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JOINT29号 インタビュー2「見過ごされがちな価値や可能性と世の中をつなぐ存在でありたい」

JOINT29号 インタビュー WEB特別版2海老原周子

聞き手:前川智美(国際助成プログラムプログラムアシスタント)

[助成対象者]
海老原周子
[プロフィール]
一般社団法人kuriya代表。(独)国際交流基金や国連機関で勤務後、移民の若者を対象としたアートプロジェクトを立ち上げ、多文化なコミュニティづくりや人材育成を行うなど、移民の若者に焦点をあてたアート活動を行う。2016年、一般社団法人kuriyaを立ち上げ、エンパワメントプロジェクト「Betweens Passport Initiative」を始動
[助成題目]
多文化な若者達へのアートを通じた人材育成プロジェクト ―アジア間の国際プラットフォーム形成

見過ごされがちな価値や可能性と世の中をつなぐ存在でありたい

聞き手:前川智美(国際助成プログラムプログラムアシスタント)[左端]。その右がkuriya理事の桑原優希さんとアビナッシュ・ガレさん
右から海老原周子さん、アビナッシュ・ガレさん、理事の桑原優希さん、前川智美(聞き手・国際助成プログラムプログラムアシスタント)

──海老原さんたちは、東京、香港、ペナンの3都市間で、アートを通じた移民ユースのエンパワメントを目指すプロジェクトを実施されました。まずはkuriyaという団体を立ち上げた経緯を教えてください。海老原さんは国際交流基金で仕事をされていたときから今のようなことをしたいと考えていたのですか?
海老原 いえ、まさか自分が社団法人を立ち上げるとは思わなかったです。前職で立ち上げて3年ほど社内で実施したプロジェクト「新宿アートプロジェクト」があり、それを抱えて独立しました。kuriyaという団体名は、御厨、いわゆるキッチンのこと。独立当時、一緒に試行錯誤してくださった中国ルーツの方が提案してくださいました。若者たちの多様性を引き出して社会に届ける、というビジョンにぴったりだということで団体名に掲げています。

──もう少し前、たとえば中学、高校生の時に自分の今の姿って計画あるいは想像していましたか?
海老原 14歳くらいから将来は何かアートに関わる仕事か、いわゆる『移民』というか外国人に関わる仕事に就きたいと思っていました。あと教育です。その3つを掛け合わせた活動というのは当時なかなか見つけることもできなかったので、どのように仕事とすればいいのかわからなかったのですが、今はあの時ぼんやり描いていたことの輪郭がハッキリしてきたのかなという感じがしています。

──14歳の時とのことですが、どういうことがきっかけで?
海老原 13歳の時にイギリスで現地校に通っていました。英語ができなくて1年間苦労しました。でもアートや文化は好きだったので、そこを通じて友達ができたという経験があります。

──プロジェクトを続ける、あるいはそれ以外の活動を展開されるなかで、その原動力は、楽しさと、関わってくれる人の変わっていく姿を見ることでしょうか?
海老原 ユースたちの成長を見られるというのは醍醐味です。それ以上に社会の中でますます必要になっていくユースは大事な社会の担い手だと思っているので、彼らの成長に関わることが出来るのは幸せなことだと思います。

──今から3年あるいはもう少し先の10年後には、社会はどうなっていると思いますか? そのなかで、次はkuriyaでこんなことをやっていたい、という構想はありますか?
海老原 3年後だとちょうどオリンピックが終わっています。オリンピックを一つのキックオフのタイミングにしたいと思っています。いま移民や外国人の若者や子どもといったときに、日本語ができない、文化になじめないなど、被支援者として見られがちです。ですが、活躍の場が与えられると参加ユースは自発的にリーダーシップを発揮します。そして多様な経験をしています。彼らだからこそ見える社会の課題というのがある。それらに対してリーダーシップを発揮できるようなプログラムや、ワークショップを今後開発していきたいと思っています。オリンピックに向けて社会がますます多様化していくなかで、一人ひとりが社会を担う存在になっていけると信じています。そういう移民の若者を含め多様な若者たちのリーダーシップを育てる手助けをしていきたいと思います。

また、身近に外国人がいるのが当たり前という状況になったとき、そういう子どもたちが彼らに適した教育を受けられること。さまざまな将来の選択肢や機会があること。日本に来てよかった、日本で育ってよかったと実感できる社会になっていてほしいです。そのためにまずは、外国籍のユースに限らず多様な文化背景をもつ若者を育てることのできる担い手を育成することが重要だと思っています。日本人の若者育成を対象としている団体が国内にもたくさんあります。それらの団体に、私たちが外国人の若者と接した経験をもとにしたノウハウを紹介することで、外国人対応まで広がること。私たちのような小さな団体が協力し合うことで、大きな結果につながるようにしていきたいと思っています。

桑原 kuriyaが取り組んでいる活動は、いまの世の中からすると先鋭的と思われたり、まだ理解していただけない人もいらっしゃるかもしれません。それでも10年後は私たちのような活動が特別ではない世の中になっていて欲しいと願っています。例えば私たちの手がけたアジア間でのタレントエクスチェンジのようなことも、日常的におこなわれていてほしい。私が香港で働いていたり、アビナッシュが来週はジャカルタで仕事があったり。もっとボーダーレスに、もっと自由になればいいなと思います。アビナッシュはもうすでにそのような感じで働いているようです。私はもともと、日本国籍をもっていなくても、彼のような若者たちは、これからの日本の未来を担っていくスーパースターだと思っています。kuriyaの活動は、彼らがもっと活躍できるようなプラットフォームづくりで、それを陰ながら支えていきたいという気持ちはずっとあります。

アビナッシュ 3年後には、映像作家になりたいです。いまはまだ夢に向けての準備中ですが、将来きっとなりたいと思っています。そして、ほかのユースのみんながもっとアートに関心をもてるように活動したいです。10年後には、その夢が実現していて、次のステップとしてネパールに帰ることもあるかもしれないけれど、まだ考えていません。ずいぶん先のことすぎます。

JOINT29号 インタビュー WEB特別版2海老原周子

──トヨタ財団の助成を受けて実施したプロジェクトのことについて教えてください。プロジェクトでとくに大変だったことはありますか。kuriya理事の桑原さんはいかがですか?
桑原 一番大変だったのは4月に行った最後のワークショップでしょうか。ここにたどり着くまでに日本から香港、香港から日本、日本からペナンなど大移動を繰り返しています。移動はさほど大変ではなく楽しかったのですが、それで生まれてきた点をどのようにして線にするのかまとめるのが大変でした。

海老原 相互に交流しながら、刺激を受け合い作り上げていくものだったので、最終着地点が見えるまで模索しました。こっちでいいのか、こういう方向性、こういう形があるんじゃないかと相談しながら。形が出来上がるまでが難しかったです。

桑原 それでもプロセスは楽しいことばかりでしたし、どうにかなるのはわかっていました。素晴らしいメンバーが揃っていたうえ、アーティストやファシリテーターが三か国にもまたがって移動する大きなプロジェクトというのはあまり聞いたことがなく、新しいことをやっているなという感覚はありました。

──プロジェクトをやっていて特に嬉しかった思い出はありますか?
桑原 香港とマレーシアからアーティストをこちらに招いてワークショップを実施したというのは初めてでした。その試みがとてもチャレンジングで面白かったです。それまで培ってきたネットワークではありますが、実際に集まって、初めて会うユースたちと共にやり遂げることができた、というのがすごく大きかったです。

海老原 私もその4月のワークショップが強く記憶に残っています。本当にできるのだろうか、中止にしたほうがいいんじゃないかって弱音を吐いたこともありました。それでも最後の団結力というかチーム力によって乗り越えられました。特にこういったアートワークショップというのはアーティストはゲストの先生という感じで上下関係性ができてしまうことが多いのですが、アーティストが自発的に動いてくれました。ビデオワークショップの参加者を集めるのはスタッフのアビナッシュがいなかったらできなかったですし、桑原さんにもフォローアップをしていただいたり。その対応能力が本当に素晴らしかったです。

アビナッシュ 4月のワークショップでは、映像制作を行うチームに参加しました。このときの経験を振り返ると、短い時間のなかで作業しなくてはならなかったので、アーティストからのアドバイスについて理解しようと必死に頑張りました。作成した映像を上映してみると、自分たちが想像していたイメージとはまた違っていて、映像を観た人たちはみな楽しんでくれて、笑ってくれました。その笑顔をみて、私たちはとても嬉しくなりました。大変な作業の後、みんなの笑顔を見ることができたことが、一番の思い出です。

JOINT29号 インタビュー WEB特別版2海老原周子

──では最後に、kuriyaという団体は、みなさん各々の生活や人生にとってどんな存在でしょうか。
アビナッシュ 私にとってkuriyaは、単にアートに関わる場ということだけではありません。kuriyaは、私にアートの知識やスキルを与えてくれると同時に、私たち多文化のユースが日本の社会にもっと馴染めるように手助けしてくれるものです。日本人の若い人たちはオープンな方が多いですが、一般的に社会全体としてはそうとは言い切れません。物事の流れ方を知らないと、その文化のなかで暮らすことはとても大変です。kuriyaは、そういった初歩的なところから社会と接する機会が少なかった異文化の若い人たちをサポートしてくれます。

kuriyaのメンバーは、私がもっと社会に溶け込めるようにサポートしてくれています。アートを事業の一部として取り入れる団体ではありますが、実際はそれに限られていません。kuriyaは私たちと社会をつなぐバッファーゾーンのようなものなのです。

桑原 私にとっては不思議な友達のような、他にないものという感じです。特別なものではあるけれども影ながら見守っていたいという存在。やっている内容は時々で変わっていますが、ぶれない何かがそこにいつもある。ぶれないものを見ていると気持ちいいし、自分もそうありたいと思うし、目が離せない。私はkuriyaの理事ですけどそういうスタンスでいます。

海老原 これまで一人でやってきたプロジェクトから団体になった強みは、こうやってさまざまな人が一緒に組織として協働できることだと思うんです。異なる個性や多様性やスキルを持った集合体チームですね。それを基盤に、社会の中で見過ごされがちな価値や可能性と世の中をつなぐ存在でありたいと思っています。同時に、私の中では変化し続ける組織でありたい。

社会の変化が激しいのでニーズも変わってきます。kuriyaの前身の団体で映像ワークショップを立ち上げたのは10年前で、その間に変わっているところもあれば、当時課題だったことが今でもまだ解決されていないと感じる状況もあります。そういったところに対して私たちは先陣を切ってエッジを走り続けていけるチームで居続けられたらと思っています。アビナッシュは最初参加者の一人でしたが、事務局側に入ってきてくれました。今となってはなくてはならないメンバーです。次世代を担う若者のひとりとしてとても頼りにしています。

公益財団法人トヨタ財団 広報誌JOINT No.29掲載(加筆web版)
発行日:2019年1月25日

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