公益財団法人トヨタ財団

活動地へおじゃまします!

12 「もう3年半、やっぱりまだ3年半」。希望をもって進む復興まちづくりへの道のり

山古志の錦鯉

取材・執筆:新出洋子(トヨタ財団広報担当)

活動地へおじゃまします!

2013年度国内助成プログラム特定課題では、東日本大震災で被災された方々に、復興後のまちの姿を視野に入れたまちづくりに取り組んでいただくため、過去に大きな震災を経験し、その後復興をとげられた地区を訪れ、その手法やノウハウを学んでいただく現地訪問学習に助成をいたしました。

今回私は、宮城県仙台市の南蒲生町内会復興部の皆さんが新潟県中越地区で行った訪問学習に同行させていただきました。

[訪問先]
新潟県中越地区
[訪問者]
南蒲生町内会復興部
[助成題目]
中越の復興事例から学ぶ ─ 多様な主体による持続可能な地域コミュニティづくりと地域資源を生かした産業・交流づくり

一緒に未来のまちづくりを考えよう

おらたる展示スペース
おらたる展示スペース

南蒲生地区は仙台市の東部沿岸に位置し、東日本大震災では津波により甚大な被害を受けました。南蒲生町内会復興部では、震災から4年目を迎え、今後「南蒲生復興まちづくり基本計画」を実施するにあたり、住民・行政・支援者間での共通した地域の復興イメージづくりとチームビルディングのきっかけづくり、また中越における集落の復興プロセスを学ぶことを目的として訪問学習を行いました。

訪問学習の最初に訪れたのは新潟県長岡市にある「やまこし復興交流館おらたる」。ここでは中越防災安全推進機構の阿部巧さんから中越大震災からの復興プロセスの概要をお聞きし、次いで同機構・元長岡市役所山古志支所長・復興推進室長の斉藤隆さんにも当時の様子と今の想いなどをお話いただきました。

「やまこし復興交流館おらたる」にて、当時の様子と今の想いをうかがった
「やまこし復興交流館おらたる」にて、当時の様子と今の想いをうかがった

その後同機構の筑波匡介さんに、「おらたる」内の震災の記録が展示してあるスペースをご案内いただきました。「中越大震災を振り返るとともに、山古志に戻ってきた住民たちが今元気に暮らしていることを伝える施設でもありたい」という筑波さんの言葉どおり、「帰ろう山古志へ」をスローガンに、全村避難から「おらたる」(私たちの場所という意味)へ戻ろうという、住民のみなさんが当時持っていた気持ちを代弁するような工夫が凝らされた展示内容でした。展示スペースは、暗いイメージにならないよう白を基調としており、展示パネルを容易に取り換えられるよう磁石で貼っているなど、展示の工夫や裏技もお聞きすることができました。

お昼ご飯にいただいたのは、「山古志弁当」。震災から5年目に、山古志で再び採れはじめた恵みの素材を郷土の料理にしてお弁当にすることで、訪れた人に山古志の想いと元気を味わってもらいたいと地元の7店舗が製造・販売をはじめました。山古志のおもてなしを味覚で感じられる逸品で、南蒲生復興部の二瓶明美さんは「南蒲生地区は元々農家が多かったこともあり、直売所にとても興味があります。調理師という職業柄、地元の野菜を使ったレシピ開発もしてみたい。このお弁当はとても参考になります」と目を輝かせ、途中立ち寄った直売所で新潟特産の神楽南蛮を手に取ったりされていました。

「郷見庵」にて記念撮影。前列左端が中越防災安全推進機構の斉藤さん、右端が同機構阿部さん、真ん中の法被姿が元地区長松井さん
「郷見庵」にて記念撮影。前列左端が中越防災安全推進機構の斉藤さん、右端が同機構阿部さん、真ん中の法被姿が元地区長松井さん

午後からは、山古志南部に位置する東竹沢地区の木籠集落を訪れました。この集落は地震による地滑りで集落を流れる芋川がせき止められてダム化し、集落の約半分が水没しました。現在も水没した集落の一部はそのまま保全されており、被害の大きさを物語る「現物」を目の当たりにすることのできる貴重な場所となっています。その痛々しい爪痕が残る旧集落のすぐそばでは、震災後、住民と木籠地区を訪れる人が交流するための場として「郷見庵」という施設が運営されています。私たちは、そこで震災当時木籠地区長であった松井治二さんからお話をうかがいました。

「水没した家屋を残しておくか否か何度も議論をした。自分たちの家が沈んだのを見続けるのは辛く、取り壊しを望む声も多かったが、起こったことを保存し、前を向いて復興に歩んでいけばいい。その姿を多くの人に知ってもらいたいし、それが支援してくださった方への恩返しにもなると考えた」と当時の葛藤を率直にお話くださいました。

震災後同地区では地域住民のみでの年中行事の開催や集落の維持が困難となったため、集落を訪れてくれる木籠ファンの人たちの力を借りての集落づくりを進めようと「山古志木籠集落準区民の会」を設立。現在は「木籠ふるさと会」として、準区民と呼ばれる地域外住民との交流をとても大切にしておられます。「移住してもらうことはできなくても、木籠を好きになってもらって、一緒にまちづくりを、未来を、楽しみながら考えてもらいたい」。そんな松井さんの言葉に南蒲生の皆さんも心を打たれた様子で、一時間に及んだお話に熱心に耳を傾けていました。

牛の角突きとメモリアル施設の見学

二日目の視察は山古志の北西部に位置する虫亀地区からスタート。同地区は山古志の中でも世帯数が多く、美しい棚田の景観が特徴です。震災後、住民によるコミュニティ会議を立ち上げ、地域の復興デザインとなる「虫亀コミュニティ形成プラン」を策定しました。現在は「常住のむらづくり」を目指して、プランの実施に取り組んでいます。このような取り組みは自分もまちづくりに参加してふるさとを守るんだという住民意識の育成に大きく役立っていると感じましたし、南蒲生復興部の皆さんの想いと共通していると思いました。

この日お話を聞かせてくださったのは虫亀地区区長の若槻敬さん。耕作放棄地などを活用して農作物を育てるようになり、その加工や販売をしている。加工現場では女性が中心に元気に働いている、と女性がこの地区のキーになっていることを教えてくださいました。

松井さんと握手する雀踊りを披露した二瓶透さん
松井さんと握手する雀踊りを披露した二瓶透さん

伝統的な手仕事である手鞠や、木で牛を形どった木牛という昔のおもちゃなども見せていただき、虫亀地区への郷土愛を聞くうちに、南蒲生の皆さんも自分たちの地域への想いを新たにされたようでした。

お昼からは、江戸時代から続く山古志の伝統行事で国の重要無形民俗文化財にも指定されている、牛の角突きを見学しました。前日お会いした松井さんのお取り計らいで南蒲生の皆さんが土俵上に招かれ、「同じ被災地同士、共に頑張りましょう」とエールを受けると、闘牛場は訪れていた観客の皆さんの温かい拍手に包まれました。返礼として復興部の二瓶透さんが仙台雀踊りの一節を披露され、会場はさらに盛り上がりました。

午後は川口地区へ移動して、「川口きずな館」を訪問しました。ちなみに中越大震災のメモリアル拠点は前日に訪れた「おらたる」を含めて4施設、公園が3つあり、すべてを合わせて「中越メモリアル回廊」と呼ばれています。被災地区をそのまま情報の保管庫にするという試みで、各地区の施設を巡ることによって中越大震災の記憶と復興の軌跡を見ることができます。

「川口きずな館」では、管理運営を行うNPO法人くらしサポート越後川口の赤塚雅之さんにお話を伺いました。

川口きずな館
川口きずな館にてお話をうかがった

「私たちのNPOは川口地域の諸課題解決や全住民参加型のまちづくりの担い手として立ち上がった団体で、コミュニティバスの運営などもしている。ホールは震災の記録を伝える場としてだけではなくカフェのような住民の交流の場としてはもちろん、イベントスペースとしても利用できる」とお話くださいました。施設内にはタブレット型端末が設置されており、川口に暮らす人々が震災の際にどのような被害にあい、どのような支援を受けたか、そして支援をしてくれた方々への感謝の気持ちや今の暮らしぶりなどが写真を交えた手紙形式で見られるようになっています。また、川口を訪れ支援をした人たちからの応援メッセージや、住民との絆の物語もあわせて収められています。

私がタブレット型端末を見ていたとき、施設にお茶を飲みに来ていた初老の男性が声を掛けてくださり、展示してある年表に沿って当時のお話を聞かせてくださいました。住民が訪問者を気さくに受け入れる雰囲気が自然にできあがっていたのがとても印象的でした。

「南蒲生にも人が集うメモリアル施設がほしい」と復興部の芳賀正さんは話しておられ、この視察によって南蒲生での復興まちづくりに新たなヒントを見つけられたようでした。

山古志の姿に南蒲生の未来を重ね合わせて

右の田んぼが震央地
右の田んぼが震央地

その後、当初の予定にはなかったのですが、震央メモリアルパークに立ち寄り、中越大震災の震央地にあたる美しい棚田を見学しました。

同日の夜は「川口体験交流センター」にて川口地区の住民の方々と交流会が行われたのですが、その際に見学してきた震央地の棚田の持ち主である星野秀雄さんにお会いすることができ、そこで収穫された「震央地米」のおにぎりをふるまっていただきました。他にも地域のお母さんたちの心づくしのお料理が並び、温かい交流の場となりました。

参加された川口の方が中越大震災から10年経った今までのことを思い出して話されるなかで、「みなさんはもう3年半も経ったと思っているでしょう。でも10年経った今になって考えると、あの時はまだ3年半だったと思うよ」という言葉が出た時、南蒲生の皆さんが息をのむように空気がふっと変わりました。他には「震災はなかったに越したことはない。でも震災があったからこそ地域のことを真剣に考えるようになったし、外からの人もたくさん来てくれるようになったという良い点もある。何もない土地だと思っていたけど、お米を美味しいと喜んで食べてくれるし、棚田を見て感動してくれる。震災のおかげで、川口のことを客観視できてより大切に思うようになった」という言葉にも南蒲生の皆さんは深く頷き、地域外の人の巻き込み方、南蒲生を訪れる人に南蒲生のファンになってもらうためにできることなどを夜更けまで語り合っていました。

バイオマスプラント。青い袋を持っているのが須貝さん
バイオマスプラント。青い袋を持っているのが須貝さん(写真提供:南蒲生復興まちづくり推進委員会)

最終日は村上市の株式会社開成を訪れました。南蒲生では今後のまちづくりにおいて、地元にある浄化センターを活用しながら、生産と加工・販売が一体となった農業と新たな産業の創出を考えており、今回はそのための視察を行いました。

バイオマスプラント施設をご案内くださった株式会社開成の須貝卓也さんは、「事業系廃棄物を資源としてバイオマスプラントで微生物によるメタン発酵処理を行い、電気・温熱エネルギーを創出しており、電気は電力会社へ売却、温熱は温室ハウスの加熱に利用している」と施設の概要について話してくださいました。隣接する「瀬波南国フルーツ園」では同施設の温熱が利用されており、還元型農業の手法として注目が集まっているとのことでした。南蒲生に再建される浄化センターは、太陽光発電や小水力発電の整備により環境に配慮した施設となる予定で、再生エネルギー関係の取り組みが期待されます。

今回の訪問学習に同行させていただき、被災からこれまで全力で駆け抜けてこられ、もう3年半も経ってしまったという焦りや危機感を強くもって今回山古志を訪れた南蒲生の皆さんが、中越被災者の方々のお話を聞くにつれ、少しずつ肩の力を抜いていかれる様子をひしひしと感じました。見事復興を遂げた山古志の各集落の姿に南蒲生の未来を重ね合わせ、これから歩む復興まちづくりへの道のりに希望を見出すことができたのではないかと思います。

「視察後明らかにみんなの意識が変わり、合意形成がしやすくなった。10年後、この時のことを振り返ったら、やっぱりまだ3年半だったと思うだろうな」と南蒲生復興部の吉田祐也さんが話しておられました。

新しい集会所の竣工を3月に控え、ますます活発なまちづくりが展開されていくであろう南蒲生の今後が楽しみです。

震央とは、震源となった地点の真上にあたる地表のこと。震源はプレートがぶつかり合って地震を発生させた地中の地点。

旅のアルバム

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公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.17掲載
発行日:2015年1月23日

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