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JOINT32号 WEB特別版「防災を地域がまとまるためのチャンスにしよう」

JOINT32号「防災を地域がまとまるためのチャンスにしよう」

司会◎笹川みちる(トヨタ財団国際助成プログラムプログラムオフィサー)

※本ページの内容は広報誌『JOINT』に載せきれなかった情報を追加した拡大版です。

防災を地域がまとまるためのチャンスにしよう

永田宏和(ながた・ひろかず)
◉永田宏和(ながた・ひろかず)
NPO法人プラス・アーツ理事長。2013年度国際助成プログラム助成対象者

形にとらわれないやり方で防災のことを伝えていく

──自己紹介を兼ねて、普段どのような活動をされているか教えてください。
永田 NPO法人「プラス・アーツ」の理事長をしています。当法人は阪神・淡路大震災から10年のタイミングで立ち上げました。当時兵庫県と神戸市から、10年前に起こった大震災で学んだことが風化しつつあるという状況の中で、次世代を担う子どもたちとそのファミリーに、あの10年前に学んだことを伝えてほしいという依頼を受けたのが出発点です。ひたすらリサーチとインタビューを重ねていきながら、被災者の声を集めるということをやりました。

もともと建築、なかでもまちづくりをしていたので、そのようなリサーチやフィールドワークというのは僕たちがいつも使っている手法だということもあって、特に被災者の声を多く集めました。集めれば集めるほど、通説といいますか世の中に広がっている防災とか災害に対する知識と、被災者が言っていることにものすごくギャップがあって、「えっ、そうなんだ!」ということの連続で、これはやはり広く伝えなければいけないということから「プラス・アーツ」を立ち上げました。

新しい手法というか、今までの形にとらわれないやり方で防災のことを伝えていこうということで、アーティストや大学生たちとプログラムを作り、それでできたのが「イザ! カエルキャラバン!」で、これが今も活動のメインになっています。

2018年度までの集計ですが、国内では36都道府県で実施しています。海外もJICAや国際交流基金と一緒に21か国まで支援国を広げてきて、さらに、そこから生まれたゲームなどの教材や防災の知識や技の体験プログラムなどが一人歩きして、教材として広がっていったりもしています。

大鋸幸絵(おおが・さちえ)
◉大鋸幸絵(おおが・さちえ)
NPO燃えない壊れないまち・すみだ支援隊。2018年度国内助成プログラム助成対象者

大鋸 NPO法人「燃えない壊れないまち・すみだ支援隊」に所属しています。4年前に参加しましたが、以前は墨田区で水泳・介護用品のメーカーに勤めていました。2011年3月11日の震災直後に、縁あって「復興支援メディア隊」として被災地の取材の手伝いをしたり、キリン絆プロジェクトに参加し、農家さんの支援もしました。そんな活動を続けるうちに、復興支援から防災支援というフェーズに移ったほうがいいのではと思う転機があったのは、共に援農支援をしていた仲間がここのNPOの事務局をしていたことがきっかけでした。

NPOの活動拠点がある「ふじのきさん家」周辺、スカイツリーのお膝元でもある墨田区北部は、大地震や大型台風、高潮など何か起こったときの被害想定が高い地域ということで、芝浦工業大学の中村仁研究室の学生が地域の方と一緒に研究し、町内会単位で、地域に特化した防災マップ作りをはじめとする向島の地域防災活動に関りはじめました。区が作っている広範囲の防災マップとは違い、AEDがここにある、消火器がここにあるといった、より地元の人に役立つ地図ができたのを喜んでいたのですが、大判の紙に印刷したものを差し上げても、あまり目に触れないままになっていたので、何かいいアイデアがないかと考え、日頃から目にしてもらいやすい「観光情報」をプラスし、日常にも役立つ風呂敷にした「防災観光ふろしき」というプロジェクトがスタートしました。

冨川万美(とみかわ・まみ)
◉冨川万美(とみかわ・まみ)
特定非営利活動法人MAMA-PLUG(ママプラグ)理事。2012年度国内助成プログラム助成対象者

冨川 NPO法人「ママプラグ」で理事をしています。本業はPRの仕事です。キャリアを一時ストップしてしまったお母さんたち、結婚を機に辞められた方プラス生まれた子どもたちを、また社会につなげようというプロジェクトとして立ち上げたのが「ママプラグ」の前身です。東日本大震災が起きた当時はわたしの上の子がまだ3歳で、被災地にボランティアに行ったり、物理的に何か支援するということがすごく難しかった。でも団体内でも何かしたい、身体を動かしたいという思いがあって、少しでも手助けができないかと考えたときに、着の身着のままの状態で逃げるようにして関東に避難してきているお母さんたちがたくさんいるのをテレビで見ました。自分たちと同じようなお母さんたちにとって、そういう状態はすごくつらいだろうなと思い、まずはその方たちのためにできることがないかを聞くためのプロジェクトを立ち上げました。

「つながるドットコム」というプロジェクトを立ちあげ、みんなに一つずつ小さなトートバッグを手作りしてもらい、ネットで売って収益を少しずつお返しするというのをやったのですが、ほとんどのみなさんはお子さんと一緒に来ていました。それで、保育ルームを設置してお母さんたちだけに集まって作業をしてもらいました。そうしたら、あるお母さんが嗚咽しはじめて、「震災から6か月経って初めて子どもと離れたことに気づいた、子どもと一緒じゃないときは泣いてもいいですか」と涙ながらにおっしゃって……。本当はこういうことが怖かった、全然大丈夫じゃなかった、と感情を出せる場に出会い、初めてその光景を見たときに、お母さんたちの本当の気持ちは世の中にちゃんと伝えられていないんだと強く感じました。

そのとき、そのような人たちが頭を起こして前を向けるように何か手伝いたいと思って、その方々一人ひとりに本当に何が必要なのか、どうしてこうなったか、これからどうすればいいと思うかなどリアルな声を聞きました。マスコミ出身者やいろいろなフリーランスの人たちが集まっていたチームだったので、みんなの声を集めて社会に知ってもらおうということで、『子連れ防災手帖』という本を出しました。

防災って大事だと知ってはいても、じゃあじっさいに何をしたらいいかがわからない人たちが多い。そういう状況のなかで伝えやすい伝え方を考えながら発信し続けて今に至ったという感じです。一番大事にしているのは、それができるか、自分がやりたいと思えるアクションにつながるかということを根底に、ゆるく楽に防災が日常に入り込むようにセミナーや出版などの共同事業を続けています。それらが大きなきっかけとなって活動の基盤になっています。

ともに初心で学ぶことで「常識」を超える

──震災の現場や、被災された方々の声に直接触れたことが「防災」に一歩踏み出すきっかけになっているのかなと思うのですが、そこに行き着いたエピソードがあったらお聞きかせください。

永田 「カエルキャラバン」のことですが、神戸市、兵庫県が阪神・淡路大震災10周年の記念事業で、どうやったら10年前のことを伝えられるかというのが話題になっていたときです。大震災の10年後って相当風化もしていたし、5年も10年も経てば災害のことなんか引きずっては生きていけない、みたいな風潮もありました。そんな風化していくなかだからこそ、その経験と思いを伝えていかなければならない流れになったときに、私にとって一番大きかったのは藤浩志さんというアーティストが「そこにいた」こと、藤さんと「ともに作った」ことです。

注. イザ!カエルキャラバン!:防災の知識や技術、実用的ノウハウを遊びながら体験してもらうイベント。たとえば、カエルちゃんの的当てゲームという水消火器を使用したものや、人間と同じ重さの等身大のカエルちゃん人形を日常生活にあるもので担架を作って運ぶなどのコンテンツがあり、子どもから大人まで参加しやすいプログラムが設けられている。さまざまな企業や団体と協力し、現在は日本国内のみならず海外にも広がっている。

アートは常識を超える術、手法だとよく藤さんはおっしゃるのですが、彼と二人で、じゃあどう超えるかという議論をたくさんしました。そのときに学生たちと一緒にやったということもものすごく大きい。そこに防災の専門家がいなかったんです。防災に興味がないと言っている学生たちと、どうしたら興味を持てるかということをリサーチしてインタビューしながら、彼らも変わっていきながら、自分たちが学んだことをどうやって子どもたちに伝えていくか、学生たちと一緒にいろんなアイディアを出したプロセスがあった。専門にずっとやってきた人だけだと超えられないんです。僕らは防災にあまり捕らわれずに、なんなら震災を覚えていないくらいの学生たちと、初心で学ぶことで「常識」を超えることができたんだと思っています。

大鋸 こちらも学生の研究からでてきた「地域に特化した防災地図づくり」という発想を、より日常に目に触れてもらえるアイテムにするためバッグにしようかハンカチにしようかさまざま考えたすえに、フレキシブルに使える風呂敷にしようというアイデアにいきあたりました。一方で地域にどう広めていくかという話になり、町内会の人たちは、この地域に大災害があったらなにをやっても無駄というような、やや諦めみたいな雰囲気が強かったので、「子どもたちのため」というキーワードがあると、地域が「応援したい」という雰囲気になるのではという思いがありました。 さらにお子さんのための防災学習のツールになり、ただの風呂敷ではなく水が運べるといった被災時にも役立つ撥水機能の素材を選び、 「包む」という以外に、子どもたちの興味を引くようなアイデアも誕生しました。

──端を結んで袋のようにすると、2リットルくらいの水が入る容れ物になるんですよね。

大鋸 水を入れたあとに絞るとシャワーにもなります。学校での防災訓練や防災学習というと、静かに先生の話を聞くというイメージですが、逆にクイズをしたり、この風呂敷でバケツリレーを行い身体を動かすことができないかなど、楽しめるアクティビティを学生と考えたりして、防災のことだけではなく、これを使って地域のことを知る機会になったらいいのではと思い企画しました。子どもたちには、プリントされている防災マップを見るというよりも、風呂敷遊びを通し、その中で自分の学校はどこ? おうちはどこ? 大きな地震が起きたときはどこに逃げるか知ってる? といった誰かとの会話のきっかけになればいいなと考えました。

曳舟駅周辺はタワーマンションも多く、他所から流入してくる方が多いエリアで、地域のことを知らない大人が少なくありません。家へ帰ってから子どもたちが学校で地域についてや、防災について学んだことを家族に話すことで、保護者も学ぶことになるし、子どもたちは誰かに話すことで復習できると思うので、防災リーダーを作っていくというか、情報を伝えるための伝言ゲームのようなことを子どもを介してできたらいいなと考えました。

冨川 私たちの仕事は伝え方を考えるのが9割だと思っています。お母さんたちに延べ人数1000人以上お会いしているのですが、みなさんほとんど本をじっくり読む時間なんてない。私が最初に出会った防災マニュアルは内閣府のものだったのですが、失礼ながらこれはなおのこと読まないな、と。せっかく大事ないいことが書いてあるのに誰にも読まれなかったらないも同じだと思いました。

お母さんたちの情報源は、当時は主にクチコミとかテレビだったと思います。でも本にしたい、冊子にしたい、手元に残して情報を得られるようにしたいと思ったので、マンガだったら読むかもと思って、『子連れ防災手帖』を作ったときはその3分の2をコミックエッセイにしました。これだったらお母さんたちが手にとって見るんじゃないかなという体裁を考えたり、書籍に関しても防災っぽくないというか、ともかくまず見てもらえるものを目指すことが重要です。防災への関心0を0.1にするだけでもいいからというアクションを引き起こすことを目指してやっている。手にとってくれさえすればとりあえず何か行動してくれるかなという感覚ですね。

正確でやさしい日本語で基本情報をしっかり伝える

──おっしゃるように伝え方が大事で、そこには真面目というだけでなく楽しむという要素が入ってきていると思うのですが、一昔前は、防災を遊びでやるなんてふざけているんじゃないかとみられる風潮があったと思うのですが。

永田 2005年にやりはじめたときには、ものすごいバッシングを受けました。内閣府に呼び出されて、褒められるのかなと思ったら怒られました(笑)。最初は消防局で水消火器を借りるのも難しかったです。何度も足を運んだら先方が根負けしてイベントに来てくれたのですが、子どもたちの一生懸命な姿を見てやっとわかってもらえました。それから全面バックアップをいただけるようになりましたが、やはり世の中にこれまでなかったことをやるのはこんなに大変なんだなと思い知りました。当時はほんとにつらい日々でしたよ。

──今までの防災の考え方がバッティングして、苦労された点はありますか?

冨川 私も自治体に対しては苦労の連続でしたが、ここ2~3年で一緒にやりませんかと言ってくれるところが爆発的に増えました。トヨタ財団の助成を受けて「防災ピクニック」をするというときも、いろんな自治体と組んでやるという目的があったので、思い切ってトントンと扉を叩いて尋ねるのですが、ほんとに門前払いが多かったです。防災のことをしている方々は年齢層が上の方が多くて、若いお母さんたちの気持ちを伝えたい……、と言っても、ここに来ない人たちのことを心配しても仕方がない、すでに目一杯やっているんだから、これ以上かき回さないでほしいと言われたりしました。

大鋸 公表されている防災情報を、自分たちのそれぞれの専門性を活かしながら地図を編集しなおしたので、墨田区の防災まちづくり課、防災課、観光課にもそれぞれ校正に入ってもらい、できるだけ正しい情報になるよう、協力をお願いしました。一時集合場所は、変わりやすい情報なので表記するべきかどうするかも指摘が入りましたが、地域の人にとって利用していただきやすい情報にこだわり、掲載をしました。

また、東京オリンピックもあるので、観光客が増えることを見込み英語版も考えたのですが、そもそも現在の防災マップには日本人の大人が見ても難しい表現が多く、伝わりにくい日本語になっているのが現状です。たとえば逃げるとなったときに、避難所と避難場所の違いなど正しく知らない方も多いので、混乱が起こりやすいことが予想されます。避難所は家で生活ができなくなった方が行く場所だということなど、基本的な情報をしっかり伝えることや、正確でやさしい日本語になるよう工夫し、まず日本人向けから作っていきたいと考えています。掲載したい防災情報はたくさんありますが、これから英語版のような観光客向けを検討するためにも、優先する情報の順序を整理しながら活動を広げていこうと思っています。

座談会の様子

小さなコミュニティでもできることがないか目を向ける

──永田さんはいろいろなところと協働されていますよね。

永田 海外のプロジェクトは、国際交流基金やJICAと一緒にやっています。国内では企業との協働が大きいと思います。正直、NPOとして地域支援だけでは食べていけません。では、それをやっていく体力をどうつけるかというと、やはり企業との協働が有効。企業との事業でもうひとつ重要なのは、そこで作ったものが別のところに広がるということです。たとえば東京ガスと作ったマニュアルを今ほかに40社くらいが作っているんじゃないかな。それに、無印良品のホテルのためにつくった海外の人向けの「指差し系防災マニュアル」なんかは、結構評判がよくて他からの依頼もきています。

僕らはコンテンツは作れるのですが、それを自主事業として展開しているわけではなく、パートナーと協働しながら広げている。企業、たとえば無印良品ならそのファン層に広がるし、自治体であれば市民に伝えられる。じゃあ僕たちがそこに何を提供できるかというと、情報だったりデザインだったりという、わかりやすく伝えられるコンテンツなわけです。そういう意味では協働はさまざまな「力」を生んでくれていると思います。

大鋸 私たちは、小さなコミュニティでも、何かできることがないかということに目を向けています。いままでご近所づきあいがあまりない人が、自分ごととしてどうやって地域に関わっていくか、社員に地域の防災情報を正しく伝え、安全に努めたいと考えている地元企業に対してのお手伝いをするなど、それぞれに地域をつなぐ関係性を作っていく。防災対策は行政がやることだと一般的に思われがちですが、地元住民と行政と企業、それぞれでうまい具合に座組みをして、協力関係を深め、見える形で活動できないかと思っています。

───限界を感じるところはありますか?

冨川 行政との取り組みの際、横の連携がなさすぎるのが原因で活動が行き詰ってしまうことが多いので、それを解決することが日本全体の課題だろうと思います。特に私たちは母子事業をしているのですが、母子と防災の部署はかかわりがないんです。防災のことはここでやります、でも母子のことは母子健康課に行ってくださいと言われ、母子健康課に行くと、それは防災課に聞いてくださいと言われて平行線のままのことが結構あり、そこに教育課が絡んでくると、三つ巴になってしまって、どこが何の責任を持つのかがよくわからなくなってしまうのを感じることが多いです。

企業とのやり取りというのは割と成長が形として見られる部分が多いので、そういう意味でまだまだ限界はないとは思っていますし、防災は今までバックグラウンドでやっているというイメージがあったけれど、CSRだけではなくて、もっとプロダクトなどを「見える化」していくものだと思っているので、そういう新しい取り組みをはじめ、次のフェーズに来ていると思います。たとえば、JRが最近早く英断するようになってきていたり、変わるべきところはきちんと変わってきているので、思っていることを言い続けていくことって大事だなと感じています。

──海外でも防災関係のことに取り組んでみて、具体的に何か違いを感じたことはありますか?

永田 外国では基本的に防災教育ってそんなに行われていないんですよ。避難訓練があればいいほうです。防災に対して意識も低く、予算もとられていない。それを今はJICAの資金とか日本のお金、要するにODAの形で支援が入って仕組みを作っていくわけですが、でもずっとやることじゃないだろうと思っています。最終的に手を離したときにサステイナブルであるかというのはとても大事で、それは市民レベルの草の根的な人が育っているということや、それを支える行政などもひっくるめて、仕組みとして落としこまれていないとだめです。それを今やっています。

現地に適合したプログラムを作り、そのプロセスのなかで人を育てる防災教育センターというのが最後の仕上げ。防災教育センターができれば新しい先生のトレーニングとか、作った教材を広めていくような小さなミュージアムを併設する。あとはそのラーニングセンターを運営する組織ができて、行政のバックアップが取れるようになれば継続できるというのがようやくわかってきました。仕組み化して社会システム化することの意義ってものすごく大きくて、それが今ようやくわかってきたところなんです。災害が多いのに防災の取り組みがない国に行って、その仕組みを作っています。

防災意識が加わることでより豊かに暮らしが色づく

──災害が数字的にも増えているなか、活動の具体的な変化や、これから重要になってくると感じられていることがあったら教えてください。

冨川 防災を広める活動の一つの軸としてファシリテーターの育成事業もやっていて、セミナーを聞いてくれたお母さんたちの中から次の伝え手側になる人をプロとして育てるということを、研修という形で行っています。まずは防災が大事だということにいかに人を巻き込むかということで、専業主婦でもいいし、仕事の合間でもいいので、一緒に活動してくださる方を育成プラス認定プラス昇格という形で人材育成することにすごく力を入れています。

草の根的な活動と革新的な取り組みがうまく合わさると、防災事業自体に新しさが出るかなと感じているので、そこを一生懸命やっています。一地域には特化せず、その人の地域でその人が活躍することを目指しているので、これからも希望があれば、全国各地のどこでもその人たちをファシリテーターに育成するという考えでやっていきます。団体の名前が「ママプラグ」なので今のところ100%女性なのですが、パパも大歓迎です。防災事業自体はパパの参加が増えていて、比率は男女半々くらいだと思います。

大鋸 先日「すみだまつり・こどもまつり」が開催されました。会期2日間で30万人くらい人出があったイベントで、私たちの地域防災活動について紹介させていただき、約400人の方に防災意識に関するアンケートに回答いただきました。関心が高かったのは女性が多かった印象ですが、これからも誰に知ってもらうかのチャンネルを狭めずに発信して応援してもらうということが大切だと思っています。まず活動について様々な人に知ってもらい、交流を通し、いろんな意見を取り入れながら、「防災観光ふろしき」を改善し、協力団体に限らず、個人のフォロワーも増やしていきたいです。

──防災に関する活動をすることで、日常の生活力やコミュニケーション力に変化が出てきてアップするというお話も聞きますが。

冨川 スキルを持っている人ってたくさんいます。専業主婦でものすごく料理がうまくて毎日インスタにその写真をアップしているとか、裁縫が得意だとか。そういう個人のスキルを防災と合わせて、料理が好きだったら非常食を作ってみてもらうとか、裁縫が得意だったら防災に役立つ衣類を作ってもらうとか、そうするとその人オリジナルの個性を活かしたやり方になっていくし、自分の日常の生活力に防災意識が加わることでより豊かに暮らしが色づくと思うので、そこはすごく大事にしてもらっています。

大鋸 学生が防災講座を行うと、普段より子どもたちは興味をもってくれます。若くて魅力的な学生の話はお母さんたちもよく聞いてくれますので(笑)、マッチングや相性の重要性を強く感じます。 私は、防災は日本古来の文化だと思っていて、たとえば「備える」というと、食べ物ならお餅とか干し野菜みたいなものは当時の最先端の防災の知恵だったんだと思います。昔からある風習を知って防災に役立たせるのは面白いし、文化の継承のためにもいい機会だと思います。風呂敷もお年寄りの方は、すごく興味をもってくれます。こんな時はこう使ったらいいと教えてくれたり、地図の文字が小さいという意見もいただきました。アドバイスを取り入れ改良していくことで、それがきっかけとなって、普段防災に関わらない人ともつながりができるのは、とてもすばらしい交流になっていると思います。

永田 「カエルキャラバン」やセミナーは防災をテーマにしたお祭りみたいなものなんですよ。ある時からそういう風に言うようになったのですが、防災ってコミュニティ再生の最後の砦なんです。地域はこれがダメならもうダメなんじゃないかと思うくらい厳しい状況になっている。防災は地域がまとまるためのチャンスかもしれない。地域再生のカリキュラムが入っている地域はたくさんあるんですけど、そこではいろんな団体が相乗りで実行委員会を作って活動を行っている。防災の意味って命を守るとか災害時の生活を支援するとかいろいろありますが、コミュニティをもう一度取り戻すための重要なファクターとしての可能性もある気がしています。

──お聞きしていると、皆さんは伝えたいことがあって、それをなるべく多くの人にいろいろなツール開発やプログラムを使って届けたい、でもただ伝わればいいというものではない、どんな方法でも広がればいいというものではないというのを具体的に感じていらっしゃるようですね。

冨川 防災事業は命にかかわってしまう重大なことでもあるので、企画としは面白くてもデマ情報を流すきっかけになるのであれば、全部なしにして違う方法を考えたほうがいいというのは経験上多くあります。

大鋸 台風の時に避難したけれど避難所に入れなくて困った方がいたとお聞きしました。行政が出している情報を周知しても、結果として避難できなかったというときもあるとおもいますが、ご家庭や町内会単位で、災害別に避難するときのイメージを話し合っていただくツールになってほしいとおもいます。

永田 そういう意味では答えがないというか、防災教育をやっている人間が言うのもなんですが、やはり限界がありますよね。限界というかできないことは山ほどあって、無力感を感じますね。でもスタッフにはその無力感を感じながらもやらないといけないとは言っています。僕らは決して万能ではないですし、できることはたかが知れている。しかし、たかが知れていることがまだできていない。できることを考えていかなければいけない。

座談会の様子

「備える」というアクションにつなげる

──では、最後に一言ずつお願いします。

永田 この前の台風の時に息子と大喧嘩したんです。逃げろと言ったのに逃げなくて、相当激しい言い争いをしました。あとからわかったのですが、もし僕の言う事を聞いて逃げていても、その避難場所には入れる状況ではなかった。つまり、すべてに通じる答えはないという話なのです。防災もそう簡単ではない。その後の避難生活もあるし、そもそも人が防ぐ事のできない地震がなくなるわけではない。では、どうしたらよいのか。そんな、まだトライできていないところが何となく見えてきていて、何ができるかまったく自信もないのですが、その何かに真剣に向き合わなければならないと、息子との大喧嘩を通して考えました。

大鋸 どんな小さなことでもいいのですが、子どもたちの目線で、なにか日常でできることを、防災学習を通して増やしてあげたいです。自然災害だけではなく、日常でも困ったことに対して、一番大切なのはコミュニケーションをしっかりとれることではないでしょうか。風呂敷遊びをしながらおばあちゃんたちに紐の結び方を教えてもらうなど、知らない大人と会話ができることも大事だと思います。地域を安心と安全で包める、いままでにない防災文化を墨田で広げていきたいと考えます。

冨川 地震や台風の後のSNSでのお祈り感覚というか、Pray for Japan 的なものを見ていて思ったのですが、祈っても来年も来るかもしれないわけですし、何かあったら事後的に支援して、みんなで祈ってというのではなく、防災に対する意識を底上げしないといけない時期に来ているのは確かだと思います。自分に起きなかったから祈るのではなく、いつ自分に起きても大丈夫なように、「備える」というアクションにつながることを広げていきたいです。

公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.32掲載(加筆web版)
発行日:2020年1月24日

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