うというか、日本の加害者家族の間に漂う緊張感のようなものは全く感じませんでした。驚いたことにマスコミの姿もなく、社会的関心はあまり高くないような気がしました。

台湾と韓国は、子どもの貧困問題に取り組んできたソーシャルワーカーを中心に研究者も入って社会的な問題提起をしています。韓国の団体は、2015年の設立とまだ新しく、日本の加害者家族支援も参考にしてくれています。子どもの貧困問題を追いかけていたソーシャルワーカーが、貧困家庭の子どもの何パーセントが受刑者の家族であることに気がついたことから始まりました。サポートしているのは親が刑務所に入っている子どもに限られています。

両国で講演した際には、逮捕直後からの加害者家族の苦しみを理解し、できれば捜査段階から誰かが包括してあげられたらいいねっていう話をしたんですけれども、確かにそこは課題ですね、という反応がありました。台湾と韓国、司法に関係する人たちが加害者家族支援を念頭においていないようでした。

アジアの中でのこの2国に絞った理由は、被疑者・被告人・受刑者といういわゆる「加害者」の人権が確立し、被害者の人権も確立されたという歴史を経ているからです。日本で、加害者家族支援が注目されるようになったのも、被害者支援が既に確立されているという点が大きいと思います。被害者支援がない状態であれば、順番が違うんじゃないか、という話になったはずです。その問題は今でも出るくらいですから。加害者本人の支援や被害者支援との関係にも着目し、加害者家族支援の立ち位置を比較してみることが面白いと思いました。

台湾の学会
台湾で行われた学会の様子

人間って何かにコミットしないと生きていけない
──東アジアとは文化的な考え方、良い面も悪い面も、家族の責任のあり方なども含めて近くて、歴史的に被害者支援ができてからというところ、司法制度もお互い意識しながら取り入れるところは取り入れるというところがあって、基本的な方向性としてはなんとなく似ているという感じなのでしょうか。
これは私の意見ですが、共通する苦しみ、生きづらさって国を超えてあると思うんです。けれども必要なサポートは、その国の司法制度によるんじゃないかなと思っていて。面会できるかできないかとか、そういうところで違ってくると思うんですよね。だから、やはりその国の人が細かなニーズを拾って見ていかないとわからないんじゃないかなと思います。

──制度を変えなきゃいけない、アドボカシーはもちろんやらなきゃいけないけれども、現実問題もう動いちゃっているからその対応を同時にしつつ、でもマニュアル化は難しいという、途方もなく大変な感じがします。
最初は時間と興味関心がある大学院生だけで始めていて、そのときの人たちはもう就職したりしていて一緒に活動はしていないのですが、今いるメンバー、必要なかたがたにお声がけをして入っていただいています。

当初、加害者家族から次々と相談電話が入るたび、私はそれを全部ノートに記録していたのですが、答えられないこともたくさんあったんです。たとえば今国選弁護士なんだけれども合わないから私選に変えたい。でも変えていいのか、変えたらお金はどれぐらいかかるのかとか。あと、裁判にあたって精神鑑定、交通鑑定、科学鑑定といった鑑定人を探したいんだけれども伝手がないか、という相談であったり。今は人脈も広がって対応できるのですが、当時は全くわかりませんでした。専門性が高く、わからないことがいっぱいある中で組み立ててきましたね。

──前例がないから、いいやり方というのは誰にもわからないし、海外の事例もそこまで役に立つわけではないというなかで、地道に手探りで進んでこられたのですね。
活動していくなかで、加害者家族の納得度でやはりこれって大事なんだ、これが効く薬なんだという感覚が少しずつでてきたのは、やりがいになってきましたね。はじめはグループミーティングのような集団的なケアが中心だったんですけれども、加害者家族には情報を求めている人がとても多くて、やはり弁護士情報などに関連する質問が出るんですよ。加害者家族になってしまって、家族としてこれからどんなことが起こるのかとかいうことを知りたがっているのに、答えられない。答えてあげられなくて、モヤモヤしたまま会合から帰らせるのはどうかなっていうのがずっとありました。

アウトリーチをし、いろんな専門家を訪ね、弁護士さんとの打ち合わせに同席させてもらったり、加害者家族と一緒に行動してさまざまなケースを丁寧に支援していくことで経験をつみました。集団的な対応だけではなくて、各ケースに対して細かく助言できるようになる仕組みが必要だと思いました。

あとは裁判の傍聴がこんなに緊張するのか、みたいなのもやはり行かないとわからなかったです。どのくらいの事件だと、どれくらい報道陣が来るかとか。そういえば、報道対応みたいなところで困っているのって日本だけだと思うんですよ。他の国も困っているかもしれないのですが、加害者家族支援でメディアの話題はあまり出てこない。日本では報道対応が一番の困りごとといっても過言ではないです。アメリカなど弁護士が報道対応を引き受けているケースもありますが、日本では裁判に影響することを懸念して弁護人が会見するようなケースは多くありません。

──許される、許されないとかじゃなくて、弁護士の仕事として基本的には日本では受けていないということで、逆に他国は柔軟かもしれないわけですね。弁護士さんが家族の広報担当者みたいな感じで。
でもそれができるのはお金がある人だと思うんです。そもそも加害者側の支援が難しいのは、家族がどうやってその団体にアクセスしてくるかというところが一番大きいですね。 台湾も韓国も刑務所から情報をもらっているんですよ。受刑者に子どもがいますという連絡が刑務所からあって、そこでソーシャルワーカーが把握するらしいんです。全部刑務所経由なので、自分たちで直接加害者家族からの電話を受けたりはしていないんです。ということは、加害者家族にリーチできるのはだいぶ後になってからですよね。そして支援者たちは、今助けている子どもの親が具体的にどのような罪で逮捕され、裁判で何か裁かれたのか詳しい情報を持ってはいないようです。

加害者家族の子どもたちを集めて夏にキャンプをしたりといった集団的なケアに力が入れられていて、それはいいと思うんですけど、ある程度その事件の背景に何があったかっていうのがわかっていないといけない。子どもが悩んで親のことを知りたがった時に、告知をどうするかっていう話もよく出るんですけれども、客観的な情報を支援者が知らないので、助言も本当の意味ではできないんじゃないかな、というのはすごく思っています。キャンプをしたり、物質的な支援というのもないよりは全然いいんだけれども、病理に向き合っている感じではない。

──対処療法というか、典型的なチャリティーという構造ですね。困っている人がいるから手を差し伸べる。でも、なんで困っているかのところにまでは立ち入っていないという。
だからたとえば、お父さんが刑務所から出てきて一緒に暮らすかどうかという話になった時に、私だったらお父さんが何をしたのか、どうして刑務所にいたのかっていうのがすごく大きいと思うんです。その父親がDV加害者だった場合でも、母親に被害者という意識がなくて受刑生活で離れていて寂しくなり戻っていくというケースがあります。それでまた同じことになることはよくあります。母親がDVを受けていたら子どもにとっても悪影響なので、私ならまずは母親のケアをし、その様子を見てから判断します。一緒に暮らすことがいいかどうかはやはり事件を見てみないとわからないと思うんです。

成果物として発行された書籍。韓国と台湾で翻訳版も出版されている
成果物として発行された書籍。韓国と台湾で翻訳版も出版されている

──加害者家族と聞いて連想するのは、逮捕された時点でのイメージで、裁判まで結構長い時間がかかるというところまではほとんどの人は思い至らない、本当は長期間サポートしなきゃいけない期間がある。
逮捕されたタイミングからが大事だと先ほどおっしゃっていましたが、その点で韓国と台湾、またアメリカなどは残された人の支援みたいな感じですね。そういう残された加害者家族の支援というのは分かる気がしますが、実は見ているものが結構違う感じがしますね。研究者や実務家の中で情報共有して表面的にはよくても、深く入っていくとあれ?っていうような。


最終的にみんなで頑張ろうねとか情報共有しようね、ってなるんですけれども、諸外国の支援を見ていて気になるのは、家族主義が強過ぎないかなというところです。家族だから見捨てないでもう一度やり直そうとか、愛があれば乗り越えられるはず、とか。それはたとえば、貧しいことが原因で犯罪を犯したならみんなで助け合って乗り越えようってなるけれども、DVなどが背景にある場合、その理屈でいったら大変なことになると思うんですよね。日本の加害者家族を見ていくと、貧困層はいないです。貧困層は貧困層のサポートができていて、そっちの中でカバーされているので。

──阿部さんたちの所にはなかなか来ないで、それは別の福祉の方でカバーされるということですね。
そうですね。たとえば生活保護受給家庭で息子が犯罪を犯したからといって、生活保護を切られることはないわけですよね。家族の経済的な面は変わらないんです。けれども、子どもが犯罪を犯したときに親が会社の重役だったりすると、役員を降りなきゃいけないじゃないですか。社会的地位が高ければ高いほど失うものが大きいんですよ。地位がある人ほどお金があったらあったで取られてしまうので、経済的な環境は大きく変わります。元マジョリティが急にマイノリティになってしまうっていうのが日本の状況です。

韓国や台湾での活動はもともと貧困層が対象だから日本のようなケースはあまりない。みんな慈愛の目で加害者家族を見ているんです。だけど私はやはり複雑な見えない家族病理みたいなものがあるだろうと、もうちょっと客観的に見ているので、加害者家族に対する視線は少し違うと感じています。

いずれにしてもこの活動が社会的に認知されていくためには再犯防止みたいなところとか、被害者をまた出さないということになっていくんじゃないかなと思います。重要なことは家族の回復というか、家族の自立ですかね。重大事件の加害者家族は学校に行けない、仕事もできない状況にも陥ります。学校にも仕事にも行ける、それぞれの家族が社会生活をきちんと送れるようにサポートをするっていうことかな、と思うんです。今の日本社会は本当は社会がやるべき責任を家族に押し付けているところもあって、そのために家族もちょっと美化されているようなところがある気がしています。

人間って何かのコミュニティというか何かにコミットしていないと生きていけないと思うので、引きこもりの会と依存症の会に入っていますとか、問題ごとのコミュニティが沢山あるといいかなと思います。仙台だと仙台市民活動サポートセンターに行くと、そういう情報が沢山あるので、地元でつながれる感じがするんですよ。ああいうのが理想かなと思います。地域っていうくくりでも同じ土地で生まれた絆とかじゃなくて、同じ悩みを共有できる人でつながれれば一番いいんじゃないかなと思うんですけどね。

──いろいろやられてきて、これからもそうだと思うんですけれども、今やられていることで何か新しい動きとか、今後こういうことをやっていきたいというような将来像はありますか。
今取り組んでいるのは、地方に加害者家族支援の拠点を広める取り組みです。鹿児島大学法学部では、加害者家族研究会も立ち上がりました。九州で中心に開拓してきたのは熊本県です。地元にソーシャルワーカーさんのような相談を頼めそうな専門家はいっぱいいるんですが、相談に来る人たちが地元の人を警戒するんですよね。地元の人が相談員だと情報が洩れるるんじゃないかというのをすごく心配していて。

加害者家族の会も開いているんですけれども、地元の人に会ったら嫌だという理由で地元の参加者は少ないです。熊本県からの相談はすごく多いのですが、全部電話などによる個別対応なんです。ニーズはとても多いけれどグループ相談には来ないっていう……。ちょっとでも加害者であるという情報が漏れたら困る、ということでしょうか。とにかく地域の人にバレないようにすごく気をつけていて、子どもがしたことがバレないように示談にしたり、事件に発覚しないようにしているんだけれども、狭いコミュニティでは噂がまわりますから、結局知れ渡っているんですよね。薄々みんな気付いてると思うんですが、必死に隠している人にそれは言えないし、知っていても知らないふりをしている人もいるでしょうし。

──難しいですね、近い人じゃないとサポートできないという点もある部分ではあると思うのですが、知られたくないからよその人がいい、でもそうすると状況がよくわからなかったりとか。
たとえばガンになったとかだったら、言われたほうも絶対支えようってなる図式がカミングアウトする側にも予想しやすいけれども、加害者家族って、近い人に拒絶されたらどうしよう、みたいなのもあるんですよね。近い人から拒絶されるっていうのは怖いから。

──頼りたい人に頼れないっていう構造になっているんですかね。地方展開も、熊本はもしかしたら顕著なのかもしれませんけれども、地方に行くほど同じような状況ですよね。
そこに風穴を開けるには、私はやはり自助グループを全国に作るのがいいかなと思っていて、ワールドオープンハートが最初に取り組んできた加害者家族の会を広めていきたいです。運営にそれほど資金はかからないと思います。

難しいのが、かなり田舎になると市民会館を借りている時点で、あそこで何をやっているんだろうと噂になってしまうことがあります。そうなると地方でもある程度人が多い都市部で開催するしかないんですよね。小さな町では相談会はできないですね。それをやろうとして失敗したことがありました。

現在はSkypeのようなものができてきて距離に関わらず話せますし、電話もずいぶん安くなりました。通信手段が発展する中でつながってグループができたら一番いいのですが、それだけじゃなくて、啓発をやはりもっともっと繰り返していきたいですね。加害者家族は、これまで存在しないことにされてきた気がするんですよ。地方だと特に可視化されていないというか。でもそういう人が必ず存在すると発信していくことが重要ですよね。

──意識して排除しているわけではないけれども、完全に目に入らないように、無意識に排除しているという……。そもそも見えない人を見なきゃダメだっていうことじゃなくて、もっと静かに見せていくっていうのは必要でしょうけれども、なかなか難しそうですね。見られたくないっていう人たちもいるでしょうし。
ドラマなどで主人公が加害者家族という設定のも出てきたりしていますね。昔は絶対出てこなかったので、世の中的にはずいぶん変わってきているかなとは思います。 この前佐賀県でイベントを開催した際、県の人権課など役所の人が来てくれて、あれはすごく嬉しかったです。わざわざ日曜日のイベントに役所の人が来てくれるなんて、意識が高いなと思って。役所の人たちも含めて、全体的に東の方が人権意識は低い印象ですね。西の方が「同和」などの問題も含めいろんな意味で敏感なんですよ。だからそういう意味では法務省から加害者家族の子どもについて、血による差別はダメと言ってほしいですね。最近だと福島県の原発避難者の子どもへのいじめは差別だと言われましたが、加害者家族についても言及してほしいと思っています。

これから、犯罪に巻き込まれた人を支援する、というチームを作ろうかなと思っています。加害者と被害者を分断せずに、「犯罪に巻き込まれた人たち」でくくるという試みです。日本の場合は家族間の事件が多いので、犯罪に巻き込まれた子どもというような視点から再犯防止や、家族関係の修復というのを一緒にやっていこうという流れで、被害者支援をしてきた人々とも一緒にそれを立ち上げようという動きをしています。

──見方を変えるのはいいかもしれないですね。線の引き方を変えて、縦になっていたものを横に引いて。関係してしまった、巻き込まれてしまった方々というと、会社の同僚とか上司や部下が逮捕されてしまったみたいな人もそこに入ってくる、疑われた人だっていっぱいいると思いますし、フレームを変えると入りやすいかもしれませんね。本日はありがとうございました。

公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.33掲載(加筆web版)
発行日:2019年4月9日

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